愛知県碧南市 岡本蓮心・岩瀬心海の存在「旗中観音堂」と古名「六軒」を訪ねる

碧南市新川西部地区へようこそ!

六軒と畑中観音(ろっけんとはたなかかんのん)

由来は六軒の家しかなく「六軒」 共に優れた人物「岡本蓮心・岩瀬心海」

商店のブリキ看板ディスプレイ

<大浜街道から眺め見れば、六軒の家有り…そんな情景から地名が付けられた「六軒」。今は工場が建ちならび、往時の六軒は確認出来ず。交差点角に懐かしい昭和の風景。肥料商『野沢屋』あり> 県道50号が鶴ヶ崎を越えて隣の高浜市へと近づくあたりに「六軒」という交差点がある。 昭和40年代後半に新町名に変わるまで、この一帯は「六軒屋敷」という旧字名であった。 地名が示す通り、六軒の家しか無かったからである。現在も「六軒町」という地名が残るが、自動車部品製造・陶器製造といった業種の工場が大部分を占め、閑静な住宅街という雰囲気ではない。 それ故に地名の元となった六軒の家を見つける事は、現代においては不可能。屋敷と旧字名に付く事から、高貴な家柄か、または豪商の屋敷があったかも知れない。 六軒交差点角に『野沢屋商店』がある。肥料販売する店であり、懐かしい香りがする。 まだこの辺りに麦畑が広がっていた時代からの店だろうか。

真新しい畑中観音の御堂

<六軒町にある浄土宗西山深草派の「旗中観音堂」。明治17年(1884)に岡本蓮心が草庵を結んだ事にはじまる。明治37年(1904)に二代目住職となった岩瀬心海は詩文書画に優れ、多くの作品を世に残す。信州善光寺にならい制作されたという「戒壇巡り」を体験出来ないのは残念> 北新川駅の東、先は六軒交差点へと通ずる道沿いに「旗中観音堂」がある。 明治17年(1884)に岡本連心が開き、浄土宗西山深草派の大浜・海徳寺に属し、十一面観世音菩薩を本尊としている。 無住の寺として門は固く閉ざされたままだが、近年、門続きの場所に御堂が出来、拝む事が可能となった。 岡本蓮心は寺子屋教育をはやくから行い、碧南の民話「蓮心さんの夢」は岡本蓮心と子供達、そして森前地蔵尊(高浜市)を巡る話。 明治37年(1904)、岡本蓮心は89歳で没する。次に旗中観音堂を継いだのが西尾市・巨海町出身の「岩瀬心海」である。 文久2年(1862)に生まれ、明治27年(1894)に岡本蓮心の弟子となり、詩文や書、水墨画を独学で学び、多くの優れた作品を残した人物。 孤独を好み、生涯弟子を取らずに昭和17年(1942)2月28日、81歳で没する。 旗中観音堂には「戒壇巡り」があるというが、公開されていなく残念。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

ガードレールで閉ざされた旧道に御堂

「田尻の地蔵堂」

地図を見て不思議に思うことがある。碧南辻から来た道は田戸の渡しへと向かっていたのではと。 現在では北新川駅舎に阻まれて道は分断されている。駅の西側、田戸の渡しへと向かう道を歩いてみた。 自動車部品工場の立ち並ぶ地帯を越えると、「田尻」交差点。田尻とは往時、入り組んだ海がいつしか田となり、その隅にあることから尻と付けられた地名。 交差点角には、古くから営業する和菓子店「ふる里」、大衆食堂「江戸ッ子食堂」がある。そして気になる御堂の存在。 旧道を塞いだガードレール傍らに軒先165センチ高しかない小さな御堂がある。向拝の虹梁がさらに145センチ高である為、拝むには頭をぶつけないように注意がいる。 内部には苺の涎掛けをした坐像のお地蔵さん。花祭りに登場する天上天下唯我独尊のお釈迦さんもみえる。 金ぴか、コミカルな表情の像がこちらを見て笑っている。

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