マイヤベーアのオペラ

悪魔のロベール」(Robert le Diable) 1831年初演
ユグノー教徒」(Les Huguenots) 1836年初演
預言者」 (Le Prophete) 1849年初演
北極星」 (L'etoile du nord) 1854年初演
ディノラー」 (Dinorah) 1859年初演
アフリカの女」 (L'Africaine) 1865年初演

ロッシーニとヴェルディとの間の時期の欧州人を夢中にさせたマイヤベーアの作品には、単なる悪趣味以上の何かがあるのではないでしょうか。俗物的である、というのはその通りでしょう。だからといってワーグナーが高尚か、というと、首をかしげてしまいます。

「ユグノー教徒」「預言者」といった「社会派オペラ」を見て思ったのは「これに喝采したパリの人々はコスモポリタンだったのだろう」ということでした。宗教対立、階層対立という舞台設定はナショナリストには似合いません。もう一つナショナリストには似合わないのが「俗物根性」で、これもコスモポリタンでないと似合いません。

ナポレオン戦争から普仏戦争までの間のパリは真に「世界の首都」と呼ぶにふさわしい町だったのでしょう。そこに暮らす人々の楽観的な自信が、ドイツから来たユダヤ人が、フランス史上あるいはキリスト教史上の恥部を描く作品にも、拘りなく拍手を送らせたのではないでしょうか。

19世紀を通してパリで最も上演回数の多いオペラ作曲家だったマイヤベーアですが、20世紀に入ってから、特に第1次世界大戦後に上演頻度が極端に落ちました。想像するに、フランス人が良くも悪くも以前のようなコスモポリタンではなくなったのと関連があるのではないでしょうか。フランスナショナリズムにドイツのユダヤ人は必要ありません。ドイツ人にしても、ユダヤ人排斥をするしないに関わらず、フランス語のオペラはお呼びじゃあない。かくして、コスモポリタンの時代には世界中で歓迎されたマイヤーベーアはナショナリズムの台頭と共に足場を失った・・・のではないでしょうか。

乱暴なことを言うと、ワーグナーが流行る社会よりマイヤベーアが流行る社会の方が、俗悪であったとしても健全だったと思うのです。

 

 

「悪魔のロベール」(Robert le Diable)

後述のフルトン指揮パリ・オペラ座の公演記録映像に日本語字幕を付けました。こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(10.07.09追記)
DVDフォーマット版も追加しました。字幕作成者のノートは
こちら(10.07.25追記)
改訂字幕版を作りました。リンク先は
こちらにまとめています。字幕作成者のノートはこちら(21.11.13追記)

ネット上に英語で紹介されている粗筋を訳したものがこちら・・になりますが、オペラ座の映像に字幕を付けてみると、ニュアンスが大分違います。この粗筋では、

ベルトラムは実の息子であるロベールを悪魔に売り渡す契約をしていて、それの実現のためにロベールに友人の振りをして近づき、ここぞというところで魔法を使ってロベールを陥れてロベールを自暴自棄にさせようとして、実際そのようになったのだが、そうしているうちにロベールに情が移ってしまい、最後には自分が悪魔のいけにえになることでロベールを救うことにした。

と読めますが、実際のオペラでは、ベルトラムは自分が父であることを明かしてなお、ロベールに悪魔との契約書にサインさせようと、最後の瞬間まで努力を続けています。結局のところベルトラムが何をしたかったのか、完全に腑に落ちたわけではないですが、話全体としては納得できました・・・悪魔の考えを人間がもとより理解できるはずもないですから。

「オペラ座の怪人」、私は映画版(の一つ)しか見てませんが、この冒頭で「悪魔のロベール」初演時の小道具が競売にかけられているのをご存知でしょうか。マイヤベーアの時代のパリでは「グランド・オペラ(グラントペラ)」と「オペラ・コミーク」の二つの流れがあり、「悪魔のロベール」は前者に、ミュージカルである「オペラ座の怪人」は後者の流れを引いているのですが、そういう系譜論議はさておき、怪奇譚の舞台化として「悪魔のロベール」は「オペラ座の怪人」の直接的大先達になります。

粗筋だけで見ていた頃には、底が浅くて「預言者」には大分及ばないように思っていましたが、字幕作って振り返ってみると、これだけ話が展開する作品を台詞も分からずに楽しもうというのに余りにも無理がありました。「預言者」を越えるとは思いませんが、これも名作です。「グランドオペラ」に付き物のバレエ音楽はこれが一番良いと思います。直前の時代のロッシーニに近いコロラトゥーラの饗宴と、続く時代のロマン主義の香りと、の共存には独特の魅力があります。

手持ち音源:

