15.2021年の練習録

一昨年より活動レベルが低下したままですが、今年も 2016年2017年2018年2019年2020年 と同様の頁を起こすことにしました。

 

2021年1月:一年の計

昨年末は、昔の仲間と2回集まれて、そこでの老化劣化の自虐大会にて、
・昔からの初見の名手達は、楽譜を見ながら弾くことが難しくなり始めたことを嘆き、
・覚えないと弾けない私などは、覚えたはずの曲が飛んでいくことを嘆いていた、
わけです。

往年の初見の名手のM氏は、
  「弾いている曲が固定されてきたし、きちんと弾けなくなったので、何か一つ”これ”という曲に取り組みたいのだが」
ということで、11月にはプロコフィエフの3番を候補の一つにされてましたが、12月には
  「第1主題のリズムが取り切れないから無理」
と言っていたので、その間にあらためて弾いてみての結論だったのでしょう。

やたらとうまい奴が故意に人間工学に反する困った曲を書いた例
として大昔に私がこの曲を取り上げた(このサイトのどこかにあります)際にも、念頭にあったのは、あのリズムでした。

かくいう私も何か考えてみたいのです。但し、ラヴェル「トッカータ」もプロコ「7番」も、ハイティーンの頃にあこがれるだけだった曲を中高年になってから弾いたのです。これらと負けないくらいに挑戦する気持ちを保てるか、というとハードルは高くなります。

まず、古典派以前の音楽は対象外です。12月にまりんりょ氏が対位法の作品を次々弾いている脇で、

  M氏:「対位法の曲で主題を意識して弾いてる?」
   私:「対位法の曲は弾かないから関係ありません」

という身も蓋もない会話をしていたのでした。
ハイドンは私よりもっと打鍵に切れのある人でないと絵にならない気がします。モーツァルトもベートーヴェンも名人達に任せましょう。

シューベルト編

という訳で、一番古くてシューベルト、ということにして、まずD784(3楽章の方のイ短調ソナタ)を弾いてみました・・・第1楽章で間が長すぎます。第3楽章は指示テンポで弾ければ格好いいですが、弾けそうな気がしません。
忙しいフィナーレつながりで、Op.142の即興曲集の第4曲も弾いてみました。やはり指示テンポで弾けそうな気がしません。
「さすらい人幻想曲」も途中まで弾いてみましたが、長くて切れ目がないことは重大な短所になります。何度か練習しかけては放置、を繰り返しているので、またトライしても同様かもしれません。

最後のソナタ4曲では、一番関心の低いのはイ長調になります。変ロ長調は普通に大好きなのですが、好きな人が多すぎるので回避することにしました。
この4曲中、敗北感が一番強いのはト長調の最終楽章になります。楽譜の見かけ以上に全然弾けません。
ですが、ここは敢えて、元々弾けそうな気すらしていなかったハ短調ソナタの最終楽章をゆっくりと弾いてみました。老化劣化が進行する中ではありますが、左手の基本性能はショパン=ゴドフスキーの2曲を弾くことで向上しており、もしかしたら恰好がつくような気がしてきたので、この楽章を「予選シューベルト組」の予選通過としました。弾けそうかどうか、ではなく、弾き続ける気力を保てるか、だけで選定したようです(ここまで21.01.04)。

ショパン編

シューベルトだと短調でもいいのですが、ショパンの短調は続きけられそうにない自分自身を心得ていますので、大規模曲だと候補が限られてきます。バラ3、英雄ポロネーズ、幻ポロ、舟歌、の中から、舟歌かな、と弾いてみました。学生時代の最後の演奏会で弾いた曲ですが、卒業前のあれこれの記憶とセットになっています。年を取って、それが一段と強化されたようで、心穏やかには弾けません。ショパンの大規模な曲は、スケ4だけ弾ければいい、という数年前の決意を再確認しただけ、になりました。

シューマンは最初から圏外です。リストは色々あるけれど後で検討することにしました。ブラームスはOp.117-1とOp.118-2の各冒頭だけ弾いてみて、これは無いな、となりました。

