46.燕岳(つばくろだけ)(2019.08.10)

 

4回目の北アルプス・テント泊山行は、中房温泉で前泊しての、燕岳(泊)−常念岳(泊)−蝶ヶ岳(泊)−上高地、の常念山脈縦走としました。この私が大ブレーキになりましたが、何とか当初計画通り全行程を終えることができました。その計画から登山一日目までです。
*二日目「大天井岳」はこちら
*三日目「常念岳・蝶ヶ岳2」はこちら
*四日目「長塀山2」はこちら

 

 

1.計画

長男が中3生のため規模を縮小した昨年の反動で、「子連れ山歩きの総決算」となるような、当家史上最大規模の縦走とすることは、涸沢登山の頁の最後に書いたように、昨年の出発前から内定していました。

ちなみに、「4人家族で歩いた愛知県内の東海自然歩道」は、我が家では「子連れ山歩き」の範疇を超えて、
『子育てのハイライト』 として、聖別 されています。

具体的な計画は後ろの方から決まっていきました。名古屋行き直通バスが使えるし、華もあるし、で、最後に上高地に下りることに決めたので、その前日が蝶ヶ岳ヒュッテ泊、その前が常念小屋泊、までは、すんなり決まりました。

その前は当然燕山荘泊、となるべきなのですが、燕山荘のテント場が小さく、すぐ満員になるらしい、というのがネックになりました。名古屋から夜行で中房温泉に行く便はありません。名古屋を朝に出るのでは中房温泉に着くのが早くても10時半、これでは燕山荘のテント場は無理そうです。燕山荘のテント場が満員の時は合戦小屋のテント場を使うらしいけれど、そちらも一杯になったらどうするのだろう?など、色々考えた上で、中房温泉の旅館に前泊することに一旦決心しました。その後で、「中房温泉のウェブサイトには書いていないけれど、実はテント場がある」というのをネット上で見つけ、そのテント場で前泊することに最終的に決めました。

名古屋・栄のモンベルにて、子供二人のズボンと次男の登山靴を購入しました。その他の装備はほぼ昨年の通りとしました。ザックの公称総容量で、私:55L、長男:60L、次男:45L、家内:40Lのままです。燕山荘と蝶ヶ岳ヒュッテでは、テント場利用者にも夕食の提供がある、というのを、それぞれのウェブサイトで確認して、昼食も夕食もできるだけ山小屋に依存することで食料を減らせられる、と考えました。

子供の部活やら何やらで、日程の自由度は殆どないので、8月9日発にさっさと決めて、名古屋−穂高の「しなの81号」と、上高地−名古屋のバスを、それぞれ売り出し日に予約しました。ネットで長野県に登山届を出して、準備完了としました。

出発前に、日本の南の海上には台風2つがグズグズしていましたが、予想天気図より旅程には影響なさそう、と考えました・・・結果的にはそれ以上の好天に恵まれたのでした。

 

2.移動日(2019.08.09)

出発日の朝は、7:30頃に家を出発して最寄り駅に向かい、名古屋8:25発の「しなの81号」白馬行きに乗車しました。塩尻・松本を経て、穂高駅には11:04の定刻に近い時間に到着し、タクシーを少し待ちましたが、11:30には乗車して、中房温泉には12:10頃に到着しました。

その時点ではテントは一つもなく、一番乗りになりました。中房温泉の、旅館ではなく立ち寄り湯の方で受付して、テント設営(右は設営完了間近の12:41)を済ませてから、売店の「月見山菜そば」を全員いただきました。

その後、私以外の3人は「立ち寄り湯」に入ったのですが、私は「しんどいし、面倒」とて、テントの中で寝ていました・・・翌日以降の不調の予兆が既に現れていたようです・・・。周りのテントはどんどん増えて、30張近くにはなっていたような気はします。

時刻までは覚えていませんが、薄暗くなるころに持参した魚介のシチューとアルファ米の夕飯をいただきました。そして、「翌日は4:30起きの朝食は省略して5:30出発目標」と決めて8時前には床に入りました・・・が、いつものことながら、私は中々寝付けないのでした・・・。

3.出発−合戦尾根

朝、まだ真っ暗な時間帯から周りがざわざわしていたのに、気づいていましたが、少しでも睡眠不足を解消すべく横になっていました・・・

「もう起きなきゃ」との家内の声に起こされたのが5時丁度、テントから顔を出して驚きました。昨日には、ぎっしり立っていたテントが殆ど片付いています。と、見る間に、続々とバスがやってきては、多量の登山者を吐き出しています・・・。

大急ぎでテントを畳んで荷造りして、各自寝る前に用意していた行動食的な朝食と水を口にして、出発しました(下左、5:49)。

私が先頭になりました。まだ体が目覚め切っていない感じがしたので、ペース控えめを意識しましたが、何せ急登なので、どうしても力任せで登ってしまうところが出てきて、ダメージが溜まります。「第1ベンチ」は休憩せずに通過したと思いますが、ここで6:26です。

 