フルトン指揮パリ・オペラ座、ブレイク、アンダーソン、レイミー、ラグランジェ

歌手陣にはロッシーニの名手が揃っていますが、実際このクラスの歌手が歌って初めて魅力が明らかになるようなオペラだと思います。(私が映画版で見た「オペラ座の怪人」では比較になりません。「オペラ座の怪人」の女の子なんか、声が全然出ていないではないですか。あれではオペラ座の観衆が熱狂するはずがありません。)
ブレイクは私の中ではオジリデ(エジプトのモゼ)と分かちがたく結びついていますが、このロベール役でも(そこまではいかないとしても)十分な適性を発揮していると思います。ハイDまで上げています。
アンダーソンは特に「セミラーミデ」で演技の大根ぶりに辟易したのですが、このイザベル役はコロラトゥーラが出来る美人なら演技は不要、という正に「うってつけ」の役だと思います。第2幕の登場のアリアでハイEsまで上げますが、思い切りロマンティックに愛を訴える第4幕の方がさらに印象的です。ただ、この人については歌い方にも少し私の好みでないところがあります。
レイミーはエスカミーリヨ(カルメン)を唯一の例外として、どれを聞いても感心するのですが、このベルトラム役の第3幕でのすさまじいコロラトゥーラは全曲中の白眉だし、レイミーのレパートリーの中でも特筆に値する歌唱だろうと思います。このためだけにこのオペラを聴いてみる値打ちがあると思います。
ラグランジェは、イザベル役より少し低い音域でその代わり演技力が必要なアリーセ役をしっかり歌っていて個人的にはアンダーソン以上に好印象です。

以上の豪華歌手陣を、楽しく見ていられる(プラス、お色気サービス!)演出がしっかり支えており、楽しめます。HouseOfOperaでも入手可能ですが、こちらからどなたでも無料でダウンロード可能な字幕付き映像の方が画質もいいです。(06.08.27初出、10.07.25書き直し)

オーレン指揮ロイヤルオペラ、チョーフィ、レリエ

2012年12月6日公演のほやほや音声が15日にイギリスでラジオ放送され、Operashareに多数出てきました。そのうちの一つをどなたでもダウンロード可能な状態にしてこちらにおいてみました。rar ファイルを解凍すると、全5幕とその間の英語解説が13個のmp3 ファイルで出てきます(第3幕を前後半で分けています)。
自分でヴォーカルスコアとにらめっこしながら字幕つけをやった作品ですから、音声だけでも全ての場面が目に浮かびますし、1985年のパリではカットされていた箇所でも私には大体見当付きますが、初めての方には音声のみは厳しいかもしれません。
レリエのベルトラムが、レイミーに負けず劣らず、惚れ惚れするような低音を聞かせてくれます。ただ第3幕の地獄のワルツでの迫力ではレイミーに及ばないような気がしたのは、映像抜きのせい、かもしれません。是非映像付きで聞いてみたいものです。
チョーフィのイザベルは声の揺れが大きいものの、まずまず安心して聞けます。アンダーソンと何となく似たところがあって(どちらも微妙に好みから外れていて)、そのどちらが良いかは微妙なところです。
Hymelのロベールは、ブレイクの声に慣れた耳で聞くと、なんだか苦しそうに聞こえてしまうのですが、ハイDも出ているので、こういう声なのでしょう、この人も映像つきで聞いたら見直すかもしれません。
アリーセ役もかなりの悪声、と思っていたら、オペラおばさま達には大いに不評のポプラフカヤでした。ランボー役は無難に歌っています。
オケは十分に快調で、録音状態も全く問題なさそうです。もしかしたら、英語字幕の用意が出来た時点でTV放送されるのかも、と淡い期待を抱いています。(2012.12.22)

G. Meyerbeer
ROBERT LE DIABLE
Royal Opera House, Covent Garden Dec.6,2012

Robert:Bryan Hymel (tenor)
Bertram:John Relyea (bass)
Raimbaut:Jean-Francois Borras (tenor)
AliceL:Marina Poplavskaya (soprano)
Isabelle:Patrizia Ciofi (soprano)
Alberti:Nicolas Courjal (bass)
Priest/Chevalier:Jihoon Kim (bass)
Herald/Chevalier:Pablo Bemsch (tenor)
Master of Ceremonies/Chevalier:David Butt Philip (tenor)
Chevalier:Ashley Riches (baritone)
Dame:Dusica Bijelic (soprano)

Orchestra and Chorus of the Royal Opera House,
Conductor: Daniel Oren

さて、この公演が正規盤DVDとして発売されました。輸入盤になりますが、中々読みやすい日本語字幕付きです。字幕の話を先にしますと・・・、私の字幕も結構良く出来ていました。但し、その中で大きく間違っていたのが第4幕冒頭でした。女官たちがイザベルを祝福している、と思い込んでいたのですが、実はイザベルがこれから結婚する別のカップルを祝福する場面だったのでした。言い訳しますと、ネット上の仏語台本では欠けている場面で英語訳詞だけから作った部分だった、パリ公演の舞台が暗くて祝福されるカップルが良く見えなかった(見直したら確かにカップルも映ってました)、など、勘違いを誘発した原因は色々ありました。
 さて、映像で見てみて、一番印象が良かったのがチョーフィのイザベルです。美人なのにいつも額に皺寄せているのが残念、というイメージの強い人だったのですが、コケティッシュな演技が中々可愛い。ちょっとマイヤ・コワレフスカ演じるテレーザ(ベルリオーズ作曲「ベンヴェヌート・チェリーニ」)を思い出しました。パリではアンダーソンが余りに大根なので、ああいう演技になったのかもしれない、などと考えておりました。
 レリエは聞いた印象そのまま、でした。見た目の不気味さも不足せず、皮肉っぽく歌う場面では美声が生きるのですが、地獄のワルツでの凄みではレイミーとはっきり差がつきました。
 ハイメルは映像付だと声の苦しそうな感じは音だけの時ほどには気にならない、のですが、「常人離れした悪魔的な公爵」のイメージにはならず、見た目でも声でも常人離れ感十分のブレイクとは、これも大分差が付きました。
 ポプラフスカヤは最初からそういう目で見ていたので、それ以下にはなりませんでしたが、それにしても四角い顔が大き過ぎます。ラグランジェも結構四角い顔ですが、ラグランジェの方が遥かに美声です。
 演出は、お金をかけて意図的にアニメ風の装置を作った、という印象で、これも、シンプルな装置だけど衣装にはお金をかけて重厚なゴシックロマン風味に仕立て上げた、という印象のパリの舞台の方がずっと好きです。
 作品を損なうような不出来なところはないので、この作曲家と作品を応援する意味でも、DVDをお買い上げいただきたいとは思うのですが、しかし1985年パリの公演の方がレベルは遥かに上だ、とも思います。(2013.10.12)