フランス近代編

ラヴェルで譜読みするのは、トッカータと、本人による連弾編曲のボレロの下パート、の2つだけ、で寿命を迎える予定にしています。今からドビュッシーに手を出すなら「喜びの島」しか思いつきませんが、楽譜が手元にありません。という訳で、フォーレです。
 昨年の忘年会で、まりんきょ氏が晦渋極まりないノクターン12番を聞かせてくれて、これは明らかに私が探している曲からはかけ離れているのですが、問答無用に凄かったので、それよりはこちらよりの同13番を弾いてみました。おぼろげな記憶によれば、十年以上前に最後まで通せたのが片手で数えられる回数、のはずでしたが、予想外に最後までまあまあ通りました。暗譜力は落ちても、元々貧弱だった読譜力の方は落ちにくい? ですが、これも「いかにも短調」な曲で、長く弾き続けられそうな気がせず、保留としました。

スクリアービン編

ソナタ4番は、再び弾けるようになるかもしれませんが、この曲を弾くには他の全てを投げうたねばならないのが既に分かっています。9番か10番の再建も少し考えましたが、もう少し軽く、ということで、「ほのおに向かって」を久しぶりに弾いてみました。譜面は完全に忘れてますが、耳と手が結構覚えていました。圧倒的に手になじみます。卒業前にショパンの舟歌と同時に弾いた曲ですが、当時のドロドロした思いは全部舟歌の方に乗っかっていたようで、こちらはさわやかに弾けます。
 予選通過どころか、本命確定に近い勢いで練習を始めたのですが、一つだけ問題が。家内が、「それ、幽霊の曲だっけ?」と言ってきました。違うよ、と、これも久しぶりに(過去のいきさつはこちら)フォーレの舟歌10番を弾いたところ、
「静かな分だけ幽霊の方がいいわね。」
 極力音量を抑えて弾こうとしていた努力むなしく「やかましい曲認定」されてしまいました。家人不在時の曲として、プロコの5番と入れ替えて練習していくつもりです。「家人在宅時の曲」の枠が、まだ残っていることになります。

初見とは言えない曲ばかりですが、久しぶりに見た楽譜でも思いの外弾けました。色々弾いてみるのが楽しいのも再発見できました。もう少し「久しぶりの曲漁り」を続けてみます。(ここまで21.01.10)

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 ここから、リスト編、バルトーク編、プロコフィエフ編、と予選を続けるはずだったのです。しかしながら、2週間前の本人の思いとは大きく違って、スクリアービン「ほのおに向かって」と、フォーレ「ノクターン13番」とを練習し始めていました。「ほのおに向かって」が家内の前では弾きづらくなった時に、何となくもう一度「ノクターン13番」を弾いたのが、心変わりのきっかけでした。

 短調の曲を好んでいませんでしたが、コロナ騒動の中で心境の変化があったのでしょう、シューベルトでも短調の曲を敢えて弾いていました。その中で、この「13番」が最終結論だったようです。この続きは来月分に回すとして、久しぶりに弾いた曲を列挙します。

 プロコの7番、ラヴェルのトッカータ、ショパン=ゴドフスキーのエチュード2曲、を維持したまま何か付け加えたい、という贅沢を抜きにしても、リストの「スペイン狂詩曲」は到底無理です。なので、リストでは「泉のほとり」「結婚」「メフィストワルツ3番」などなどを念頭においていましたが、弾いてみたのは「チャルダッシュ・オブスティネ」、16分音符のアルペジオを「枯野に吹き抜ける一陣の風」のようには弾けそうにない、のを再確認して終わりました。
 バルトークで弾きたいのは「戸外にて」なのですが、弾けないと分かっています。なので「ミクロコスモス」の最終曲を弾いてみて、まあ、これではないのだよね、となりました。
 プロコフィエフでは、ソナタ3番はスルーして、ソナタ9番の3楽章を弾いてみました。この楽章を最後まで通したのは初めてかもしれません。ABA’B’の構成で、Aの主題も美しいし、B’に還ってくる直前の左手5連符のところなど、プロコ全作品中でも秀逸の部類だと思うのですが、Bの部分の運動神経直球勝負が私の手に負えないことを再確認して終わりました。

備忘の為:1月に入って、B7 が切れた、と思ったら、一週間も経たずに隣の B7-C7 も切れて、B7 が全く鳴らなくなったので、急遽張弦してもらいました。どちらも記録にはないので、新品時に付いていた弦か、4年以上前に張ったものか、のどちらか、ということになります。(ここまで21.01.24)

