壱 (一)
 月夜に七人の子どもが歩いておりました
たちの影は短く地べたにうつりました。
子どもたちはじぶんじぶんの影を見て、ずいぶん大頭で、足が短いなあ
と思いました。そこで、おかしくなって、笑いだす子もありました。
あまりかっこうがよくないので、二、三歩はしって見る
子もありました。こんな月夜には、子どもたちは何か
夢みたいなことを考えがちでありました。

子どもたちは小さい村から、半里ばかりはなれた本郷へ、夜のお祭りを見にゆくところでした。
切通しをのぼると、かそかな春の夜風にのって、ひゅうひゃらりゃりゃと笛の音が聞こえてきました。
子どもたちの足はしぜんにはやくなりました。すると一人の子どもがおくれてしまいました。
「文六
(ぶんろく)ちゃん、早く来い」と、ほかの子どもが呼びました。
文六ちゃんは月の光でも、やせっぽちで、色の白い、眼玉の大きいことのわかる子どもです。
できるだけいそいでみんなに追いつこうとしました。
「んでも俺、おっ母ちゃんの下駄だもん」と、とうとう鼻をならしました。
なるほど、細長いあしのさきには、大きな、大人の下駄がはかれていました。
弐 (二)
 
 本郷にはいるとまもなく、道ばたに下駄屋さんがあります。
子どもたちはその店にはいってゆきました。
文六ちゃんの下駄を買うのです。文六ちゃんのお母さんに頼まれたのです。
      
 「あののイ、小母さん」と義則(よしのり)君が口をとがらして、下駄屋の小母さんにいいました。
「こいつのイ、
樽屋(たるや)の清さの子どもだけどのイ、下駄を一足やっとくれや。
あとから、おっ母さんが、銭もってくるげなで」
みんなは、樽屋の清さの子どもが、よくみえるように、まえへ押しだしました。
それは文六ちゃんでした。文六ちゃんは二つばかり眼
(ま)ばたきしてつっ立っていました。
 
  樽屋(たるや)
 樽屋は、、江戸の町政を司る町年寄三家の1つ。家紋は桔梗。江戸草創期以来の旧家で、
町年寄を世襲で勤め、当主は樽屋藤左衛門と名乗った

 三家に順位をつけると、奈良屋・樽屋・喜多村ということになり、
町年寄の家格としては第2位となる。
 樽屋の祖先は刈谷城城主であった戦国武将・水野右衛門太夫夫忠政である。
その子である弥平太忠頼は今川氏に仕え、永禄3年(1560年)6月に討死。
翌年に忠政の孫の水野弥吉は徳川家康に御目見えし、16歳の元服に際して家康の一字を
もらい康忠と名乗った。家康の生母である於大の方は忠政の娘であるため、
康忠と家康は従兄弟同士である。
町年寄・樽屋は、基本的に世襲制で藤左衛門を名乗る。

 
 
 小母さんは笑いだして、下駄を棚(たな)からおろしてくれました。
どの下駄が足によくあうかは、足にあてて見なければわかりません。
義則君が、お父さんか何ぞのように、文六ちゃんの足に下駄をあてがってくれました。
何しろ文六ちゃんは、一人きりの子どもで、甘えん坊でした。
 ちょうど文六ちゃんが、新しい下駄をはいたときに、腰のまがったお婆さんが、
下駄屋さんに、はいって来ました。そしてお婆さんは、ふと、こんなことをいうのでした。
「やれやれ、どこの子だか知らんが、晩げに新しい下駄をおろすと狐がつくというだに」
 
  晩気(ばんげ) : 晩方、夕暮れ、夜
 
 子どもたちはびっくりしてお婆さんの顔を見ました。
「嘘だい、そんなこと」と、義則君がいいました。
「迷信だ」と、ほかの一人がいいました。
それでも子どもたちの顔には、何か心配な色がただよっていました。
「ようし、そいじゃ、小母さんがまじないしてやろう」と、下駄屋の小母さんが口軽くいいました。
小母さんは、マッチを一本するまねして、文六ちゃんの新しい下駄のうらに、ちょっとさわりました。
「さあ、これでよし。これでもう、狐も狸もつきゃしん」そこで子どもたちは下駄屋さんをでました。
 