 

 

「ユグノー教徒」(Les Huguenots

まずはこちらの粗筋をご覧ください。現在日本で容易に入手可能な唯一枚のDVDがこの粗筋からかけ離れた展開になっているのは、非常に遺憾なことと考えています。侮辱されたにも関わらずラウールを救うためにバレンタインが父を裏切る、というストーリー上の要とも見える第3幕がベルリンオペラによるドイツ語盤では事実上カットされ、新旧教徒の対立の合唱だけになっています。それだけに限らず、序曲を始める前から思わせぶりな仕掛けが色々あるのですが、オーストラリアオペラ盤と見比べると、そういう小細工の全てが蛇足で逆効果であるのが分かってしまいます。

この作品は19世紀を代表する偉大なオペラなのです。そういう敬意をもって上演されれば真価を発揮しますが、「19世紀に何故か流行った悪趣味で珍奇な作品」として上演されてしまえば、その通りの印象しか残しません。

「悪魔のロベール」とも共通しますが、ちゃんと上演してくれれば、特に印象的な名旋律が出てこなくても、オーケストレーションから台本まで含めた全体のバランスが素晴らしく良く、総合芸能として思い切り楽しめますし、引き込まれもします。台本のバランスの良さは、例えば主要登場人物の層の厚さに感じられます。主役がラウルとバレンタインとして、マルグリット・ド・ヴァロア、サン=ブリ伯爵、ヌヴェール伯爵、マルセル、も準主役としての厚みを持って描かれています。「シチリアの晩鐘」にしても結局のところ主役級は4人、「仮面舞踏会」も3人としか言いようが無いのに対し、何とも豪華です。

最悪の演出をひどい状態で収録したにもかかわらず印象的だった「預言者」の方がさらに上のような気もしますが、ちゃんとした上演のちゃんとした記録があるこちらの方を優先的にお勧めした方が良さそうです。
ストーリーに納得できないところがある、というあたりをこちらに書いてみました。

 

手持ち音源:

ショルテス指揮ベルリン・ドイツオペラ

ドイツ語による上演で日本語字幕こそ付きますが、お勧めは出来ません。最悪なのが第3幕のカットですが、その他にも色々ありました。日本語字幕で言うとマルセルがラウルの「兄」として出てきたところで随分混乱させられました・・・使用人だけれど宗教上の兄貴分、というつもりだったのでしょうか?。プールまで持ち込んだ演出は金は掛けたのでしょうが、趣味が悪く、作品に全く合っていません。ラウル役はしっかり歌えてはいますが、声も軽い上に顔も童顔過ぎて、誤解からでも激してしまう一本気なキャラクタには全然見えません。

ボニング指揮オーストラリアオペラ

これを見なければ、作品ごと誤解してしまうところでした。ベルリン・ドイツオペラ盤で聞いていたはずなのに、全てが新鮮に聞こえました。サザーランドのオーストラリア引退公演として上演されたものですが、まずサザーランドに対する敬意の深さを思い知らされます。そしてその晴れの日の題目に選ばれたこの作品にも相応しい敬意をもって取り組んでいることが素晴らしい結果に繋がっています。歌手陣は皆立派です。ラウル役は姿といい太い声といい、ドイツオペラ盤の比ではありません。録音のせいもあるのでしょうが、バリトンからバスにかけての男声陣もみな格好いい声に聞こえます。サザーランドも引退公演だというのに文句なく一流以上の水準で歌っています。バレンタイン役が最初は芋っぽくみえたのですが、芝居が進むにつれてどんどん美人に見えてきましたし、歌は最初から好調です。

 
マリオッティ指揮パリオペラ座

2018年10月4日の公演です。かなり良さそうな感じなので、字幕を付け始めています。字幕作成者のノートはこちら。徐々に紹介していきます。
ミュンヘンで「セミラーミデ」を振ったマリオッティが指揮しています。
出所はこちら↓のようです。
https://culturebox.francetvinfo.fr/opera-classique/opera/les-huguenots-de-meyerbeer-par-andreas-kriegenburg-279543
仏語を解さないので良くわかりませんが、私が手に入れたのと同じ映像が流れるらしいですが、私のところから試した範囲では毎回エラーになるので視聴できたことはありません。
期限付きで視聴可になっているような気がしますので、見るならお早めに。(ここまで
18.10.21)

