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仏教の思想 角川文庫ソフィア 無の探求(中国禅)より 絶対自由の哲学 梅原猛 厭世観の克服 『大乗起信論』 中国仏教の転換 中国仏教史をひもとく者は、七世紀から、八世紀にかけて、中国仏教史に大きな変化があったことを知るであろう。どのような変化があったのか。私は、それを一言にして、悲観論から楽観論への変化であったと言いたい。この変化にはさまざまな要因があろう。その一つに「大乗起信論」という書物の影響を見逃せない。 『大乗起信論』の思想は、如来蔵思想であるといわれる。如来蔵思想とは何か。それは「空」の思想(般若の知恵)の中観と唯識の総合を企てるものである。 もともと、仏教の思想には二面がある。一つは、それは人間の暗黒面への深い洞察であり、もう一面は、人間の中なる仏性への賛美である。われわれの中に無限の如来が隠れている。そのわれわれの中に隠れている如来に、明るい認識の光を当てようとするのが「大乗起信論」の理論的役割である。『大乗起信論』は肯定の思想だと私は言った。それは、ただ単に、苦を離れることを教える仏教ではない。それは、積極的に楽の思想を説くのである。「衆生をして一切の苦を離れ、究竟楽を得しめんがためなり」。 われわれの中に無限の如来がかくれている。そのわれわれの中にかくれている如来に、明るい認識の光をあてようとするのが、この『大乗起信論』の理論的役割である。 『大乗起信論』は、厭世観に対して、「否」をいう思想である。業の輪は、永遠の暗い循環を続けていたのである。人間を支配する無明、その無明は、今日もまた、人間の中に争いや苦悩を生んでゆく。かくして未来永遠に、争いや苦悩は続く。業の輪は、久遠の過去から、永劫の未来へと廻りつづけているのである。この業の輪を、反対に回そうとする力が必要なのである。業の輪を逆転させよ、そして真理の輪を、まわせ、そこにまさしく、「大乗起信論」の思想があった。無始無終の業の輪を、逆転させるロゴスを見い出し、人間に対して、最も高い肯定のしるしの思想を送ること、ここに、私は「大乗起信論」の思想的役割があったと思う。この業の輪が反対に回された方向に、その後の中国の仏教の思想は立つ。 仏性賛美の肯定の思想は、華厳、密教、禅として流行していくことになる。 二章 価値の世界を越えて 『六祖壇経』 ふつう禅は達磨から始まるといわれる.。達磨から慧可に伝わり、第三祖の僧さん、第四道信、第五弘忍、そして第六祖慧能に伝わる。その六祖、慧能(700年)において、一つの大きな変化をこうむる。そして、のちの禅者は、すべてこの慧能の系統をひくものとされるのである。慧能の説法集として『六祖壇経』というものが伝えられている。そこに、神秀と慧能という人物が登場する。神秀は身の丈八尺、スマートで博学多聞であった。五祖弘忍(ぐにん)の門に入り、勤服すること六年、昼夜を分かたず精進した。いわゆる秀才である。三つの価値を神秀は持っていた。一、風貌にあらわれた世間的価値、二、学問にあらわれた知的価値、三、行にあらわれた道徳的価値。この三つにおいて、神秀はまさに申し分ない人であった。 ところが、それに反して、慧能はどうか。慧能において、神秀と反対の事が事実なのである。第一、背は小さく、顔は醜い。彼の出身は田舎者、おまけに、彼は無知無学である。行においても神秀と比べものにはならない。五祖の下にいたのは、たった八ヶ月、それに彼がやったのは下働きの米つきである。 あらゆる価値において、慧能は、神秀の敵ではない。しかし、なぜ、このようにあらゆる価値において問題にならない慧能を、五祖弘忍は後継者として選んだか。そのところが宗教というものの不思議である。それを明らかにするために、彼らの偈をみてみよう。まず、神秀の偈である。 身は是れ菩提樹、心は明鏡の台(うてな)の如し。時々勤めて払拭し、塵埃有らしむるなかれ。 「身は菩提樹のように清く、心は明鏡のように清い、ときどきその身と心を、ふきはらって、ちりやごみのないようにしなさい」という。ここにおいても、『大乗起信論』で語られるような法性がかたられる。清浄なる法身が、人間の本性である。その法身をピカピカにみがき、ごみがつかないようにせよというわけである。 確かにその通りである。しかし、あまりにそのとおりでありすぎる。それは道徳性の立場である。道徳性は、確かに、推奨すべきことであるが、道徳性が、また限界となるのである。ここには自由ということが無いのである。禅で説くのは、道徳性の教えではない。むしろ、道徳を越えた自由な心をもつことを禅は教えるのである。