参 (三)
 
 子どもたちは綿菓子を喰べながら、稚児(ちご)さんが二つの扇を、眼にもとまらぬ速さで
まわしながら、舞台の上で舞うのを見ていました。その稚児さんは、お白粉
(おしろい)
ぬりこくって、顔をいろどっているけれど、よく見ると、お多福湯のトネ子でありましたので、
「あれ、トネ子だよ、ふふ」と、ささやきあったりしました。
 稚児さんを見てるのに飽くと、くらいところにいって、鼠花火
(ねずみはなび)をはじかせたり、
かんしゃく玉を石垣にぶつけたりしました。
 舞台を照らすあかるい電燈には、虫がいっぱい来て、そのまわりをめぐっていました。見ると、
舞台の正面のひさしのすぐ下に、大きな、あか土色の蛾
(が)がぴったりはりついていました。
 
山車(だし)の鼻先のせまいところで、人形の三番叟(さんばそう)が踊りはじめる頃は、すこし、
お宮の境内
(けいだい)の人も少なくなったようでした。花火や、ゴム風船の音もへったようでした。
 
  稚児(ちご) 本来の意味の稚児は乳児、幼児のこと。
「ちのみご」という言葉が縮んだものと考えられる。
後に、6歳くらいまでの幼児(袴着・ひもとき前)に広がり、
袴着・ひもとき~元服・裳着の間の少年少女は「童」(わらは・わらべ)
とも呼ばれたようです。祭り
の中で、特徴的な化粧(厚化粧が多い)
をし、揃いの、または決められた衣装を着た少年少女(
小学生以下位)
が稚児と呼ばれる場合が多く、祭りによっては
八乙女、童子
、囃子方などと呼ばれることもあります。
  山車(だし) 祭礼の際に引いたり担いだりする出しものの総称。
曳山
(ひきやま)祭屋台(まつりやたい)ともいう。
  三番叟(さんばそう) 神様に天から地上に降りてきていただき「おもてなし」をする屋台
能の「翁」で、千歳(せんざい)、翁(おきな)の次、
3番目にでる老人の舞。またその役名。
 
稚 児 山 車 三番叟
 
 子どもたちは山車の鼻の下にならんで、仰向(あおむ)いて、人形の顔を見ていました。
人形は大人とも子どもともつかぬ顔をしています。その黒い眼は生きているとしか思えません。
ときどき、またたきするのは、人形を踊らす人がうしろで糸をひくのです。
子どもたちは、そんなことはよく知っています。しかし、人形がまたたきすると、
子どもたちは、何だか、ものがなしいような、ぶきみなような気がします。
 すると、とつぜん、パクッと人形が口をあき、ペロッと舌を出し、あっというまに、
もとのように、口を閉じてしまいました。まっかな口の中でした。
 これも、うしろで糸をひく人がやったことです。子どもたちはよく知っているのです。
ひるまなら、子どもたちは面白がって、ゲラゲラ笑うのです。
 けれど子どもたちは、いまは笑いませんでした。提灯
(ちょうちん)の光の中で、
――― 影の多い光の中で、まるで生きている人間のように、まばたきしたり、
ペロッと舌を出したりする人形……、何というぶきみなものでしょう。
――― 子どもたちは、思い出しました。文六ちゃんの新しい下駄のことを。
晩げに新しい下駄をおろすものは、狐につかれるといったあの婆さんのことを。
 子どもたちは、じぶんたちが、ながく遊びすぎたことにも気がつきました。じぶんたちには
これから帰ってゆかねばならない、半里の、野中の道があったことにも、気がつきました。
 
肆 (四)
 