字幕をつけました。こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(18.12.02追記)
オーストラリアオペラ盤を見直さないと比較できませんが、こちらも高水準の公演だったのだろうと思います。
見るからに東洋系の顔立ちのラウルですが、旧教徒の中に一人紛れ込む堅物の新教徒という設定に、良く合っています。惜しむらくは、後半で疲れが出て、第4幕の愛のヂュエットで声が裏返りかけ、5幕の終わりの方は声量不足に陥りました。
バレンタインとヌヴェールとマルセルは、ここで歌った人が一番いいように思います。マルグリットとサン=ブリも悪くありません。
演出は、ちょっと微妙なところが色々あるのですが、細かい話になるので、大きく気になるところは無かった、とだけ書いておきます。(ここまで
18.12.02)

 

 

「預言者」 (Le Prophete)

後述のウィーンの映像に日本語字幕を付け始めました。字幕作成者のノートはこちら(11.06.11追記、11.09.23更新)
⇒まずDVDフォーマット版の公開しました。
こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(11.08.28追記)
⇒引き続き、avi版を公開しました。
こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(11.09.09追記)
トゥールーズの公演動画にも字幕をつけました。
こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(18.09.30追記)

まずはこちらの粗筋をご覧ください。アナバプティストは19世紀の社会主義者の暗喩なのでしょうか。ワーグナーの作品にはかけらもみられないような種類の問題意識があり、これだけでも引き付けるものがあります。粗筋レベルで私が惜しいと思うのは第3幕です。ベルテが自殺を図った前後をオーベルタールに語らせる代わりに、この幕を、

まず舞台上で身の不幸をなげくベルテ(「運命の力」のレオノーラのイメージ)、彼女をくどくが拒絶されて怒るオーベルタール、決死の逃亡を図って助けられるベルテ、それを見て嘆くオーベルタール、そこに乱入して暴虐を尽くすアナバプティスト軍、その様子を見てとまどうジャン、つかまったオーベルタールが「ベルテは何某がミュンスターに連れて行ったはず」と言うのでミュンスターへの行軍を命じるジャン・・・

と、舞台をドルトレヒトに持ってきて(ローラースケート付きバレエなど要らない!)、ベルテとオーベルタールに焦点を当てれば、ぐっとヴェルディみたいになって良いのに・・・・と思うのは、あまりにもヴェルディに寄り過ぎた見方だ、という自覚はあります。第3幕後半の、ジャンが預言者としてのカリスマ性を発揮して兵士を鼓舞する場面の迫力はマイヤベーアならではで、これを省くわけにもいきません。

もう一つヴェルディ寄りから見て違いを感じるのが、これが母と子の物語であるという点です。ヴェルディで母親というと、アズチェーナ(イル・トロヴァトーレ)の他はヴィクリンダとソフィア(イ・ロンバルディ)の端役二人だけ、その一方で父親ばかり描いたヴェルディでした。

音楽は、ヴェルディファンに語らせれば勿論「ヴェルディの最良のものには及ばない」ということになりますが、間の持たせ方が上手い、とは思います。ヴェルディの「場面ぴったりの印象的な歌」、ロッシーニの「場面お構いなしに繰り出す美旋律の洪水」、そのどちらにも及びませんが、長丁場を退屈させずに流すのは上手いのです。
#ロッシーニには及ばないとしても、シューマンの比ではない!
そうした中でも、第2幕で助けられたフィデスが語りかけるアリア、第5幕でベルテを失ったジャンがやけくそで歌うバッカナールといったあたりは現代の耳で聞いても充実しており、ヴェルディもワーグナーもその当時大いにお手本としたところでしょう。

ジャンをめぐって母と恋人とで微妙な三角関係を描く音楽も見事です。元々偽預言者だったはずのジャンがやがて本物以上のカリスマ性を身に着けていくのも迫力があります。そういえば、オテロにしたところで英雄ではあってもカリスマの持ち主ではないし、ローエングリンにしても妙な”神性”はあってもカリスマ性はありません。このオペラが流行っている間はヒトラーの出る幕は無かったのではあるまいか、などと想像が膨らんでしまいます。

私の好みでは、「イル・トロヴァトーレ」「ラ・トラヴィアータ」より好き、「リゴレット」には及ばない、となりますが、この3曲だと同じオペラとは言っても世界が違いすぎて比較の対象にならない気がします。正面から比べられるのが「シチリアの晩鐘」、これなら「預言者」の勝ちです。さすがに「運命の力」「ドン・カルロ」には及びませんが、「仮面舞踏会」とならいい勝負、でしょうか。今のところ、ですが、「ユグノー教徒」よりずっと上のように思っています。

この文章↑を書いてから後に、「ドン・カルロ」の、初演に近い形態と思われる、パリ・シャトレ座盤を聞いたときには、この「預言者」との類似性を強く感じました。当時の文章を再掲しますと、「このオペラは(世界の首都である)パリでの勝利を狙ったヴェルディの戦略作であり、パリで最高の評価を得ていたマイヤベーアの作風に意図的に近づけて作成された、ように思いました。」
トゥールーズ公演録画も見た今では、「ドン・カルロ」初演稿では、「預言者」を上回るという狙いが十分達成できなかったのでスカラ座改訂版が必要になったのだろう、とも思いますし、ウィーンではカットされていた第4幕の混乱の大合唱は「オテロ」の第3幕大詰めの大合唱に匹敵する、とも思います。(この箇所'18.10.08に追加)