 

 

 
2021年2月:フォーレのノクターン13番

中途半端にフォーレの作品を知っていると、そして、夏井医師のこちらや、まりんきょ氏のこちらのような賛辞をみてしまうと、ノクターン6番の次に13番、というのが恥ずかしいような気にはなります。ベートーヴェンで例えると、
  「一番有名なのは熱情ソナタ? じゃ、それ練習して・・・一番凄いと言われているのは32番? じゃ、次はそれ練習しよ」
・・・のようなものになってしまっているのではないか、とも思えるのです。が、空気を読まないジジイは、最早そういうのは気にしないことにしました。

7分くらいの曲のようですが、今は10分を越えるくらいで弾いてます。アンダンテが少し遅めで、アレグロでも殆ど加速せず、3連符になった加速感だけで済ましている、ようです。楽譜は決して見易くはないです。同じ小節内で、FナチュラルとEシャープとが並んでいるとか、全然うれしくないのですが、耳疾の進んだ作曲者にそう聞こえていたのなら仕方ない、と諦めるしかないのでしょう。

そういうのは抜きにして、指の動きのことだけ言えば、割と自然です。だからこそ、練習が続けられております。Allegro の中で2分の3拍子になってからの、アルペジオとスケールを取り交ぜて大きな動きになるところ(106小節〜)など、何も考えなくても指が決まりました。それだけに119小節から122小節の、両手での6度スケール、半音階のようで時々全音が混じる、の難しさが際立ちます。弾くたびに違う指で弾いてしまい、全然進歩しません。

昨年末のM氏の質問、「対位法の曲で主題を意識して弾いてる?」に対して、「対位法の曲は弾かないから関係ありません」という身も蓋もない回答したこの私が、予想外に弾き始めたこの曲、特に Andante の部分は、対位法をかなり強調した記譜になっています。これについては、
  「分かりやすいところは横の流れを意識するけれど、楽譜を見ないと分からないところは音を順に拾うだけ」
というところです。Allegro でも「いかにも」な78小節から89小節なら、そのようなつもりで弾いています。妙な比較かもしれませんが、スクリアービンの8番の方が横の線を意識する頻度は余程高くなるように思います。

もう一つの「ほのおに向かって」の方は、割と順調です。1小節の中の9:5は分け方を思い出したら完成しました。1拍の中での9:4と9:5は、最初は分け方を決めて通るようにして、それからスピードを上げるとそんな細かいのはどうでもよくなっていくのですが、この過程が36年前をなぞっています。久しぶりにその36年前の演奏を聞いてみると・・・うーん、速い。まだこのテンポでは弾けません。(ここまで21.02.13)

 

 

 
2021年3月:たまには部分練習

先月から今月にかけてやっていた、「ペネロペ」への字幕付けは、ピアノを弾くのは憚られる時間帯のみに集中して猛然とやっていましたので、ピアノを弾く時間はいつも通りに確保できていました。というころで、

大して上手くもないものが人前で弾こうとしたら欠かせない部分練習ですが、人前で弾く気がないので、最初から最後まで通してばかりで、そうなると、弾けないところは弾けないままを指が覚えてしまうのです。そこを一念発起して、やり玉に挙げたのが、
・スケ4、主部で本格的に短調に傾いてからヘミオラ風に至る、8分音符の連続
・プロコ7第1楽章、冒頭頁、特に下半分
です。右手で1小節6つの8分音符が延々と続く点で共通しています。

なぜ長年弾けないことを承知しながら改善が進まなかったのか、今頃になってようやく気づきました。それぞれリズムが私には取りにくいのです。それをずるずる繋いだまま弾いても、向上につながるような練習にはなっていなかったのです。リズム感と読譜力が、私がさして上手くなれない二大原因、とあらためて思います。

プロコ7の冒頭で、最初は30分頑張ろうとして10分で力尽きたりしてましたが、そのうちに要領が徐々に分かってきました。どちらも細かく分けて、スケ4は1小節単位で、プロコは3連符単位で、一呼吸置きながら弾くと、ようやく外さないで弾けます。ヘミオラ風が混じるスケ4はこれ以上細かく分ける訳に行かないあたりが、プロコ7は左手が不規則に割り込むところが、それぞれ難易度を上げているのでしょう。そのまま速度を上げられればいいのですが、そうもいきませんで、ゆっくり弾いています。

