愛知県碧南市 亀崎にちなんで「鶴ヶ崎」と命名された歴史 「山神社」を訪ねる

碧南市新川西部地区へようこそ!

山神社と鶴ヶ崎区民館

新川の黎明期に大きく発展した「鶴ヶ崎」 区民館に伝わる歴史を読み解く

土台に丸形の石が使われた拝殿

<元治元年(1864)に対岸の亀崎より譲られた山車はこの山神社に収納される。丸い石を使った石垣が特徴的な山神社。寛永7年(1630)に創建される> 新川・鶴ヶ崎には2つの神社がある。南の浅間神社とこの「山神社」である。 針葉樹並木の参道を行けば、いきなり視界の広がる境内。碧南市内では珍しい丸石4段で組まれた台座を持つ山神社の拝殿。 北には山車を格納する倉庫。碧南市教育委員会が建てた案内書きが表すように山車は碧南市指定文化財である。 高さ5.51メートルを誇る鶴ヶ崎の山車は、元治元年(1864)に半田市・亀崎より譲り受けたもの。 山神社は寛永7年(1630)に宗太夫家次が神主となり創建した神社。 拝殿両脇にある住吉社・秋葉社は、小さな社だが茅葺き屋根の見事な造り。 南の伊勢神宮逢拝所にある灯籠には、文化4年(1807)金比羅山常夜燈と刻まれ、 海に面していた鶴ヶ崎と人々の生活を想像させるものである。

鶴ヶ崎の象徴、赤丸に鶴のマーク

<向かいの亀崎に対抗して「鶴ヶ崎」と名乗った。鶴ヶ崎区民センター玄関に掲げられる鶴のマークは、鶴ヶ崎の人々の団結心を示す。かつてこの場所は、新川町役場が置かれ、碧南市初めての図書館があった場所でもあった> 山神社敷地の南側には、鶴ヶ崎区民館と平成12年(2000)3月23日に開館した鶴ヶ崎区民センターがある。 その鶴ヶ崎区民センターの玄関上には、鶴ヶ崎を表す鶴のマーク。新川の代表的な集落である鶴ヶ崎。 名の由来は代官・鳥居牛之助が対岸の亀崎に対して「鶴ヶ崎」と名付けたことによる。 この鶴ヶ崎区民館・鶴ヶ崎区民センターのある場所は、以前、新川町役場が置かれ、時として新川小学校となり、 また碧南市制が始まった年、昭和23年(1948)の9月には碧南市で最初の市立図書館がこの場所に開設された。 明治初期建設の歴史ある建物も昭和58年(1983)2月14日の火災により焼失。 今は入口にある石門と柵だけが古き新川の時代を伝える。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

新川文庫(しんかわぶんこ) 碧南市最初の図書館となった現・鶴ヶ崎区民館・区民センターの場所だが、市制以前にも新川町には「新川文庫」という図書館としての役割を担う施設があった。 明治44年(1911)新川小学校の校長であった板倉松太郎が当時の新川町長である岩田以手紙に町民が利用出来る文庫の設置を要請した。 念願叶い、大正元年(1912)には町立の新川文庫が新川尋常高等小学校内に設立された。 この新川文庫設立には、新川尋常高等小学校卒業生の現金・蔵書の寄付によるところが大きかったという。 のちに新川文庫6588冊は市立図書館に移され、現在は鶴見町にある碧南市民図書館本館の所蔵庫に大切に保管されている。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

神社裏、白壁の続く道はかつての海水浴場跡へ

「鶴ヶ崎の井戸」

山神社拝殿左に大きな井戸がある。かつての海岸へ抜ける小道の真ん中にあり、何故こんな場所にと不思議に思う井戸である。 私はこの井戸が「新川行進曲」(作者不明)に出てくる「浜に清水のわくのも不思議 アノナンヘーヘー 明石地蔵 鶴の井戸 鶴の井戸」という歌詞の”鶴の井戸”ではないかと推測する。 直径108センチ、台座198センチ横角の6センチ高という随分大きな井戸。山神社のすぐ裏に新明石海水浴場が存在していても、汲み上げた水は真水だったのだろうか。 拝殿裏に広がる森はとても静かな場所。かつての砂浜へと降りる小道を下りながら、「新川行進曲」の一節に作者の想いを探る。

< text • photo by heboto >


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