このオペラの発表当時に、ヴェルディとワーグナーがそれぞれ受けた衝撃の吐露は、英語でならこちらで読めます。

この「預言者」の音楽に触れるのに一番入手が容易なのは、リスト編のピアノ曲だと思います。このCD丸々一枚6トラックで一番印象的な「アド・ノス」は主題だけ「預言者」から持ってきた、マイヤベーアというよりはリストの作品です。リスト編では陰気ではあっても壮麗に響いた主題は、本当はアナバプティストの邪悪さを示すライトモチーフとなり、印象的ではありますが、「壮麗」には程遠いのです。前半3トラックは、オペラから美味しいメロディをつまみ食いした編曲になっていて、こちらは予習に使えます。

 

手持ち音源:

ヴィオッティ指揮ウィーン国立歌劇場、ノイエンフェルス演出、ルキアネッツ、ドミンゴ、バルツァ

HouseOfOpera盤(DVDCC1098)です。おそらく客席隠し撮りVTR映像から起こしたものです。これを所有するだけで法律違反なのかもしれませんし、主義としてこの類のものは見ない、という向きにはお勧めしません。私の言い分は「これだけの作品をこれだけのメンバーで上演しているにもかかわらず正規の記録を残さなかった怠慢を棚に上げて著作権も何もないだろうが!」です。

冒頭、客席が暗くなったところで鞄からカメラを出しているうちにプレリュードが始まってしまった、の風情で、しかも猛烈なフラッタで先が思いやられますが、5分付近で一応フラッタは落ち着き、9分過ぎに一度画像が乱れた後は一段と音質も安定します。最後10分くらいでジリジリいうノイズが大きくなりますが、それ以外の中間部分はそういうものとしては良く出来ている方ではないかと思います。カメラワークは素人離れしていて、落ち着いて見ていられます。

演奏評は英語でならここで読めます。うんと手短に言うと、最低最悪の演出、やや不評の指揮、優秀なオケ、満足すべきドミンゴとルキアネッツ、最高のバルツァ、でしょうか。

演出にはある種の分かりやすさはあります。が、どうも作品に対して敬意を全く払っていないらしいところで、ほめられたものではないでしょう。演出全般の好み以前に、幕切れが何だか分からなかったのですが、こちらで見つけた台本を自動翻訳(仏英翻訳はここでかなり読める英語が出来ます)にかけて読んだところ、大幅に省略されていることが分かりました。この点もいただけません。オケと指揮については私にはよく分かりません、少なくとも悪いものではないと思います。
#なんでまた、スペイン語対訳つきの台本だけがネット上に転がってるのだろう?

ルキアネッツは若々しい舞台姿は申し分ないものの、高い声を出すときにエイッと構えてしまうのが聞いている方もしんどくなります。音を下から探るようにして取るので、メロディが聞き取りにくいのです。デヴィーアとかセッラとか、本格派の超高音ソプラノに任せたほうが良かったように思います。

ドミンゴは、本来あるべき高い音を大分はしょったのでしょう、Aくらいまでしか出していないように思われます。舞台評での減点はこの部分に集中しているようですが、どこを省略されたか分からない私には、素晴らしい歌唱と聞こえました。演技のし過ぎが空回りすることもしばしばあるドミンゴですが、このオペラでは全力で演技して歌ったのがちょうどいい感じになっています。ヴェルディの諸役ではドミンゴの持つカリスマ性を全て発揮するには器が小さすぎた、のかもしれません。あえて言うとバルツァと親子には見えない舞台姿は気になりました。

バルツァも文句なしです。ちゃんとルキアネッツの義母にも見えます。最終幕で息子に恨み節をぶつけるところでは、その素晴らしい歌唱力(演歌用語)から、「ドン・カルロ」で自分が愛されていないと気づいたエボリを思い出しました。

以上、怪しい盤ではありますが、私には作品を知る以上に十分楽しめました。ドミンゴとバルツァをここまで本気にさせる作品が駄作のはずがありません!(以上06.06.24)

DVDAA1103で取り直してみました。2010年11月発注の2011年5月発送6月到着、と相変わらずのHauseOfOperaクオリティです。大元は前のものと同じ、というか、多分世の中にこれしか存在しないのでしょう。間違っても売り物DVDの水準を期待してはいけませんが、撮影以降での乱れがかなりマシで、冒頭のフラッタも末尾のジリジリ音もなく、画像も比較すればマシです。主義としてこの類のものは見ない、という向きにはお勧めしませんが、愛情を持って接することが出来るのであれば十分楽しめると思います。画質確認のつもりで見始めて一気に全部見てしまいました。幅広いドミンゴのレパートリーの中でも本当は最高の当たり役だったのではないか、とさえ思えます。(11.06.05追記)
こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(11.08.28追記)

⇒この映像のみにある、ベルテの自殺シーン(初演時にあったものを作曲者がカットしたものらしいです)の歌詞が10年ぶりに分かったので、その部分だけ修正したものをアップロードしなおしました。歌詞の内容はこちら(21.06.19)

 

 
Flor 指揮トゥールーズ歌劇場、オズボーン、アルドリッチ

ついにこの作品を、まともな画質音質とまともな演出で見ることができました。それにつけてもウィーンの演出は醜悪を極めていたことよ、と思ってしまいます。その演出に足を引っ張られまくりながらも大いなるカリスマを発揮したドミンゴも凄いのですが、そのドミンゴもこの舞台を見たら、こちらの演出で演じたかったのに、と思うのではないでしょうか。