それにつられて、部分練習をしていない曲もゆっくり目大人し目で弾いていて、打率は上がっています。これでいいのでしょう。(ここまで21.03.21)

 

 

 
2021年4月:テンポ考

少し前から考えていたことですが、敢えて文章化したそのきっかけは、後述のブルックナーの交響曲だったりします。
#「一般クラシックファンには人気でも、ピアノ弾きが関心を示さない作曲家」の最右翼がブルックナーかもしれません。

一つの曲、一つの楽章の中にテンポ変化の指示のある曲は珍しくありません。今練習しているレギュラーメンバーだと、フォーレのノクターン6番13番、スケ4、プロコ7番の第1楽章には、途中にはっきりしたテンポ変化の指示があります(プロコ7番第2楽章も最後に Tempo I がありますが、これは途中の変化がはっきりしないので一応除きます)。なのですが、この私、例示した全てにおいてテンポ変化を殆ど付けずに弾いております。

フォーレの6番はまりんきょ氏の解説にあるように、複雑かつ理解困難なテンポ指示になっており、最初から最後まで同じテンポというわけには行きませんが、Adagio と Allegretto は8分音符単位では同じテンポ、Allegro は丁度倍テンポにして、後の方のテンポの読み替え指示で元に戻れるよう心掛けているので、同じテンポのつもりで通しきれないのは、Allegro と moderato が交代するあたりだけ、です。

これ以外の例示した3曲では、本当にテンポを変えようとしていません。思い返してみると
速い方の指示テンポでは弾けないのでゆっくり弾き、遅い方は速めに弾いて手短に済まそうとする
⇒それで自分を慣らしてしまうと、なぜテンポを変えないといけないのか分からなくなる
⇒そのうち、プロがきっちりテンポ差を付けて弾いているのを聞く方が違和感になってくる
という経過をそれぞれ辿ったようです。

フォーレの13番では、Andante と Allegro でテンポ変えていませんが、3連符があるので速度向上感は出ているつもりです。スケ4に至っては確信犯(←多分日本語として正しくない使い方)で、誰よりも遅い Presto と誰よりも速い Piu lento の組み合わせになっていますし、プロコ7番第1楽章も Allegro と Andantino とでテンポを殆ど変えていないので、29小節間継続する accelerando も crescendo だけで済ませていますが、どちらも表情で「テンポ感」の違いは出ているつもりです。

というようなことを考えていた今月、ブルックナーの交響曲第5、6、7番の「オリジナルコンセプツ」盤を入手しました。
どういうものかは、(少し記述が混乱していますが)こちらの頁に詳しい説明があります。入手する際にはこちらの頁からアナクロな手順になりました。この「オリジナルコンセプツ」の目玉の一つが、第5交響曲の第2楽章のテンポなのです。

「原典版でも初版に引っ張られる形で4/4拍子となっているが、作曲者の本来の指示は2/2拍子であり、テンポ指示が Adagio とあっても基本の拍子が2倍違うのだから、その意味するテンポは2倍違ってくる、つまり従来の演奏は、あるべきテンポより2倍遅いのだ」
という主張です。聞いてみると第2楽章冒頭のテンポは完全に私の好みです。オケが想像を遥かに超えて上手いこともあり、3つの交響曲の全てが非常に気に入ったのですが、
「4/4ではなく2/2だから倍のテンポが正しい」という主張は、フォーレの6番のように速度指示もメトロノーム指示も理解困難な例を見てしまうと、一般化は難しい主張であり、ブルックナーの5番は偶々上手く行った側の例である、とも思えてしまいます。
なお、楽譜校訂者は、第6と第7の終楽章でのかなり遅いテンポを示唆されていますが、これらのCDでは、両終楽章とも概ね「普通の」テンポでした。(ここまで21.04.25)

 

 

 
2021年5月:読譜力のホヤ的生き方

保谷ではなくて海鞘、くせのあるお味の海産物です。私は特に好みませんが出てくれば完食します。このホヤ、脊椎動物門に近縁の尾索動物門に属し、幼体はオタマジャクシのような形態で泳ぎ回り、安定した岩場を見つけると固着して成体に成長しますが、その成長の過程で成体としての生活には不要な脳を無くしてしまいます(くわしくはこちら)。

