愛知県碧南市 大浜に仕組まれた「RPG」をクリアする 勇者はいつか讃えられる
<「西浜を避けては大浜を語るべからず」と断言。口の悪さに隠れた人情味に触れる。行く先々で新たな出合い…「あなたにとってのビジョンクエスト(啓示を受ける旅)はここにある」。観光とは別の散策好きの人に訪れて欲しい> 大浜南部でも錦町と双璧を成す規模の「西浜町」。大浜南部、通称「大浜下」の”柄の悪さ”の一因となる地域。 大浜南部の庶民性に加え、さらに「キツさ、負けん気」が従う気風。 訪問者にとって、一見取っつきにくい人達だが、その気風には「義理人情に厚い」性格が隠されている。 西浜町に入ってすぐに趣ある酒屋を見つける。看板に「船舶食糧 磯啓酒店」の文字。 道路向かいに何台もの自転車が並ぶ。店の中からは講釈と笑いの声が聞こえてくる。男達が立ち席でコクリと酒を飲んでいた。 さらに西浜の奥へと向かう。佃煮屋の看板が見えた辺りで聞こえた会話。 「おばあちゃん、どこいくだへぇ」「きんにょ、えらいもんもらったで…(以下省略)」と、親しげに話すが知り合いではないらしい。そして私には2人ともお婆ちゃんに見える。
<西浜町集落の中心を走り抜ける道。至徳3年(1386)に現在地へと移った大浜熊野大神社へと辿る道はここにある!? なだらかに蛇行する道、並ぶ民家はどこか歴史を感じさせるのだが> 本伝寺西の妻薬師堂から南へと向かう道が正しいと信じている。 何のことか? 人里離れた大浜熊野大神社へ至る最も古い道はどれかということである。 本来、道というのはどういう成り立ちで出来るものなのか。道が先か、集落が先か…。 妻薬師堂から来る道は、先述の「角谷文治郎商店」で突き当たる。だが、国道247号線を横切り、40メートル程行った辺りに右へと入る小道が存在する。 入口には小さな御堂が1つ。なかには立像のお地蔵さんが。このお地蔵さんは「三本木の地蔵」と親しまれ、200年程前に鷲塚より現在地へ来る。 お地蔵さんの御堂から南へは、車一台ギリギリの狭い道が続き、熊野大神社の北東鳥居へと到達する。 道沿い民家のどこか懐かしげな趣…。確固たる証拠はないが、この道の雰囲気はどうにも歴史を感じさせてくるのである。はたして真相はいかに!?
国道247号線の「築山町」交差点から南の方角を望む。右側の道より一段高い場所にある遊歩道、そして左にもまた高い位置に民家が建ち並ぶ。 共に共通するのは、同じような曲線を描いていること。これは何を意味しているのか? 実はこの南へとのびる一線が、かつての海岸線である。海があった時代の防波堤は側壁を改め、遊歩道へと転化させた。 道沿いにある民家が高い位置にあるのは、丁度そのあたりが波に運ばれて出来た砂丘だからである。 海が消失し、40年近く経とうとしている今でも、民家脇の路地から海岸線跡である道へと向かう雰囲気は、島や海辺の町を感じさせる。 海岸線はこの先、南端の権現岬まで一直線であったというから、昔は遙か遠くの「からかさ松」が望めたことだろう。
< text • photo by heboto >