出所はこちら↓のようです。
https://culturebox.francetvinfo.fr/opera-classique/opera/le-prophete-de-meyerbeer-au-theatre-du-capitole-a-toulouse-271753 
仏語を解さないので良くわかりませんが、私が手に入れたのと同じ映像が流れているようです。
期限付きで視聴可になっているような気がしますので、見るならお早めに。
こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(11.08.28追記)

私の記憶にある歌手が、ジャン役のオズボーンとフィデス役のアルドリッチ、どちらも、この作品に負けず劣らずマイナーなベルリオーズ「ベンヴェヌート・チェリーニ」の、それも別の公演で見た歌手になります。

「ベンヴェヌート・チェリーニ」の2015年の舞台のタイトルロールを歌っていたオズボーンは、声でのカリスマ性の表出ではドミンゴに及ばず、またテノールにありがちな身長なので体格面でもドミンゴの存在感には及びませんが、それでも第3幕で偽予言者と糾弾されたジャン(実は本当に偽予言者)が、状況をひっくり返してカリスマを確立する場面では、当たり前な演出にサポートされた真摯な演技によって、無意味以上にマイナスな演出にも関わらず演技と声だけでカリスマを発揮したドミンゴに劣らないカリスマを確立できていたように思います。

同じ「ベンヴェヌート・チェリーニ」でも2007年の舞台でアスカーニオを歌っていたアルドリッチは、その時には何とロボットに扮していたので良く分からなかったのですが、こちらの舞台のフィデス役で見ると凄い美人です。到底オズボーン演じるジャンの母親には見えません。こちらの歌唱はウィーンで歌っていたバルツァには及ばないように思えます。そういえば、ですが、バルツァの方は、さほど演出に足を引っ張られていなかった、のでした。当時のバルツァの方が年恰好でもフィデス役に相応しかった、というのもあります。こうなると、バルツァの「歌唱力」とハンデ無しで比べられて、聞き劣りしない歌手など、そうそう居るはずありません。という訳で、比べてしまうとやや否定的な印象になってしまいますが、普通に言えば水準以上の歌唱だったのだろうと思います。演技も、美人過ぎることに文句を言わないのならば(私は言いません)、文句なしでしょう。

↑と、最初書きましたが、字幕を付けて改めて見直すと、バルツァのアクの強さは無くとも、こちらもこちらで、バルツァに並び立てる最高のフィデスと思えました。バルツァも勿論最高のフィデスなのですが、最高のフィデスへのアプローチは一つでは無かった、と思い直した訳です。奇麗過ぎて素敵過ぎて、乞食に身を落としたようには全然見えないという違和感はありますが、歌唱も演技も姿もとにかく素敵です。(08.09.25にこっそり追記)

ベルテを歌う Fomina は、ルキアネッツより高音向きのソプラノのようです。声の厚みはありませんが、高音でも音程が安定していて、ベルテには向いていると思います。若々しい姿も演技も中々結構です。

その一方で、敵役陣は、ウィーンの公演には及ばないように思います。一番残念なのが、オーベルタール役で、演技が絶望的に大根です。Jonas 役はまずまず良いです。Zacharie役は健闘するも及ばず、というところです。出番の少ない Mathisen 役は、まあどうでもいいでしょう。

このアナバプティストの印象は、指揮にも左右されているような気がします。「アド・ノス」のテーマを、遅いテンポでそれはそれは禍々しく鳴らしたウィーンの公演に比べると、こちらは随分と普通に聞こえます。テンポが速いので飽きずに済む、という面もあるとは思いますが。

ウィーンの公演で聞き覚えの無い箇所が幾つかあったように思いますが、記憶のある場面の中に、ちょっとした記憶に無いフレーズが挟まる、という感じの箇所ばかりで、それほど大きな塊ではなかったように思います。

逆に、「ウィーンの公演であったけれどこちらでは無かった場面」を認識するのは一段と難しいのですが、少なくとも、ベルテの自殺の場面でのスコアに無い台詞は、こちらでは入っていません。

演出に戻りますと、これは比較対象があまりにアレなので、一方的に優れている、と言うしかないのですが、第1幕の終わりで農民を演じていた人達が、幕が降ろされることなく第2幕のジャンの酒場の客に早変わりするのは、予め話を知っていないと混乱必至なので、どうかな、と思うのと、第5幕のヤケクソでバッカナールを歌うジャンの周囲がゾンビみたいなのも、どうかな、とは思いました。

というわけで、素晴らしく良いものが仏語字幕つきの状態で手に入ったのですが・・・日本語字幕をつけるかもしれません。(以上18.09.08)・・・付け始めました。くわしくはこちら(18.09.16)

字幕が完成しました。とりあえず、
https://1fichier.com/?8z27cmj0xgn6lu7itjyz
から、zipファイルをダウンロードして、解凍いただくと、フランス語、英語、日本語の字幕データが出てきます。日本語はUTF-8でエンコードされています。
元ファイルをお持ちであれば、それを「VLCメディアプレーヤー」で再生して、字幕トラックを追加すれば、字幕つきで再生できます。「VLCメディアプレーヤー」は、「ツール」→「設定」→「字幕/OSD」の順に開けていただき、「デフォルト円コーディング」を「ユニバーサル(UTF-8」に、「フォント」を「Meiryo UI」に、それぞれ変えると上手くいくと思います。
近日中にDVDフォーマットでも公開する予定です。(ここまで19.09.23)