一音ずつ拾うレベルの譜読みをしたのは、ここ最近ではフォーレのノクターン13番でした。老眼が進んできて、裸眼ではシャープ記号とナチュラル記号とが、目を凝らさないと見分けられないレベルなので、勿論老眼鏡を掛けて譜読みしていました。その時点では確かに読譜力を発揮していました。

しかしこの最近は、老眼鏡なしで弾いています。老眼が改善されたわけではなく、細かいところが見えていないまま、怪しい記憶の補強のために眺めているだけ、読譜力は使っていないに等しい状態です。

老眼の進行故にあからさまになってきましたが、若い頃からこんな調子であったことが思い出されます。最初だけ譜読みを頑張るのですが、ある程度弾けるようになる前に、音と手の形でまず覚えてしまって、その記憶の確認だけのために譜面を眺めていて、そのうち見なくなる・・・暗譜したといえばしたのですが、危ないことこの上なく、曲の途中でコケたら再起動困難になる・・・こんなことを長年繰り返してきたのでした。改めるにはもう老い先が短くなってきました。(ここまで21.05.23)

 

 

 
2021年6月:ほのおに向かって

この曲を特に集中して弾いている訳でもないのですが、ネタに困っていますので。
譜例画像は用意せずに、リンク先の楽譜で説明させていただきます。1頁目が表紙で、楽譜は2頁目から、ですが、最初の2頁はここ数か月全く弾いていません。4頁目の最初から練習しています。

この4頁目は、右手の9と左手の5を合わせるのですが、私はごく簡単に、9の4,6,8番目と、5の3,4、5番目とを完全に重ねています。つまり、小節冒頭を3と2にして、後は丁度で合わせてしまっています。

この頁の下から2段目の左手に16分音符が出てきます。36年前に弾いた時(音源はこちら)には、ここからリズムが取り難くなったのを、テンポを速めて誤魔化しにかかり、これがまた当時は運動神経が今より良かったものだから、何となく誤魔化し通してしまった、という経過でしたが、今回はテンポが落ち気味になろうとも3拍子のリズムを意識して弾くようにしています。今はその方がいいと思っている、ということです。

この先、楽譜に右手(m.d.)左手(m.g.)の振り分け指示が頻発しますが、気にせずに弾いていました。今回しげしげと見てみて、その通りに弾いていない方が多いではないの、と感心しております。

この左右の振り分けでは、終わり近くのトレモロで、途中で左手からに右手に乗り換えるところが、私の工夫です。リンク先譜例の10頁目の最後の小節で、それまで左手でやっていたトレモロを右手に乗り換えます。勿論そこで断絶は発生するのですが、その断絶よりも、その先11頁目の最初の小節にかけてトレモロでのクレッシェンドをかけることを優先しての選択です。11頁目の1段目4小節目も同じです。3回目にあたる11頁目2段目の3小節目は乗り換え無く最初から右手になりますが。

これは36年前も同じことをやっていました。今回練習を再開するにあたり、トレモロを最初から右手にしておけば、断絶なく体力のある右手でクレッシェンドも決まるはず、と思って練習し始めたのですが、トレモロの最初から右手にしてしまうと、その間に体力を奪われて、2小節分のクレッシェンドの爆発力が残せないことが分かりましたので、36年前の路線に戻し、手の乗り換え時の違和感を減らす工夫に走りました。このトレモロでのクレッシェンド(但し楽譜にそう書いてあるのは3回目だけ)に勝負を掛けるのが「私がこの曲を弾く目的の中心」になっておりますので。(ここまで21.06.27)

 

 

