47.大天井岳(おてんしょだけ)(2019.08.11)

 

4回目の北アルプス・テント泊山行は、中房温泉で前泊しての、燕岳(泊)−常念岳(泊)−蝶ヶ岳(泊)−上高地、の常念山脈縦走としました。この私が大ブレーキになりましたが、何とか当初計画通り全行程を終えることができました。そのニ日目です。
*一日目「燕岳」はこちら
*三日目「常念岳・蝶ヶ岳2」はこちら
*四日目「長塀山2」はこちら

 

 

1.起床から出発

朝は5時過ぎに起きたと思います。左下画像(5:15)は、富士山が当初狙いだったのですが、後で見てみると、日の出後の雲海に浮かぶ南アルプス北部が幻想的でした。
 
前日に続き、特に「朝食」は作らず、行動食的なものと水だけで済まし、前日よりはのんびりとテントを撤収しました。燕山荘の前から、前日は雲で見えなかった笠ヶ岳が、槍ヶ岳から延びる西鎌尾根の向こう(上右画像の画面中央よりやや右、6:31)に見えました。蝶ヶ岳からは長大に見える北鎌尾根が、ここからだと圧縮されて見えているのも、これはこれで迫力あります。

 

 

2.大天井岳

燕山荘を6:45頃に出発しました。この日は前日以上に良い天気になりました。

ガイドブック「ヤマケイアルペンガイド7」のコースタイムによると、燕山荘から大天荘まで2:55です。前々からこちらの記事を拝見していて、大天荘のインディアンカレーを食してみたい、という希望はありました。しかし、普通に出発すれば、10;30に昼食メニューが始まる前に大天荘を通過するはずで、インディアンカレーのために無理に時間をつぶすのではなく、常念小屋で昼食にしよう、という当初計画でした。そして、7時前に出発したのですから、そうなるつもりでした。

歩き始めてすぐに、北穂高岳の頂上の北穂高小屋が見えてきました(下、6:49)。

燕山荘を出てからしばらくは、平坦に近い歩きやすい道が続きます。家内が最後尾から男3人と槍ヶ岳を入れた画像を何枚か撮っておりました。(下左7:04.下中7:15)
  
これは一体何なのだろう、と思いながら通った箇所が「蛙岩」だった、というのは帰宅後に知りました(上右、7:23)。

槍ヶ岳を見ながらの、歩きやすい道はなおも続きます(下左7:36、下中7:43)
  
「大下りの頭」で少し休憩して7:49に出発、燕山荘からのコースタイム0:55のところ、1:04です。

ここより先だったか手前だったか記憶が定かでありませんが、単独の男性に挨拶したところ、「燕山荘のテント場でお隣でしたね」。この男性とは、このあと2回お話させていただくことになります。

下左画像は8:22ですから、「大下り」は下りきったのでしょうか、燕山荘が大分上に見えます。
 
大天井岳(上右画像の左、9:08)が大きくなってきました。その山腹の緑の中を左上に上がっていく、白く見える道が、槍ヶ岳方面の「表銀座」から分岐して大天荘・常念岳へ向かう道になります。この画像でも右に槍ヶ岳が見えていますが、もう少し行くと大天井岳の山裾の陰に入って見えなくなります。

分岐の手前でクサリとハシゴで鞍部に降りて、すぐハシゴで登りなおすところがあります(下左画像は分岐通過後上から撮影、9:52)。道中唯一の本格的クサリだったように記憶しています。使わずに下りている人もお見掛けしましたが。
 
鞍部からの登りで一気にバテて、分岐には9:46に到着(上右)。

「大下りの頭」からコースタイム1:15のところ0:57です・・・こんなところで「勝って」いたとは、書いている今になって初めて気づきました。

ここから大天荘までのコースタイムが0:45なので、着いてから大天井岳を往復する頃には10:30を回りそう、となったので、この時点で、昼食は大天荘のインディアンカレーに決まりました。

ここからの、大天井岳の山腹を斜めに大天荘に向けて登る道が、私には大変でした。歩き始めてすぐに「大天荘まで500m」の看板が出たのですが、その辺りから岩だらけの道に足が前に出ません。しかも長男の水が切れた、というので、引き留めるわけにもいかなくなりました。

かくして、道中延べ5回発生した「父ちゃん付いて行けません」の2回目となりました。子どもたちは直ぐに遥か遠くなり、家内もチラチラとこちらを見つつ着実に歩を伸ばしていきます。

左を見れば、燕岳からの道が見えました(右、9:57)。
画面中央のピークから左に下って上る稜線が「大下り」、そこから稜線を右に進んだ先の燕山荘はギリギリ雲の中で、燕岳とそのまた奥の北燕岳が、さらに左奥遠くに見えています。