字幕付きDVDデータをアップしました。
こちらからどなたでも無料でダウンロード可能です。(18.09.30追記)
ウィーン vs トゥールーズのカット比較はこちら(18.10.08)

Theatre du Capitole de Toulouse, 02-07-2018
* Giacomo Meyerbeer: Le Prophete”

Orchestre national du Capitole
Chef d'orchestre Claus Peter Flor
Metteur en scene Stefano Vizioli

John Osborn - Jean de Leyde
Kate Aldrich - Fides
Sofia Fomina - Berthe
Mikeldi Atxalandabaso - Jonas
Thomas Dear - Mathisen
Dimitry Ivashchenko - Zacharie
Leonardo Estevez - Le Comte d’Oberthal
Choeur et Maitrise du Capitole

Choregraphe Pierluigi Vanelli
Costumes Alessandro Ciammarughi
Lumiere Guido Petzold
Decors Alessandro Ciammarughi

 

 

「北極星」 (L'etoile du nord )

ヘルシンキの映像に日本語字幕を付け始めました。字幕作成者のノートはこちら(19.06.30追記)
ヘルシンキの映像を字幕付きで公開しました。リンク先は
こちら(19.07.13追記)

マイヤベーアが作曲した最初のオペラ・コミック、ということになるようです。ロシアのピョートル一世(ピーター大帝)が、船大工として働いていたことがあり、その史実を元にして後年多数製作されたフィクションの一つになります。
幕切れが余りにも都合良過ぎるとは思いますが、それ以外は素直に楽しめる話で、「おとぎ話」として「ディノラー」よりは受け入れやすいように思います。音楽のレベルではいい勝負でしょうか。
主役のピーターは、どう見てもヘルデンテノール向きの役だと思うのですが、これがバス役というのには、かなり違和感があります。但し「ディノラー」と比べると、歌手への要求はそれぞれ非常に高いです。(オリジナル譜面通りかどうかは知りませんが)女声二人で高いEsのユニゾンの長伸ばしまで出てきますので、この二人とも主役級のコロラトゥーラソプラノでないと歌えそうにありませんし、男声の脇役もそれぞれ難しそうに聞こえます。

手持ち音源:
フィンランド・ヘルシンキでの公演記録のようです。舞台の上にオケが居て、その後ろをさらに高くしてメインの舞台にしています。装置は皆無ですが、中々楽しい舞台になっています。
合唱団には中々美人が居るのに、なんでカトリーヌもプラシコヴィアもああなのか、と最初は思いましたが、あれだけ歌わなければならないとなると、経験も要るのでしょう。演技は達者で表情も豊かなので、話が進むに連れてそういうのは気にならなくなります。
ピーター役も威厳とかは今一つ、グリツェンコ役も知性的なオジサマという風貌で、それぞれ役柄には合っていないようにも思うのですが、こちらもこれだけ歌える歌手はそうそう居なかったのでしょう。脇役テノールの二人には見た目も歌も違和感ありません。
この公演に字幕を付け始めています。分からない部分を残しつつも既に第3幕に入っています。(以上19.06.23)
ヘルシンキの映像を字幕付きで公開しました。リンク先は
こちら(19.07.13追記)

West Coast Opera Kokkola Helsingin Musiikkitalossa 11.11.2017.
Libretto: Eugene Scribe.
Musiikinjohto - Sakari Oramo, ohjaus Maria Sid, koreografia Marko Keranen, kuvajaiset Juha Mustanoja ja Rasmus Vuori, valot Joonas Tikkanen.
Rooleissa: Katariina - Anu Komsi,
Prascovia - Anna Palimina,
Natalie - Johanna Lehesvuori,
Ekimonna - Annastiina Tahkola,
Tsaari Peters - Michael Leibundgut,
Gritzenko - Heikki Kilpelainen,
Ismail Danilowitz - Herman Wallen,
Georges Skawronski - Oliver Kuusik.

 

 

「ディノラー」 (Dinorah)

マイヤベーアが作曲した2つ目にして最後のオペラ・コミック、ということになるようです。気が向けば、英語版Wikiにある粗筋を和訳するかもしれませんが・・・かなり無理のある「おとぎ話」です。これでも当時の「大衆」には受けたのでしょうか。音楽のレベルは高いのですが。
主役のディノラーは一流のオペラ歌手でないと歌えそうにありませんが、その相手役はテノールではなくてバス寄りのバリトン、準主役のテノールにも高音は要求されていないようです。それまでのグランドオペラでマイヤベーアは、ロベール、ラウル、ジャン、と主役テノールに多大な負担をかけてきたのですが、オペラ・コミックでのテノールに合わせて作曲したのかもしれません。

手持ち音源:
ジョルダン指揮コンピエーニュ王立劇場
2006年に HouseOfOpera から購入してから丸13年寝かしていたものを、思い立って見てみると、結構楽しめました。
割と平易な英語の字幕が付くのですが、話の方に無理がありすぎるので、当時は理解しがたかったのではないか、と思います。英語版Wikiを読んで、粗筋を予め理解してから、同じものを見てみて、中々なものだと分かった次第です。
入手時点で正規盤が発売されていることに気づいていたのですが、その正規盤が廃盤で今は入手困難です。なので、今更お勧めしようにも、正規盤DVDが再発されるまでは、動きが取れないのですが。
入手したものの元は放送録画かもしれません。物理的状態は、HouseOfOpera としては良いというか、2002年の収録としては今一つというか、です。
ディノラーを歌う Isabelle Philippe は歌も姿も文句なしでしょう。男声陣はオペラよりはミュージカル歌手の感じですが、演技は達者で、大きな不満はありません。

