愛知県碧南市 盗まれた「魚籠観音」が再び戻る奇跡! 称名寺の謎を追う
<称名寺の位牌堂に鎮座する「魚籠観音」(ぎょらんかんのん)にまつわる話。長年、行方不明だった魚籠観音は、ある日「故郷へ帰りたい」と夢の中に現れ、大浜・称名寺へと帰る。約100年の歳月を経て戻ってきたのである> 「魚籠観音は位牌堂に祀られています」との貼り紙を称名寺本堂の柱に見つけた。 「魚籠観音」とは、100年あまりの歳月を経て再び称名寺へと戻ってきた奇跡の観音様である。 明治の中頃に称名寺檀家の女性が寄進したもので、書院の庭池に鎮座していた。 しかし、盗難に遭ってしまい、行方不明となる。長い年月を経て、ある人が骨董品屋に並ぶ魚籠観音を買い求める。 その夜見た夢の中に魚籠観音が現れ、「故郷に帰して欲しい」と告げられる。 調査の末、魚籠観音は大浜・称名寺のものだと判明し、無事に称名寺へと帰ってきた。 不思議な偶然が重なり合い、奇跡は起こるのである。
<和田氏・松平氏・徳川氏と、古くから保護を受けていた称名寺。だが、その歴史は決して平穏なものではなかった。豊臣政権時代には造船所として使わせ、延宝年間の全山焼失は廃寺寸前まで追い込み、天保13年まで尾を引く事となる> 称名寺本堂の東に「徳川家祖廟」がある。白塀に入口鉄扉には葵の御紋が入る。もとは七世・其阿上人龍全和尚(享徳3年没)が御廟を築かれた事に始まり、正面の世良田(松平)親季公廟を中心に31人の墓がある。 創建初期には、二十一間四面の大伽藍を誇り、仏塔が16坊もあったとされる称名寺。 時の有力者に手厚く保護され、平穏な歴史を辿ってきたかに見える称名寺だが、事実は違う。 天正15年(1587)には、岡崎市・犬頭神社境内の杉を用い、朝鮮出兵の為の船を称名寺で造らせた。 本堂は鋳造場として使用され荒れ果てたという。 延宝年中(1673~1680)には、全山焼失という災難に遭い、廃寺の危機にさらされる。 約20年後の宝永年間(1704~1711)に22世「全底」、23世「鱗全」によって再建される。 特に鱗全は「加味恙活湯」という風邪薬を考案し、資金調達に当てたという。 天保13年(1842)まで不安定な状況下にあった。今日の名刹としての称名寺は歴代住職達の苦労によるものである。
称名寺の南門から続く小道が行き着く先には、道の不思議な交差が見られる。 湊橋から南下する道と、称名寺南門からの道が交差する地点にあるのが「猿田彦神社」である。 すぐ近くにはさらに古い秋葉社も社を構えている。 猿田彦神社は鬼門である北東を守る神として、大浜熊野大神社の鬼門に当たるこの場所にあるのか? また猿田彦神は道案内の神としても知られており、不思議な道の重なりをするこの場所にたてられたのか?謎である。 先人達はいったい何を思い、この"X"を造ったのだろう。現代的な解釈では答えの出ない不思議な場所。 訪れてみて、その謎を解き明かして頂きたい。
< text • photo by heboto >