一匹のでんでん虫がありました。
ある日、そのでんでん虫は、大変なことに気がつきました。
「わたしは今までうっかりしていたけれど、わたしの背中の殻の中には
悲しみがいっぱい詰まっているではないか」この悲しみはどうしたらよいのでしょう。
でんでん虫は、お友達のでんでん虫の所にやって行きました。
「わたしはもう、生きてはいられません」と、そのでんでん虫はお友達に言いました。 
「何ですか」とお友達のでんでん虫は聞きました。
「わたしは何と言う不幸せなものでしょう。わたしの背中の殻の中には、
悲しみがいっぱい詰まっているのです」と、はじめのでんでん虫が話しました。
すると、お友達のでんでん虫は言いました。
「あなたばかりではありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
それじゃ仕方ないと思って、はじめのでんでん虫は、別のお友達の所へ行きました。
するとそのお友達も言いました。
「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にも悲しみはいっぱいです」
そこで、はじめのでんでん虫は、また別のお友達の所へ行きました。
こうして、お友達を順々に訪ねて行きましたが、
どのお友達も、同じことを言うのでありました。

とうとう、はじめのでんでん虫は気がつきました。
「悲しみは、誰でも持っているのだ。わたしばかりではないのだ。
わたしは、わたしの悲しみをこらえて行かなきゃならない」
そして、このでんでん虫はもう、嘆
(なげ)くのをやめたのであります。
 
おしまい
この作品に注目が集まったのは1998年。
当時の皇后美智子さまがインドのニューデリーで行われた国際児童図書評議会の
基調講演でこの「でんでんむしのかなしみ」について触れられたのです。
初の民間出身の皇太子妃、そして皇后、上皇后となられた美智子様。
大変な重圧を背負いながら皇室と国民への献身を続けてこられた美智子様を
支えたものの一ひとつに、この「でんでん虫のかなしみ」があったのでしょうか。
 
   【基調講演一部】橋をかける~子ども時代の思い出~   

 まだ小さな子供であった時に、一匹のでんでん虫の話を聞かせてもらったことが
ありました。不確かな記憶ですので、今、恐らくはそのお話の元はこれではないか
と思われる、新美南吉の「でんでん虫のかなしみ」にそってお話いたします。

 そのでんでん虫は、ある日突然、自分の背中の殻に、悲しみが一杯つまっている
ことに気付き、友達を訪ね、もう生きていけないのではないか、
と自分の背負っている不幸を話します。 友達のでんでん虫は、それは
あなただけではない、私の背中の殻にも、悲しみは一杯つまっている、と答えます。
小さなでんでん虫は、別の友達、又別の友達と訪ねて行き、同じことを話すのですが、
どの友達からも返ってくる答えは同じでした。

 そして、でんでん虫はやっと、悲しみは誰でも持っているのだ、
ということに気付きます。
自分だけではないのだ。私は、私の悲しみをこらえていかなければならない。
この話は、このでんでん虫がもう嘆くのをやめたところで終わっています。

 あの頃、私は幾つくらいだったのでしょう。
母や、母の父である祖父、叔父や叔母たちが本を読んだりお話をしてくれたのは、
私が小学校の二年くらいまででしたから、四歳から七歳くらまでの間であったと
思います。その頃、私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。
だからでしょう。最後になげくのをやめた、と知った時、簡単に「ああよかった」と
思いました。それだけのことで、特にこの事につき、
じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。

 しかし、この話は、その後何度となく、思いがけない時に私の記憶に蘇って来ました。
殻一杯になる程の悲しみということと、ある日突然そのことに気付き、
もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが、
私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。

 少し大きくなると、はじめて聞いた時のように、「ああよかった」だけでは
済まされなくなりました。生きていくということは、楽なことではないのだという、
何とはない不安を感じることもありました。
それでも、私はこの話が決して嫌いではありませんでした。


 
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