 かえりも月夜でありました。
しかし、かえりの月夜は、なんとなくつまらないものです。
子どもたちは、だまって ――― ちょうど一人一人が、じぶんのこころの中を
のぞいてでもいるように、だまって歩いていました。
 切通しの坂の上に来たとき、一人の子が、もう一人の子の耳に口を寄せて、何かささやきました。
すると、ささやかれた子は、別の子のそばにいって、何かささやきました。
その子は、また別の子にささやきました。 ――― こうして、文六ちゃんのほか、
子どもたちは、何か一つのことを、耳から耳へいいつたえました。
 それは、こういうことだったのです。「下駄屋の小母さんは、文六ちゃんの下駄に、
ほんとうにマッチをすって、おまじないをしやしんだった。まねごとをしただけだった」
 それから子どもたちは、またひっそりして、歩いてゆきました。
ひっそりしているとき、子どもたちは、考えておりました。
――― 狐につかれるというのはどんなことかしらん。文六ちゃんの中に狐がはいることだろうか。
文六ちゃんの姿や形はそのままでいて、心は狐になってしまうことだろうか。
そうすると、いまもう、文六ちゃんは狐につかれているかもしれないわけだ。文六ちゃんは
黙っているからわからないが、心の中はもう狐になってしまっているかもしれないわけだ。
 おなじ月夜で、おなじ野中の道では、誰でも、おなじようなことを考えるものです。
そこでみんなの足は、しぜんにはやくなりました。
ぐるりを低い桃の木でとりまかれた池のそばへ、道が来たときでした。
子どもたちの中で誰かが、「コン」と小さい咳
(せき)ををしました。
 ひっそりして歩いているときなので、みんなは、その小さい音でさえ、
聞きおとすわけにはゆきませんでした。そこで、子どもたちは、今の咳は誰がしたか、
こっそり調べました。すると ――― 文六ちゃんがした、ということがわかりました。
 文六ちゃんがコンと咳をした! それなら、この咳には、とくべつの意味があるのでは
ないかと子どもたちは、考えました。よく考えて見ると、それは咳ではなかったようでした。
狐の鳴き声のようでした。
「コン」と、また文六ちゃんがいいました。
文六ちゃんは、狐になってしまったと、子どもたちは、思いました。
わたしたちの中には、狐が一匹はいっていると、みんなは恐ろしく思いました。
 
 
伍 (五)
 
 樽屋の文六ちゃんの家は、みんなの家とは、少しはなれたところに、ありました。
ひろい、蜜柑
(みかん)畑になっている屋敷にかこわれて、一軒きり、谷地(やち)にぼつんと
立っていました。子どもたちはいつも、水車のところから、少し廻りみちして、文六ちゃんを、
その家の門口まで送ってやることにしていました。なぜなら、文六ちゃんは樽屋の清六さんの
一人きりの大事な坊ちゃんで、甘えん坊だからです。文六ちゃんのお母さんが、よく、
蜜柑やお菓子をみんなにくれて、文六ちゃんと遊んでやってくれと、たのみに来るからです。
今晩も、お祭りにゆくときには、その門口まで、文六ちゃんを迎えに行ってやったのでした。