 

 

「アフリカの女」 (L'Africaine)

4つしかないマイヤベーアのグランドオペラの4つ目です。この作品(とユグノー教徒)にはこちらに普通に粗筋があります。しかし、私はこの筋にはそそられません。「アイーダ」「蝶々夫人」と同じようなスイッチが入ってしまいます。敢えて言ってしまうと、「異国趣味での純愛話は鬱陶しくて嘘臭くてやってられない」です。長いのは4つが4つとも、ですが、特に長さが身にしみます。大河ドラマのような展開で理由のある長さなのですが、ここまで話が展開するなら、「指輪」ではないですが、2晩とかに分けても良かったのかもしれません。

手持ち音源:
アレーナ指揮サンフランシスコオペラ、ドミンゴ、ヴァーレット
英語字幕付きの正規盤DVDで、音質画質に全く問題ありません。ドミンゴの熱演は分かるのですが、ヴァスコ・ダ・ガマ役というのが微妙です。東の国に行ってからはともかく、ポルトガルにあっては単なる向こう見ずな下っ端士官、これがドン・ホセ(カルメン)よりはまだ似合いそうなものなのですが、微妙に居心地が悪いです。ドミンゴに断然似合うのは「預言者」で、こちらは・・カレーラスが似合いそうな役です。ヴァーレットは異国の王女役ですから視覚的にも違和感無く、歌唱はドミンゴ共々立派なものだと思います。演出もごくまともで、この作品を見てみたい方には、リージョンコード1なのを何とかしなければいけませんが、安心してお勧めできます。ただ作品自体が私の好みではありません。

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マイヤベーア マイアベーア マイヤーベーア マイアーベーア マイヤベーヤ マイアベーヤ マイヤーベーヤ マイアーベーヤ
これだけ書いとけば、ヒットするだろう・・・ Meyerbeer

Meyerbeer 表記ゆれ調査結果

・・というわけで、Scriabin 以上に日本語表記の安定しない Meyerbeer の日本語表記を
Googleヒット数で調べてみました。なお、”マイヤベーア”のように引用符で囲んでいます。

表記 ヒット数   表記 ヒット数
マイヤベーア 30900     マイヤベアー 35  
マイアベーア 104000     マイアベアー 7  
マイヤーベーア 2720     マイヤーベアー 283  *2
マイアーベーア 6720     マイアーベアー 6080 *2
マイエルベーア 43     マイエルベアー 0  
マイヤベーヤ 2290     マイヤベヤー 3  
マイアベーヤ 351     マイアベヤー 0  
マイヤーベーヤ 153     マイヤーベヤー 30  
マイアーベーヤ 1  *1   マイアーベヤー 0  
マイエルベーヤ 66     マイエルベヤー 0  
マイヤベア 53     マイヤベル 0  
マイアベア 48     マイアベル 4  
マイヤーベア 1200 *2   マイヤーベル 183 *3
マイアーベア 845 *2   マイアーベル 8 *3
マイエルベア 0     マイエルベル 6 *3
マイヤベヤ 0     マイヤベール 88  
マイアベヤ 0     マイアベール 83  
マイヤーベヤ 7     マイヤーベール 47  
マイアーベヤ 0     マイアーベール 0  
マイエルベヤ 0     マイエルベール 320  
                          *2011.10..20現在
    注:
    *1:1つだけ、この頁がヒット
    *2:ヒットの大半は、ドイツのパン屋のブランド、Maierbaer なのだが、
      我らが Meyerbeer もそれぞれに紛れ込んでいる。
    *3:「マイヤー・ベルント」などがヒットしていて、(多分)我らが Meyerbeer は含まれていない。
      逆に言うと、*3以外は、ヒット数 0 でなければ多少なりとも Meyerbeer が含まれていた。

というわけで、
  [マイヤ・マイア・マイヤー・マイアー・マイエル]
× [ベーア・ベーヤ・ベア・ベヤ・ベアー・ベヤー・ベル・ベール]
=40通り の候補のうち、作曲家 Meyerbeer の表記になっていたのが 26通り もありました。
#この頁がGoogleに見つかったら、その後は40通り全部がヒットするようになる、のでしょう。

・最有力がマイアベーア、次いでマイヤベーア。
・Meyer には マイア > マイヤ > マイアー > マイヤー ≫ マイエル
・Beer には ベーア > ベーヤ ≫ (その他)
・ただし、「マイエル」と「ベール」では、どちらも「マイエルベール」の組み合わせが最強になっている。

と、大勢は妥当なのですが、その一方で「マイアベーヤ」とか結構無茶な表記も一定数見られるのが凄いです。

ちなみに、
私が「マイヤベーア」を選んだのは、前に y があり、後に y が無いから、です。
ついでにいうと「スクリアービン」と表記しているのも Scriabin には y が無いから、です。
ただし Scriabin の場合はアルファベット表記からして一定していませんので、そこは何とも・・・