 
2021年7月:古典交響曲

 きっかけはウォルトンの交響曲第1番だったのです。そのまたきっかけが何だったのかは覚えていません。多分交響曲史上で有名な方から百番目にも入らない曲ですから、この動画にでもリンクしておきます。ただ、昭和の昔にFM放送をエアチェックした録音で知って以来、私は大好きです。
 で、その覚えていないきっかけから、この曲を思い出し、手持ちのギブソン指揮スコットランド国立管弦楽団のCD(リンク先のよりいい演奏と思います)を聞いて、やっぱりいいよね、と思い、その勢いでピアノ編曲を探してみました。が、1983年没なので著作権が切れておらず、IMSLPには無し、まあ、そう簡単にピアノソロ編曲になる曲ではないと思います。
 というところから、1935年作曲、というところに思いをはせました。近い年代だとバルトーク「弦チェレ」、これは曲調にも通じるものがあります。ショスタコーヴィッチの第5交響曲は大分違う曲に思えます。それよりも時代のズレは大きくなってもプロコフィエフの第5交響曲の方が余程近いと思いました。で、プロコフィエフの交響曲に感心が広がり、この5番もピアノソロは無理だろうね、と思いながら、IMSLPを眺めていて・・・ひょっこりあっさり見つけました、交響曲第1番「古典交響曲」の作曲者自身によるピアノソロ編曲を。

 この曲になると、ウォルトンとは大分違うのですが、元々5番と並んで好きな曲です。元曲は文句なしの有名曲ですが、この編曲は無名なのでしょうか。かのWikipedeaすら、第3楽章のピアノソロ編曲にしか触れていません(英語版も同様でした)。
 さっそくリンク先の楽譜をダウンロードして印刷して(世間ではやっている「iPad弾き」は導入していないのです)、第1楽章から練習を始めています。

 これでもか、という程に音を刈り込んでいて、しかもなお「古典交響曲」に聞こえるところに感心しています。ポジション移動が半端ないので、音が少ない割には簡単でなく、本来のテンポで弾くのは難しそうですが、ボチボチやっていきます。まだ第1楽章を全然弾けていない段階から、家内受けが非常に良かったのも、励みになっています。

 第1楽章は、他の楽章より多く練習した甲斐もあって、ゆっくりなら弾けそうです。第2楽章は最終頁の3連符を右手から左手に受け渡すところに苦戦中です。第3楽章はそのうち何とかなるでしょう。第4楽章はまだ全然弾けてません。(ここまで21.07.25)

 

 

 
2021年8月:引き続き古典交響曲

 今月も何かと低調でした。高3生が居るので、家族山歩きは早々に諦めて、8月9〜11日で家内と二人で「上高地−徳沢ー蝶ヶ岳」の往復を目論んでいました。しかし台風にたたられて、徳沢に着くだけでいい初日もずぶぬれでぐったり、登山を予定していた10日は朝から雨どころか嵐模様だったので、早々に「徳澤園」での連泊に変更しました。それだけではあんまりなので、11日に明神から標高2135mの徳本峠(とくごうとうげ)にだけは登ってきました。

 ピアノ弾く方も徐々に受験生に遠慮するようになり、学校が始まるまでそうそう弾けません。「古典交響曲」は・・・書こうとすると先月分の最後に書いたのと同文になってしまいます。ただし、それそれマシにはなっています。

 第4楽章も本人的には気分が出るようになってきました。
それでも展開部入ってすぐの、声部が重なりながら進行するところ、リンク先のP21、練習番号で59から62のあたりは、指以前に脳がついていけていません。そしてその脳力が老化で劣化しているのを実感しているのです。暮れに間に合うかどうか微妙です。間に合うようなものならもう少し早く形になるはずのような気もしますので。(ここまで21.08.28)

 

 

 
2021年9月:低空飛行継続中

 いよいよ書くことがありません。学校が始まったので、子供がいない間に弾ける機会は増えましたが、徐々に下手になっていくのに対して無駄な抵抗をしているだけ、のような気がします。弾ける時間全部を弾くだけの気力も出てきませんし。

 プロコ「7番」とラヴェル「トッカータ」が完全無人時限定、ショパン=ゴドフスキー「1番」「24番」とショパン「スケ4」が少し甘い条件で、の昨年来のレギュラー、ですが、この中では「スケ4」が明らかに難易度が低いと感じられます。ですが、この曲で既に本来の私の実力からしたら背伸びしているのです。それに加えて、スクリアービン「ほのおに向かって」、フォーレ「ノクターン13番」、プロコ「古典交響曲」まで追加したら脳内キャパオーバーは不可避のようです。「トッカータ」と「1番」「24盤」で怪しい箇所が増えてきましたが、手を打てていません。(ここまで21.09.26)