 さて、みんなは、とうとう、水車のところに来ました。水車の横から、細い道がわかれて、
草の中を下へおりてゆきます。それが文六ちゃんの家にゆく道です.
ところが、今夜は誰も、文六ちゃんのことを、忘れてしまったかのように、送って
ゆこうとするものがありません。忘れたどころではありません。文六ちゃんがこわいのです。
 甘えん坊の文六ちゃんは、それでも、いつも親切な義則君だけは、
こちらへ来てくれるだろうと思って、うしろをむきむき、水車のかげになってゆきました。
とうとう、だれも文六ちゃんといっしょにゆきませんでした。
 さて、文六ちゃんは、ひとりで、月にあかるい谷地へおりてゆく
細道を、くだりはじめました。どこかで、蛙
(かえる)くくみ声でないていました。
  銜み、鑣(くくみ) : 口にふくむこと。くぐもること。
          くくみ声  : 口内になにか入れた状態でしゃべっているような声。
 文六ちゃんは、ここから、じぶんの家までは、もうじきだから、
誰も送ってくれなくても、困るわけではないのです。だが、いつもは送ってくれたのです。
今夜にかぎっておくってくれないのです。
 文六ちゃんは、ぼけんとしているようでも、もうちゃんと知っているのです。
みんなが、じぶんの下駄のことで、何といいかわしたか、
また、じぶんが咳をしたために、どういうことになったかを。
 祭りにゆくまでは、あんなに、じぶんに親切にしてくれたみんなが、
じぶんが、夜、新しい下駄をはいて狐にとりつかれたかしれないために、
もう誰一人、かえりみてくれない、それが、文六ちゃんには、なさけないのでした。
 義則君なんか、文六ちゃんより四年級も上だけれど親切な子で、いつもなら、文六ちゃんが
寒そうにしていると、洋服の上に着ている、羽織
(はおり)をぬいで、かしてくれたものでした。
(田舎の少年は寒い時、洋服の上に羽織をきています) それだのに、今夜は、
文六ちゃんが、いくら咳をしていても、羽織を貸してやろうとはいいませんでした。

 文六ちゃんの屋敷の外囲いになっている、槙
(まき)の生垣(いけがき)のところに来ました。
背戸口
(せどぐち)の方の小さい木戸をあけて、中にはいりながら、
文六ちゃんは、じぶんの小さい影法師
(かげぼうし)を見て、ふと、ある心配を感じました。
 ――― ひょっとすると、じぶんは、ほんとうに狐につかれているかもしれない、ということ
でした。そうすると、お父さんやお母さんは、じぶんをどうするだろう、ということでした。
 
陸 (六)
 
