愛知県碧南市 昭和の時代、日本が輝いていた時代の喜びが「新川」にはある

新川西部へようこそ!

新川西部 (しんかわ・せいぶ)

みんな一生懸命に働いたあの頃 懐かしき昭和の雰囲気が心地良い街

新川西部の位置 <新川の名は、油ヶ淵の悪水をを抜く為に、宝永2年(1705)に開削された「新堀川」に由来。大浜に対する強烈な対抗意識が後の発展を支える原動力となった。モーレツに働き、街を発展させていった人々の生活を今に垣間見る> 明治14年(1881)、大浜からの圧政に苦しみ、鬱積たる思いであった「岡本八右衛門」は、市古良策・岡本坂太郎らと共に大浜村からの独立運動を展開する。 明治16年(1883)11月28日に悲願の独立、「北大浜村」を誕生させた。 以後、劇場の開設、英語塾の開講するなど、事あるごとに大浜への対抗心を見せ、大浜村が明治22年(1889)に「大浜町」となるや、 北大浜村は僅か3年後の明治25年(1892)に「新川町」とさせた。 昭和の時代には、かつての本郷、大浜を追い抜き、碧南市の文化・経済の中心的な役割を担う街となる。 現在でも新川には、旺盛を物語る街並みが残り、 人々の心の内にも「独立を勝ち取り発展させた」という誇りが息づいている。

新川の象徴 新川橋から

明石公園から南へ

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