第2ベンチでは、腰を下ろして休憩したと思います。出発が7:00(上右)、ということは。休憩込みで登山口から1:10、手持ちのガイドブック「ヤマケイアルペンガイド7」のコースタイム通りです。しかし、この時点で既に私にはバテが来ていました。

第3ベンチは、7:34に殆ど休憩せず通過したと思います。家内が「第3ベンチと富士見ベンチの間が一番急なのよね?」と言ってきたのは記憶にありますので、ここまでは一緒に歩いていたはず、です。しかし、その先のどこか、多分第3ベンチから大して進んでいないところ、で私の足が止まりました。

ザック容量に余裕のある長男に、ナベとコンロのセットを持つように頼んだら、ついでに行動食以外の食料も引き受けてくれました。それで随分軽くなったのですが、それでも肩で息をして、中々立てないので、私以外の3人が先行してテント場確保に急ぐことにしました・・・道中延べ5回発生した「父ちゃん付いて行けません」の1回目となりました。

富士見ベンチを、先行3人は8:04に通過、私は8:19に通過です。合戦小屋ではそれぞれ名物のスイカの画像を写していて、先行3人が8:33(下左)、私は8:59(下右)です。ガイドブックの第2ベンチからのコースタイムが1:50のところ、3人は1:33、私は1:59、ということになります。
 

合戦小屋の後、私は景色を写す余裕も無かったのですが、先行3人は、見えてきた燕山荘を写したり(下左、9:23)しているうちに、雷鳥に遭遇! うまく写せました!(下左、9:31)。
 

そして、先行3人は、9:39に燕山荘に到着しました。合戦小屋からコースタイム1:05のところ、スイカの途中から1:06、中房温泉登山口からガイドブックのコースタイム4:05のところを、3:50です(下左)。
 
テント場は、まだ半分くらいの空きはある状態だったそうです。家内の青いテントはそのまま立てて、男3人のテントは、テント本体を私が持っていたので、次男が持っていたグラウンドシートで先取権を主張していました(上右、10:26)。御覧のように、ひな壇状に整地された場所なのですが、それでもかなり傾斜はありました。

そうこうしているうちに、私も10:33には到着しました。スイカから1:34.登山口から4:44かかりました。到着直前に、様子を見に来た次男に見つけてもらい、荷物を持ってもらって(押し付けて)、ようやく辿り着きました。子供が男3人のテントを立てている間中、ほぼ横で伸びていました。

私の着いた時間で、テント場はギリギリ空いていましたが、11時にはもう無理だったようです。公称30張のテント場に、「こんなところまで」「ここまで詰めて」最終的に86±2張ほど立ったようでした。

画像は多数撮りましたが、ここでは、左の槍ヶ岳から右の燕岳までのパノラマがうまくいったものを載せておきます。(クリックで拡大します)。時刻は11:07、ということは、テントを立て終えてから昼食を食べに山荘の方に向かっていた際のもののようです。

 

 

4.燕岳

各自好みの種類のカレーライスの昼食を食べてから、燕岳に向かいました。

まずはイルカの巣へ(下左)。通り過ぎてから、槍ヶ岳と一緒にイルカ岩(下右)
 

山頂には13:16に到着しましたが・・写してもらった集合写真では、山名標が次男の陰になってしまいました(下左)
 
行きには気づかなかった「メガネ岩」を帰路写しました(上右)。

 

5.ブロッケン現象

テントは温室のごとく暑く、居住不能です。なので、燕山荘の喫茶に戻り、なかなか結構なケーキセットなどいただいていました。

夕食の準備を始めるので、15:30までに退去してくれ、とのことなので、外に出てみると、ブロッケン現象(→wiki)が出ていました(右、15:30)。

太陽が自身を直射し、その影がガスの中に浮かぶことで発生する現象です。この日はずっと東側(合戦尾根・中房温泉側)がガスで、西側(槍ヶ岳・鷲羽岳側)が晴れていました。この時刻になって太陽が西に傾いたので、東の谷側にブロッケン現象を作れるスペースができた、ということなのでしょう。

案山子のようなのが映っていますが、これはカメラを構えた私の影です。すぐ隣に人が居たとしても、見える影は、虹の中に入る自分自身の影のみ、というのは、初めて知りました。

6、夕食・就寝

ブロッケン現象を見てから丸1時間は、建物の影で時間つぶしをしておりました。見るとはなしに見えてしまった室内からは、「畳一畳に二人」の詰め込まれ具合が大体わかりました。どうやらこの夏一番の大混雑日だったようです。

夕食は燕山荘に頼みました。16:30の回で、一人2800円とかなり高価ですが、これは織り込み済み、燕山荘の社長さんのお話とナチュラルホルンも聞けました。

それから、夕日を何枚か写しましたが、ご紹介するほどのものは写せませんでした。

日が暮れて、テント内が滞在可能な温度に下がってきたら、すぐに寝るようにしました。が、心底バテたのにも関わらず、傾斜が気になるテントの中で、私は中々寝付けないのでした。

(「大天井岳」につづく)

 

 

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