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つれづれなるままに Kenji Hattori 心の自由を説く仏教 般若心経 こだわらない とらわれない かたよらないこと 私はいままで仏教というものにまったく関心がなかったわけではない。以前にも仏教についての本を買って読んだことがある。大体、書かれてあるのはインドのお釈迦さんの話で、インドの言葉が出てくる。そうすると、とたんに何がなんだかわけが分からなくなる。 あなたは神仏を信じますか。そう問われると、自分は自分なりの神を信じているという。なぜなら、この世には自分の力ではどうしようもないことがある。たとえば、幸運にも自分がこの時代のここに生まれたこと。人との出会いなどの、機縁や偶然というものがある。そんな、自分の力を超えた事に対して、神の存在を考えないとやりようがなくなる。わたしの神とは阿弥陀様とかキリストとか決まったものではなく、自分なりの神なのである。無宗教の人も、自分だけの神なら持っている人もたくさんいると思う。まったく自分を超越した神というものを持っていないと、人間は不安であるらしい。よいことがあったときには、神に感謝したり、苦しい時の神頼みもある。そのような神を自分の都合のよいように作るあげる。そう今まで思ってきた。 5年程前に、一色町で浄土真宗の「心の元気塾」に参加する機会があった。それをきっかけに、親鸞聖人のことを勉強するようになり「歎異抄」なるものの存在を知った。親鸞聖人のことばを弟子唯円坊が綴ったものである。歎異抄を読んではじめて親鸞上人が私の知る一般的な宗教家ではないということに驚きを感じた。宗教につきものの排他性がまったくないのである。私は自分の都合のよい神は信じるが、既存の宗教はいやであった。なぜなら、どの宗教も自分のところが一番よく、他の宗教は誤りだと批難する、そんな排他性が嫌いだった。いったい、排他性のない宗教があるのだろうかと疑った。以後、日本仏教に大変関心を覚えたのである。たまたま、梅原猛の歎異抄の本があり、それを読んだのがきっかけで、今度は梅原猛の著書をむさぼり読むようになった。 「隠された十字架 法隆寺論」「水底の歌 柿本人麻呂論」「黄泉の王 高松塚古墳論」「空海の思想」「仏像と心」 角川文庫ソフィア仏教シリーズ全12巻など。 特に、初心者の私に集英社文庫「仏像の心」はわかりやすく、日本仏教の魅力を私に教えた。 以来私にとって日本の文化の底流である仏教は、何かわけのわからぬ私の中の神よりも、はるかに魅力的な存在になったのである。 そんな、仏教的なものの魅力をこのコーナーでご紹介したいと思います。 私が思う仏教の一番の魅力とは、心を自由にするということです。私は学生の頃、人生で一番すばらしい青春の時、また、家庭環境も何不足のないとき、なぜか私の心は閉ざされて苦しんでいたのです。逆に私の現在の環境は絶望にちかいのに、なぜか心だけは開かれて自由なのです。苦悩していた青春のとき、もし心が自由であったならどんなにかすばらしい青春を送ることができたことだろうと思う。そう思うと、青年にこそ、この仏教的な教えが必要ではないかとつくづく思う。 心が閉ざされた経験のない人は、幸せな人であると思う。しかし、その人にはこころが開放された真の喜びはわからないだろう。心が閉ざされた人は不幸であるが、それと同時に心が開放される喜びを味わうこともできるのである。 |
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