文法のこと
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言葉と文法

10年以上前に、私がアメリカのサンディエゴに住もうと思っていた時、日系のロイさんという方にずいぶん世話になった。その方の家で見つけた本です。ロイさんは二世である。おそらく、一世であるご両親が英語の勉強のために使用したもので昭和初期の本であると思う。以下の文章は著者名をメモしなかったのでわかりませんが、序文だけは書き取っておいたものです。

文法上の誤りは、極めて僅かの所から起こる場合が多いのである。従って随分文章に熟達せる人でも時に誤りをおかすことがある。これらの誤りを避けるには、一方において立派な教科書で研究すると同時に、他方大家の名文著作を出来るだけ数多く読み正確なる文章を知らず知らずの間に自分の頭に習慣的に入れてしっまって、間違ってしまおうとするときにも、いわゆる文章の口調がおかしいためまちがうことが出来ないというようになるのが良いのである。

文法にあまりこだわることの不利なこと。

  要するに文法なるものは、単に各国語の形式を統一する目的を以て、作文法に一定の標準を定めたに過ぎぬのである。従って文法が国語を生んだものではなく、国語統一の必要上文法ができたのである。故にその基礎となったものは従来の習慣である。それ故に、いずれの国民も、その国語を使用する場合に、文法のために束縛を受けるべき性質のものではないのである。  その使用上の習慣さえ頭にはいっていれば、文法は知らなくとも国語は自由にもちゆることの出来るものである。故に、いずれの国民といえども、その国語を用ゆる場合に、一々文法の法則に照らし合わせるような事はしないのである。従って文法を唯一のガイドとして英文を書こうと思うのは、あたかも日本文を書く場合に日本文典を唯一のガイドとしてを書くのと同一である。

  英語を自国語として使用している国民の使用法を顧みず、やたらに文法のみにこだわり文章をつづる事になれば、その結果英語の習慣と相容れざる変調なものが出来てしまうのである。やはり文法よりも第一に従来の習慣に従わねばならぬのである。従来の英語の習慣を知るには、出来るだけ多くの英書を読んで、あらゆる場合の使用法を知らねばならぬのである。なるべく多くの書物を読んで知らず知らずの間に英語の習慣を頭に入れてしまう必要がある。英語の習慣が十分に頭にはいってしまえば、文法の規則などにたよらずとも、その口調の具合から間違いを容易に発見することができるようになるのである。

故に、結局文法に重きを置くよりは、むしろ容易な書物をたくさん読んで、英語の習慣を胸にきざみこみ習慣的に英語が出来るようにすることが最も肝要である。

It is one thing for a Japanese to learn English, and quite another thing for him to learn to use it.

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 日本の受験勉強英語には、あまり役に立つ話ではなさそうだが、移民しようと思った私にとっては、これぞ、英語の勉強方法であると教えられたようで、胸のすくような思いがした。 学問としての英語を勉強することと、その使いかたを学ぶのは別なようである。

 

((Kenji Hattori's website))