愛知県碧南市 お婆ちゃんの三河弁を聞きたくて 大浜「下之切」を訪ね歩く
<小高い場所に称名寺。眼下に広がる労働者の町。日なたの匂い、どこか懐かしい言葉の響きが聞こえてくる。キツイが話せば分かる温かい人情。忙しなく動き回る人々、一所懸命、働いて働いて生涯を終えていく…この地域のおじいちゃん・おばあちゃん達は、碧南一番の働き者> 三河弁が最も崩された形で使用される地域、大浜南部。他の地区から”下”と蔑称され、ガラ悪く性格はきつい。 これは、もともと漁業・農業を主とした地域だから。 日常が闘いの連続。生活の糧を守るためには、我をはって生きざるおえない。 ”なめられたらおしまい” 生涯、敗者というレッテルを背負わされる。 現在は農家・漁師も減少したが、この気風だけは堅固に生きている。 「あんなん、働いとったほうがええがー」、市民のまつり”元気ッス!碧南”に対しての言葉。 この地域のおばあちゃん・おじいちゃんは、働き者だ。 寝込むことなく動き、働き、ある日突然、生涯を終える。ゼンマイが切れたように。 「昨日、元気でおったがん!」と、弔いの言葉を送られ、大浜の歴史となって行くのである。
<旧大浜警察署>その美しい西洋風建物は、大正13年建造の旧大浜警察署。昭和36年まで使われた。■『旧大浜警察署』へ
<清浄院>境内にある五輪塔は、前田利家公先祖のものだという由緒。鎌倉時代、600年以上前の墓である。■『清浄院』へ
<本伝寺>境内の銀杏は、300年程前、棚尾より移転した時に植樹したもの。寺の北にある小道は雰囲気良し。■『本伝寺』へ
<赤煉瓦>大浜華やかし時代を表す赤煉瓦冷凍冷蔵庫を見る。大浜港周辺を潮の香りを楽しみながら散策。■『赤煉瓦』へ
<大浜港>海の男達が出向を待ちわび、黙々と準備を調える。海と共に生きてきた大浜魂は今に受け継がれる。■『大浜港』へ
<称名寺>大浜南部を代表する名刹・称名寺。徳川家とも縁深く、徳川家康の幼名は、称名寺で詠まれた句から。■『称名寺』へ
<西浜の奥へ>大浜南部地域最大の町、西浜。以前は海岸線沿いの集落。迷路を巡れば庶民の心表れる。■『西浜の奥』へ
<おばばさま>大昔、大浜熊野大神社神主の御婦人が占いをして民衆の心を掴み、おばばさまと呼ばれた。■『おばばさま』へ
<錦町>昔は称名寺の寺領。過去に風呂の下・出口などの旧字名があった。古い大浜形式の家屋残る地区。■『錦町』へ
<高与橋>浜通り、堀川に架かる橋。大浜町長が私費を投じて架設された由来。近くに市内初の歩道橋がある。■『高与橋』へ
< text • photo by heboto >