愛知県碧南市 水屋で見つける「棚尾」の文字は由緒を伝える「本伝寺」を訪ねて

大浜南部へようこそ!

本伝寺 (ほんでんじ)

正徳2年(1712)に棚尾から大浜へ 境内の銀杏はその当時に植えられた

山門から覗く紅葉

<もとは棚尾・源氏に専光寺として存在。正徳2年(1712)に大浜の地へとやって来る。その時植えられた銀杏の木は秋になると境内一面を素晴らしい景色へと昇華させる。水鉢に刻まれた「棚尾惣同行中」の文字は、棚尾との失われない信仰の絆をあらわしている> 大浜港の盛栄を伝える昔の写真に、山のように巨大な屋根を持つ建物。それは文政12年(1819)に再建され、本瓦葺き・十二間四面の規模を誇る「海性山・本伝寺」の本堂である。 往時、入港した船の乗員達は、この本伝寺の本堂を見て、大浜の地へ着いたことを実感したことだろう。昭和15年(1940)に建立された山門には美しい華の彫刻が施され、扉の向こうには、正徳2年(1712)に棚尾・源氏より、 大浜へ移ってきた際に植えられたという銀杏が見える。新川の豪商「岡本八右衛門」が寄進したという鐘楼の石垣は細工された亀甲形を成しており、贅を尽くしたもの。大浜に対抗意識を持っていた岡本八右衛門がなぜ?と疑問が浮かぶ。その隣の水屋には「明治45年5月上旬 寄附者・棚尾惣同行中」の文字が水鉢に刻まれる。 棚尾を離れて百年以上経とうとも、断たれぬ信仰の印。

乳母道に白い百合

<本伝寺と清浄院の間に素敵な小道。入口で仙人像が出迎え、百合の花をプレゼント。黒板塀と漆喰の白壁が乳母車を押すおばあちゃん達の心を和ませる。さらに先を行けば、いつしか迷い子に。懐かしい大浜の潮風と戯れる> 本伝寺と清浄院は隣り合わせ。境には、乳母車を押してくるおばあちゃん達が好んで通る小道。 忘れ去られそうな存在に、「駐車禁止・長時間の駐車はご遠慮下さい」と古めかしいホーロー看板が道入口の在処を訴える。 幅130センチしかない道。入口の空を見上げれば、飾り瓦の仙人像。古い石組みと白壁がこの道に、数本の百合が咲くのを見つけた。 誰が植えたわけでもない自然に咲く百合の花。小さな発見がとても嬉しく思えるのがこの小道の魅力。 漆喰の壁に誘われて、先を行けば、潮の匂いが仄かに漂い始める。時間の経過さえ怪しくなる程の不思議。 お婆ちゃんに手を引かれ、道を歩いた記憶が戻る…そんな世界がここにはある。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

本傳寺(ほんでんじ) 弘仁7年(816)、最澄が関東を巡行された際に随行した「澄円」が天白山に「太子堂」をたて、天台宗の教えを説いたのがはじまりとされる。 15代目の「善祐」が応永元年(1394)に棚尾村・源氏に移し、「専光寺」と名乗る。文亀元年(1501)、19代「渓玉」が蓮如上人に帰依し、浄土真宗に改宗して「本伝寺」と改める。 正徳2年(1712)「釈演」の時に現在地である大浜へと移った。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

いこまいか祭りでのなんば提灯

「なんば提灯あらわれる」

近年、大浜で行われるイベントに奇妙な発光体が現れるようになった。 高さ約1メートル、多面菱形の骨組みに赤色紙を貼り付けた物体が仄かに明かりを灯す。 唐辛子の形状をしていることから「なんば(南蛮)提灯」と呼ばれる。 初めて大浜に姿を現したのは平成16年(2004)10月16日、「大浜てらまちウォーキング」前夜祭でのこと。 碧南駅前通り商店街に並べられた「なんば提灯」に期待を寄せる人々の表情を覚えている。 もともと「なんば提灯」は戦前まで盆の時期に三河地方で見られる風習だったが、戦後に消滅。 新川・鶴ヶ崎の西光寺で盆の期間中にのみ実施していた。 「なんば提灯」が大浜の地に復活して以後、碧南市域に次々と広がり、今では制作教室も開かれるようになった。 聞くところによると、標準仕様の「なんば提灯」を1つ制作するにあたり、2千円前後のコストがかかるとのこと。 碧南市内で夜間に渡るイベントが行われる際、どこかに「なんば提灯」の姿がある。探してみよう。

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2007 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見・ご感想は【サイト管理者へメール】までお願い致します。