 お父さんが、樽屋さんの組合へいって、今晩はまだ帰らないので、
文六ちゃんとお母さんは、さきに寝
(やす)むことになりました。
 文六ちゃんは初等科三年生なのに、まだお母さんといっしょに寝るのです。
ひとり子ですからしかたないのです。
  初等科 : 一連の教育課程で、初歩の段階を教える科。
        また、私立学校で小学校にあたる課程をさしていう場合もあるようです。
「さあ、お祭りの話を、母ちゃんにきかしておくれ」
と、お母さんは、文六ちゃんの、ねまきのえりを、合わせてやりながらいいました。
 文六ちゃんは、学校から帰れば学校のことを、町にゆけば町のことを、映画を見てくれば
映画のことを、お母さんにきかれるのです。文六ちゃんは、話が下手ですから、
ちぎれちぎれに話をします。それでもお母さんは、とても面白がって、
よろこんで、文六ちゃんの話をきいてくれるのでした。
「神子
(みこ)さんね。あれよく見たら、お多福湯のトネ子だったよ」と文六ちゃんは話しました。
お母さんは、そうかいといって、面白そうに笑って、
「それから、もう誰が出たか、わからなかったかい」とききました。
文六ちゃんは、おもいだそうとするように、眼を大きく見ひらいて、じっとしていましたが、
やがて、祭りの話はやめて、こんなことをいいだしました。
「母ちゃん、夜、新しい下駄をおろすと、狐につかれる~?」
お母さんは、文六ちゃんが、何をいい出したかと思って、しばらく、あっけにとられて
文六ちゃんの顔を見ていましたが、今晩、文六ちゃんの身の上に、
おおよそ、どんなことが起こったか、けんとうがつきました。
「誰がそんなことをいった?」
文六ちゃんはむきになって、じぶんのさきの問いを、くりかえしました。
「ほんと」
「嘘だよ、そんなこと。昔の人が、そんなことをいっただけだよ」
「嘘だね?」
「嘘だとも」
「きっとだね」
「きっと」
しばらく、文六ちゃんは黙っていました。黙っている間に、
大きい眼玉が二度、ぐるりぐるりとまわりました。それからいいました。
「もし、ほんとだったらどうする?」
「どうするって、何を?」と、お母さんがききかえしました。
「もし、僕が、ほんとに狐になっちゃったらどうする?」
お母さんは、しんからおかしいように、笑いだしました。
「ね、ね、ね」
と、文六ちゃんは、ちょっとてれくさいような顔をして、お母さんの胸を両手でぐんぐん押しました。
「そうさね」と、お母さんはちょっと考えていてからいいました。
「そしたら、もう、家におくわけにゃいかないね」
文六ちゃんは、それをきくと、さびしい顔つきをしました。
「そしたら、どこへゆく?」
「鴉根山
(からすねやま)の方にゆけば、今でも狐がいるそうだから、そっちへゆくさ」
「母ちゃんや父ちゃんはどうする?」
すると、お母さんは、大人が子どもをからかうときにするように、
たいへんまじめな顔で、しかつべらしく、
「父ちゃんと母ちゃんは相談をしてね、かあいい文六が、狐になってしまったから、わたしたちも、
 この世に、何のたのしみもなくなってしまったで、人間をやめて、狐になりことにきめますよ」
「父ちゃんも母ちゃんも狐になる?」
「そう、二人で、明日の晩げに、下駄屋さんから新しい下駄を買って来て、いっしょに
 狐になるね。そうして、文六ちゃんの狐をつれて、鴉根のほうへゆきましょう」
文六ちゃんは大きい眼をかがやかせて、
「鴉根って、西の方?」
「成岩
(なるわ=現ならわー半田市)から西南の方の山だよ」
「深い山?」
「松の木が生えているところだよ」
「猟師
(りょうし)はいない?」
「猟師って鉄砲打ちのことかい? 山の中だからいるかも知れんね」
「猟師が撃ちに来たら、母ちゃんどうしよう?」
「深い洞穴(ほらあな)の中にはいって、三人で小さくなっていれば見つからないよ」
「でも、雪が降ると餌
(えさ)がなくなるでしょう。
 餌を拾いに出たとき猟師の犬に見つかったらどうしよう」
「そしたら、いっしょうけんめい走って逃げましょう」
「でも、父ちゃんや母ちゃんは速いでいいけど、僕は子どもの狐だもん、おくれてしまうもん」
「父ちゃんと母ちゃんが、両方から手をひっぱってあげるよ」
「そんなことをしてるうちに、犬がすぐうしろに来たら」

 お母さんは、ちょっと黙っていました。
それから、ゆっくりいいました。もう、しんからまじめな声でした。
「そしたら、母ちゃんは、びっこをひいて、ゆっくりいきましょう」
「どうして」
「犬は母ちゃんに噛
(か)みつくでしょう。そのうちに猟師が来て、
 母ちゃんをしばってゆくでしょう。その間に、坊やとお父ちゃんは逃げてしまうのだよ」
文六ちゃんはびっくりして、お母さんの顔を、まじまじと見ました。
「いやだよ、母ちゃん、そんなこと。そいじゃ、母ちゃんがなしになってしまうじゃないか」
「でも、そうするよりしようがないよ。母ちゃんは、びっこをひきひき、ゆっくりゆくよ」
「いやだったら、母ちゃん、母ちゃんがなくなるじゃないか」
「でもそうするよりしようがないよ。母ちゃんは、びっこをひきひき ゆっくりゆっくり……」
「いやだったら、いやだったら、いやだったら!」

文六ちゃんはわめきたてながら、お母さんの胸にしがみつきました。涙がどっと流れてきました。
 お母さんも、ねまきのそでで、こっそり眼のふちをふきました。
そして文六ちゃんがはねとばした、小さい枕を拾って、あたまの下にあてがってやりました。
 
おしまい
 
友達は全員裏切っても、母ちゃんだけは絶対に自分を見捨てない・・・。
涙ぜずにはいられない感動のラスト。自己犠牲の愛は気高く美しい。
まさに「母親の愛は、海より深くて偉大」です。




 
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