五祖が、この偈を、「この偈によりて、修行せば、即ち堕落せず、この見解をなして、若し、無上菩提をもとめば、即ち未だ得るべからず」と言ったのは、道徳性の限界を指摘したからである。そしてこの偈の限界は、同時に神秀自身の限界でもある。 ところで慧能の偈のほうは、メチャクチャである。ただ神秀の偈を否定しただけのような偈である。 菩提本と樹無し、明鏡亦台に非ず、 仏性常に清浄、何処にか塵埃を惹かん 「菩提といっても木ではありません、明鏡もまた台ではありません。われらの心身、すべて仏性で、常に清浄です。どこにちりやごみがつくというのでしょうか」 慧能は、神秀が、心身を菩提樹とか、明鏡台とかという形あるものに比していることを否定しているのである。神秀はまだ形にとらわれている。仏性は形なく、世界に偏在していて、そして常に清浄である。どこにいったい塵埃があるというのかというわけである。ここにおいて、大いなる自由が告げられる。すべての限界を、こっぱみじんに否定した自由、いわゆる無の自由が、ここに示されるのである。ここには、もはや道徳性のこだわりはない。絶対自由の心境、それが慧能の心境なのである。 私は、ここにおいて、宗教的自由というものと道徳との区別を知るのである。道徳は相対の世界であり、宗教は絶対の世界である。道徳的人間は、かえって相対的道徳にとらわれて、絶対の自由に生きられないのである。神の声を聞けるのは、富んだ人、賢い人ではなくて、貧しい人、愚かな人であるという言葉があるが、ここで、同じようなことが起こっている。神秀は、風貌秀麗、知識該博、道徳堅固なために、かえって相対にとらわれて、自由な悟りが得られない。むしろ、あらゆる価値から離れているかに見える慧能のほうが、絶対の自由の境地を得ているのである。 おそらく五祖弘忍(ぐにん)は知っていたはずである。けれど、その性格は容易に人々にはわからない。ひとびとは、世俗性の価値か、知的価値か、道徳的価値によって、人を判断する。こうした価値の見地から見れば、明らかに神秀が後継者のはずである。慧能を後継者とするのは、宗教的判断の見地からのみ可能であろうが、そのような判断は、多くの人には理解しがたい。弘忍は、深夜慧能に後継者の印である法と衣を伝えて逃がしている。 慧能の思想 「わが法門は、無念を立てて宗となし、無相を体となし、無住を本となす」 無念(無心)とは何か。われわれの心は、過去から現在、現在から未来へ、絶えず続いている。今の私は、過去のよくない思い出に悩まされ、現在のさまざまな感覚にとらわれ、未来の不安に悩まされる。こうして、わが心は永久にとらわれの世界にある。このとらわれの世界を離れるために、念を離れよというのである。過去の思い出、現在の知覚、未来の期待や不安をすてよ。すべての心を捨てて無心になるとき、われわれは、はじめてとらわれから自由になるというのである。 無住とは何か。わが心は、あの地位の中に、あの名誉の中に、あの女の中に好んで住もうとしている。そのとき、わが心は地位に、名誉に、女にしばられる。そのような一切の存在するものの中に、心よ、住むなかれというのである。 そして無相とは何か。すべてのものは、相をもっている。酒はうまいし、娘はきれいで、ババアは醜く、恋敵はにくいのである。けれどそのような、うまさや、きれいさや、醜さや、にくさにとらわれるとき、わが心は、煩悩によって染められる。そのような相のとらわれからはなれる時、わが心は、けがれれの無い清い心になるというのである。 「融通無碍の自由」。あらゆるものにとらわれない自由な心のあり方、それが慧能の思想の中心である。 このように、人間の自由を主張するとき、なによりここで、対照的な仏が否定される。仏というもの、それは、この自己であり、自己の中にある法身仏をのぞいて、何があるか。おまえの中に清浄の法身仏があるはずだ。不生不滅、清浄無垢の心が、おまえの中にある。それは月や日のように常に明らかであるが、おまえの中なる煩悩が、その清浄法身を隠している。山風が、雲霧を吹き払うように、、その煩悩を吹き払え、そうすれば、清浄無垢な法身が、輝きわたるはずである。 慧能によって衆生すべてが仏であるとする禅が説かれた。今まで人間扱いされていなかったまずしい人々も人間となり、仏となった。私はその意味で、慧能の禅は、すばらしいデモクラチックな仏教であったと思う。まさに、ここですべての人が仏となったのである。慧能によって、『大乗起信論』の衆生仏心の法は、あらゆる人間のものになったのである。すばらしきかな人間の自由よ、というところである。
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