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地獄などということは、もはや迷信ではないかと人は言うかもしれない。しかしわれわれの生きているこの世界に地獄はないであろうか。われわれの生きている日常生活、平凡きわまるかのように見えるこの日常生活の中に、どんなに深い憎悪や、絶望や、苦悩が隠されていることであろう。そして地獄とは苦悩の世界の別名であるならば、われわれは現在においても、というより永久に地獄の世界を免れることができない。 われわれはすでに知っている。仏教というものは、何よりこの苦悩に対する深い洞察から生まれたことを。四諦という釈迦が説いたもっとも根源的な仏教の思想には、苦に関する四つの真理が語られている。人生は苦である。苦の原因は愛欲である、愛欲を滅ぼせ、愛欲を滅ぼすために正しい行いをせよ。人生の苦とは何か、釈迦はそれを四苦八苦であるとする。生まれる苦であり、病の苦であり、老いる苦であり、死ぬ苦である。この釈迦の発見した真理は、未だ変わらない、あるいは人間がある限り永久に変わらない真理ではないかと思う。生きる苦と病の苦について文明は多少軽減することができたかもしれないが、年をとり、死ぬ苦しみを、人間は今日も、あるいは永久にまぬがれることができないかのようである。 われわれは仏教の人間にたいする洞察の深さを見る。人間の感覚が鋭ければ鋭いほど、人間の苦悩は増すのである。もっとも鋭い感覚と欲望をもつ青年時代、この青年時代ほど強烈な苦悩に悩む時代はない。 日本人に最も鮮烈な地獄のイメージを与えたのは疑いもなく恵心僧都源信によって書かれた「往生要集」であった。この本は日本の仏教が生んだもっとも傑作の一つであろう。ここで宗教と美が見事に一致する。彼の感じた生々しい人生に対する不安と、その不安の中に求めた信仰が、博学な引用と美しい文章の力によって、今日もなおそくそくと人の心をうつのである。この「往生要集」は、極楽浄土に対する熱心な信仰を日本人の心にうえつけたと同時に、地獄に関する鮮烈な印象を日本人の心深く植え付けたのである。 |
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