大濱陣屋は徳川家康が築いたといわれている羽城の跡に明和5年 (1768年)水野忠友によって築かれ、廃藩置県の明治4年(1871年)まで 約100年続きました。 水野家は徳川家康の母である於大の方(伝通院)の実家で譜代大名の中でも他の譜代の家 臣の家とは遠い外戚の家として特別の位置を占め幾多の時期に徳川政権の動向を左右す る存在でした。 於大の兄弟の子供で水野忠清は家康、秀忠に仕え松本7万石の大名となり以後、松本藩 水野家は83年続くのですが6代忠恒が江戸城で刃傷事件を起こし松本と江戸屋敷は没収 となりました。しかし家康の生母を出した家柄に配慮がなされ家名断絶は避けられ長野県 佐久に7千石の旗本となっています。 この家を復興させたのが忠友(8代)と忠成(9代)で、幕府のかかり老中を努め幕閣のトップ に居続けました。1768年に西三河領6千石を受け1万3千石の大名と返り咲き、その後沼 津に領地を拝領 5万石の大名となった為、大濱藩は廃止され沼津藩大濱陣屋となりまし た。水野家以前の大濱は西尾藩領、岡崎藩領、幕府領、旗本領と領主が代わっていました が水野家の殿様になってからは大いに発展したと言われています。 1867年大政奉還にて徳川慶喜の領地が沼津城に掛かる為、水野家は明治2年(1869年) 菊間移封となり菊間藩大濱陣屋となりました。その後の明治4年(1871年)廃藩置県により 廃止されました。 |