聖徳太子
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新潮文庫
海女と天皇
日本とは何か

梅原猛著
平成7年発行
上巻より
第二章
憲法十七条(604年) 日本社会の根本原理 聖徳太子の理想


「憲法十七条」で聖徳太子は国というものの理想を述べたのである。そこに改造の情熱に燃える一人の青年政治家の姿がある。


日本社会の根本原理


第一条 

一(ひとつ)に曰(い)はく和(やはらか)なるを以って貴しとし、忤(さか)ふること無きを宗とせよ。


太子は「和」をもって最大の徳とした。
日本即ち「ヤマト」に「大和」という漢字を当てたのはいったい、何時の頃からであろうか。それはやはり続く戦乱に疲れ、「和」を切実に求める民衆の要望から出てきた言葉であろう。こういう状況を受けて、太子は「和を以って貴し」といったのではないか。「和をもって貴し」という言葉の背景には、長きにわたる日本の「不和」の時代があったことを忘れてはならない。

聖徳太子の「和」は決して対立する二つの意見を二で割って真中を採るというものではない。太子は、「和」が在れば議論が可能であると考えたのである。「議論」が可能であれば「理」が実現される。「理」が実現されれば、事は必ずうまくゆくという見方である。この「和」の原理は今でも日本社会で通用している。それは日本社会のもっともよい部分である。太子は正に日本社会の根本原理を見出した人といわねばならない。

第四条 

群卿(まへつきみたち)百寮(つかさつかさ)、禮(ゐやび)を以って本(もと)とせよ。それ民(おほみたから)を治(をさ)むるが本(もと)、要(かなら)ず禮(ゐやび)に在り。(日本書紀)

「礼」は人間関係の根本法則である。人間関係の根本法則を重んじろと太子は言うのである。
聖徳太子の礼の重視を考えるとき、われわれはかかる日本の伝統的人間関係をまず知って、考えねばならない。太子以前の日本の社会は決して礼なき社会ではなかったのである。むしろはなはだ礼を重んずる社会であった。

第五条 

....便(すなは)ち財(たから)有るものが訴えは、石をもて水に投ぐるが如し。乏(とも)しき者の訴は、水をもて石に投ぐるに似たり。

 

これは「礼」の社会の条件として、裁判の公平を主張したものである。裁判の公平を乱すものは何か。それは賄賂である。賄賂政治を可能にせしめるものは何か。それは政治家の貪欲である。金持ちの訴えは『石を水に投げるように』すべて容易に受け入れられるが、貧乏人の訴えは『水を石に投げるように』はじき返されて受け入れられない。(実にユニークなうまい比ゆを使っていると思う。)
「これでは貧しい民はよりどころをうしなってしまう」と説くのである。

第九条 

「信(まこと)あらば、何事かならざらむ」

つまり信頼関係があれば必ず事は成就するというのである。そしてまた信頼関係がなかったら必ず事は失敗するというのである。これは聖徳太子が人間の信頼関係を特別に重視していることを語ったものである。この第九条のあとに、あの有名な第十条が続く。

 

第十条

『心の怒りを絶ち、おもへりの怒りを棄てて、人の違(たが)ふことを怒らざれ。』
『我必ず聖(ひじり)に非ず。彼必ず愚かに非ず。共に是凡夫(これただひと)ならくのみ。』


これは「憲法十七条」中、最も仏教的な条文である。
これは仏教の般若の知恵を述べたものであろう。「般若経」は大乗仏教の中心経典である。そこで否定されるのは執である。人間は何かに執着する。そこに人間の苦悩の源があり、また偏見の原因がある。一切の執着を離れて物を見れば物は透明に見え、一切の苦悩は除かれる。
ところで太子は、こういう無我観を信頼の徳の一環としたということに注意すべきであろう。人間と人間との信頼関係、それを損なうのは何か。それは我執である。我執があるがゆえに対立が生じ、不和が生じる。
それ故、太子は仏教によって我執を克服せよというのであろう。多くの場合、人間と人間との対立には幻想の我執がある。その幻想の我執を克服できれば対立は夢のように消えてしまう。
また、『我独り得たりといえども、衆(もろもろ)に従ひて同じくおこなへ。』という。
これは、いわゆる「和光同塵(どうじん)」の徳をといたものであろう。大乗仏教では、菩薩の和光同塵ということをいう。人間の救済者である菩薩は決してそれらしい顔をしないのである。彼は光を和らげて、つまり自己の偉さを否定して、一般民衆の中に目立たないように暮らしているのである。「和光同塵」の例として、ニコニコして市井(しせい)の人間に交わっている布袋(ほてい)和尚の姿が挙げられる。聖徳太子はここで、大乗仏教の菩薩の徳を語っているのであろう自分だけが知恵に達したとしても、それを顕(あら)わにせず、他人と同調せよと太子は語っているのである。

等々..

太子の理想とする社会は天皇が賢聖である社会である。賢聖なる天皇は徳を以って君臨し、また臣民は礼を以って仕え、互いに深い信頼によって結ばれる社会である。そこで「私」があってはならない。「私」があれば恨みがあり、恨みがあれば秩序は乱れる。
これはいささか甘い太子の理想であたかも知れない。そして太子は、その甘い、同時に高い理想のために滅んでゆくのである。しかし、太子一家の悲劇にもかかわらず、この大使の理想は末永く日本の理想となるのである。
これは恐ろしいまでの日本社会の洞察である。いま、日本の社会は多難の時代にある。この時にこそ、日本の社会のよいところと悪いところ、それを率直に認めるところから新しい日本論は始められなければならない。太子には、正に二千年来の日本社会を見渡したようなところがある。今日、最もよい日本の社会は無意識のうちに太子の描いた理想に沿うているのではなかろうか。
(太子一家の悲劇の詳細は梅原猛の代表作「隠された十字架、法隆寺論」にありますので興味のある人は読んでください。新潮文庫)


感想

パソコンで古文を書くのはとても難しいので、うまくまとめることができなかったが、少なくとも聖徳太子の考えが現代人とかけ離れているものでないことがわかっていただけたと思う。
私は今から1400年も前の聖徳太子が現代にも通じる考えをしていたことに大変驚いた。結局、人間というものは変わらないものだと思った。現代は、技術だけがすばらしく進化したが、それを扱う人間は、聖徳太子の時代といささかも変わっていないのだ。現代人は時代の進歩に自分も進化していると思っているようであるが、私たちはただそう思っているだけなのかもしれない。いや、むしろ心は逆に後退しているかのようだ。


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