大浜 稲荷社



神社名
稲荷社
祭神
保食神、大国主命
創立
永年6年(1509年)
境内神社
秋葉社 他2社
祭儀
例祭十月第2日曜日
住所
碧南市浜寺町2-67

   保食神(うけもちのかみ)
      五穀をつかさどる神
      食物の神

稲荷社由緒より
 松平左近蔵人佐信忠という徳川家康の曾祖父が安城の城主と
 なっていたが永正年間に城主を退き大浜村築山に退隠したのち
 当稲荷社をこの地に勧請し創立したと伝えられている

山車祭りで有名な神社です。
天明8年(1788年)亀崎より古車を購入したものと言われています。
中之切車は唐獅子や剣龍などの豪華な彫刻で飾られています。
乱杭渡り人形は全国でも珍しいからくり人形です。



稲荷社 境内


                   

手水舎
 

境内                          秋葉社


山車の車庫                             神楽殿



ウキペディアより

保食神
 保食神(うけもちのかみ)は、日本神話に登場する神である。
 『古事記』には登場せず、『日本書紀』の神産みの段の第十一
 の一書にのみ登場する。

 神話での記述
  天照大神は月夜見尊に、葦原中国にいる保食神という神を見てくるよう命じた。
  月夜見尊が保食神の所へ行くと、保食神は、陸を向いて口から米飯を吐き出し、
  海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出しそれらで月夜見尊を
  もてなした。
  月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬って
  しまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。
  それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。
  天照大神が保食神の所に天熊人(アメノクマヒト)を遣すと、保食神は死んでいた。
  保食神の屍体の頭から牛馬、額から栗、眉から蚕、目から、腹から稲、陰部から
  麦・大豆・小豆が生まれた。天熊人がこれらを全て持ち帰ると、天照大神は喜び、

  民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。