が、その場ではそんな達成感にひたる余裕はどこにもなく、とにかく上を目指すしかありません。

「止まるにしても20歩は頑張ってからにしよう」、とまで考えながら登っていくと、燕山荘のテントで隣だった男性が休憩しているのに追いつきました。

「もう足が前に出ませんね」
「元気な子が荷物を持ちに下りてきてくれないかな、と期待してるんですけどね」
などと会話を交わした後、私がヨロヨロと先行しました。

その元気な子達が、父ちゃんを助けに下りてくる、ということは一切なく、父ちゃんも自力で大天荘に辿り着きました。10:38くらいだったように記憶しています。大天井岳に寄るまでもなく、10:30のランチタイム超えてしまいました。分岐から0:52かかりました。

大天荘の中に入って、家内に見つけてもらって合流できました。家内は、10:19に大天荘に着いていて、分岐から0:33、子供たちは更に大分早かったようです。

インディアンカレーは見事なものでした。自宅から徒歩5分のところにある素敵なインド料理屋をひいきにしているのですが、決してそれに負けていません(下左、11:12)。
 
食後に、空荷で大天井岳へ。やはりバックは槍ヶ岳(上右、12:03)。この2922mが道中最高標高になります。槍ヶ岳への最接近点でもあります。

昨年お世話になった涸沢ヒュッテもはっきり見えました(下、11:59)。

北穂高小屋も写しましたが、先に紹介した燕山荘近くから写したものには及ばなかったので、割愛します。

 

 

3.常念小屋へ

大天井岳を往復して、大天荘で水を購入してから大天荘を出発したのが12:20頃のようです(自信なし)。まず東天井岳を目指します。

左側(東側)にガスが出てきました。さらにすぐ下に雪渓があったりすると(下左、13:06)、吹き上げてくる風が一気に涼しくなって一段と気持ちよく歩けます。
 
縦走路は東天井岳のピークは通らないのですが、そのピークへの分岐を13:21に通過。ここから東天井岳の南斜面の草原ないしハイマツの中の道になります(上右、13;48)。いかにも気持ちよさそうな道に見えると思いますが、足元はアップダウンこそ少ないものの岩屑の多い山道です。奥の方に横通岳の山腹に延びる道が写っています。

横通岳との鞍部で休憩していたツアーの団体が上を見ているのは?と見たら、遥か彼方に熊が居ました(右、14:00)。

この団体と、もう一つ、何れも20人規模のツアー団体を、大天荘から常念小屋の間で抜きました。ヨレヨレの私にも抑え過ぎと思えるペースでしたので。

燕山荘から常念小屋までのコースは、中間地点に大天荘があり、ツアー主催側としても安心だから、ツアーに多用されているのだろうな、と想像しました・・・

・・・翌日分になりますが、常念岳を超えて、蝶ヶ岳方面へ下りていくと、ツアー団体が見当たらなくなりました。「燕山荘−常念小屋」と同じようなコースタイムであっても、途中に小屋もトイレも何もない「常念小屋−蝶ヶ岳ヒュッテ」のルートは、ツアーとしては採用しにくいのかな、と想像した次第です。

横通岳もピークは通りません。ピークへの分岐を通過してすぐ、眼下に常念小屋の赤い屋根が見えてきました(下左、14:49)。ここからは急降下です。常念小屋には15:50頃に到着したようです。ガイドブックによる大天荘からのコースタイム2:20のところ、(出発/到着時刻とも怪しいながら)5割増しの3:30程かかったことになります。「新しい靴がフィットしきっていなくて下りで痛くなった」と次男が暫く不機嫌でした。
 
目の前に常念岳が凄い威圧感で立ちはだかっています。上右画像(16:19)では、その威圧感は全く捉えられていません。ちょっとした小山にしか見えないと思いますが、その場では、その迫力から明朝に待ち受ける困難を思っておりました。

 

 

4.幕営・夕食

テント場は、それらしいところは満員に見えましたが、「木かロープで区画されたところならOKです」というので、小屋に一番近いところに決めました。傾斜がマシだった上に、石を動かしてさらに整地したので、普通の場所に先に立てていた人たちよりも平らに張れたように思います。その後も、後から後からテントは増えていき、「木かロープで区画されたところ」ではないところにも、多数立っていたように思います。

上右画像にあるように、小屋の前に置いてあるテーブルの周りが大盛況でした。「昼食時間を除き、テント場利用者と通過客はお断り」の硬派な山小屋なので、テント泊者はカンカン照りの中でも小屋の前で過ごすしかなかった、ようです。

私達もコーヒーとか飲めるのかなと期待していたのですが、仕方なく、一本1000円也のブドウジュースを購入して、立てたテントの傍でいただきました。これはこれで素晴らしく美味しかったのですが。

未だ明るいうちに、夕食の準備を始めました。計画通りにフリーズドライのカレーを一人2個、なのですが・・・私は途中で食べられなくなってしましました。

前日の昼、当日の昼、とカレー続きになったのもありますが、それ以上に「バテバテ」を通り越しての「半病人」でした。まだ行程の中間点だというのに、眠れない食べられない、では困るのですが、その場では打つ手がありません。

日が傾いて、テント内が居住可能な温度になったところで、寝る努力を開始しました。その直後に夕立がやってきて、小屋前にたむろしていた人達が解散して静かになりました。

 

(「常念岳:蝶ヶ岳2」につづく)

 

 

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