 

 

 
2021年10月:古典交響曲苦戦中

 7月から弾き始めて、3〜4月が経過しました。第3楽章まではギリギリ人前で弾いてもよさそうな感じになってきましたが、終楽章が厳しいです。8月分で触れた展開部も未だ全然ですが、ここは自主的に音を減らすことで大分楽にする余地があります。それに対し、リンク先のP25、練習番号72、和音を叩いてから即の左手スケールは、基礎練習の出来ていない素人には厳しく、自主的に減らせる音も余りなく、大変苦戦しております。

 なお、ペダルは、第1楽章と第4楽章は皆無を予定しています。ペダルを踏めば伸ばせる音もありますが、それだけのために響きを変えるのは気が進まず、そして、豊かな響きを持たせたい箇所も特に思いつかないのです。その一方で、第2楽章は細かく踏みかえながらもずっと踏みっぱなしにして、響きのコントラストを付けるのを狙っています。第3楽章は中くらいに踏みますが、最後の方に行くにつれ減らしていくことにしています。(ここまで21.10.30)

備忘の為:10/18に張弦&調律、今回張ったのは、A6の2本と、A6-A#6・・・振り返ると、なんとこの2本は昨年張ったばかり・・・と、D7の2本(残った一本はC#7と)と、D#6の2本(残った一本はE6と)、の全部で4本です。少し前までは、別の調律師のセカンドオピニオンを、と考えていましたが、このピアノをドナドナする日まで切れたら張る、と開き直りました。

 

 

 
2021年11月:プロコフィエフのダイナミクス指示

 今月前半は、全力で「悪魔のロベール」の字幕作り替えをやっていました。つまりピアノ弾きとしては、書くことが全然ないので、前から漠然と思ってたことを垂れ流して埋めることにしました。今弾いているプロコフィエフは、ソナタ7番と、古典交響曲の編曲、になります。

 ソナタ7番で思うのは、「 f は ff まで増やす余地を必ず残すこと、mf は弱音の内」 というあたりです。とにかく f に留まっている時間が長いのです。ff から f になるところは、一段落落とす指示だと受け止める必要があります。f 指示が他の明確な指示なく繰り返される時には、「もう一度しっかり上げなおす」のか「もう一度抑えなおす」のか、弾き手に判断が委ねられています。

その一方で、pp p mp mf の記号も継続時間は短いですが、回数はそれなりに出てきます。が、弱音記号間での引き分けは、私には到底出来ません。つまり殆どの場面で、ダイナミクス指示を、「 ff と f と それ以外」 の3通りで受け止めていることになります。何か間違っていると思うのですが、私一人の間違いではない気が強くします。

 古典交響曲のオリジナルの演奏では、おもちゃ箱をひっくり返したような楽しい演奏を好む、というか、大抵そのように聞こえるのです。何も考えずにピアノ編曲を弾くと、大きな音で出してしまうところですが、こちらは pp の時間が長いのです。その中で sf 的な ff が効果的に響く、のが正しい弾き方なのでしょうが、それを意識すると、どうしても速くなってしまいます。まだ全然弾けていませんので、結局のところ「全部抑えて弾く」ことを両端楽章を通じて意識しています。

 この2曲、ダイナミクスの中央がそれぞれ逆向きにズレているようにも思いますが、作曲年代が大きく離れていますし、深く考えないことにしています。(ここまで21.11.28)

 

 

  
2021年12月:年末出撃予定

 低空飛行を続けたまま、今年も年末がやってきました。12月30日午後5時から東中野のALT_SPEAKERに集合と決まりました。出し物の方は・・・
 「ほのおに向かって」を弾くなら、3頁目から弾くのでしょう、現にそこからしか練習していませんし。フォーレ夜想曲13番は私が弾けばキワモノ枠で受け入れていただけないものか、と。「古典交響曲」はゆっくりでしか弾けません。フィナーレは人前に出していいのかどうかまだ悩み中。
 後は全部旧作になります。プロコの7番にしてもラヴェルのトッカータにしても、突然「飛んでしまう」頻度が高くて困ります。ショパン=ゴドフスキーも、特にエオリアンハープが困った状態です。どうなりますやら。(ここまで21.12.25)

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