48.常念岳・蝶ヶ岳2(じょうねんだけ・ちょうがたけ)(2019.08.12)

 

4回目の北アルプス・テント泊山行は、中房温泉で前泊しての、燕岳(泊)−常念岳(泊)−蝶ヶ岳(泊)−上高地、の常念山脈縦走としました。この私が大ブレーキになりましたが、何とか当初計画通り全行程を終えることができました。その三日目です。
*一日目「燕岳」はこちら
*二日目「大天井岳」はこちら
*四日目「長塀山2」はこちら

 

 

1.起床から出発

夜、雨が降り出してから外は一旦静かになったのですが、雨が止んだ後、一組だけですが宴会が始まりました・・・これを知っているのが私だけだったりします。それでも、中房温泉や燕山荘よりは早く眠りに付けたような気がします。

しかし、(時計は見ていないのですが)多分3時前から周りが騒々しくなりました。ツアー団体のご来光登山でした。「3時から登り始め、山頂に着いても着かなくても5時には下山開始、それに備えてまず準備体操しましょう」、というのが聞こえてきたように記憶しています。その大集団が去ってから、もう少しだけ寝直す努力をしていたのかな?

記憶薄弱ですが、5時過ぎにマットやシュラフを片付けて始めていたように思います。朝食を少しまともに食べることになり、フリーズドライのミネストローネを全員分作りました。私も食欲は無いものの、これとパンとを喉に押し込んだように記憶しております。

右画像(5:25)は、常念小屋に一番近い場所に立てていた私たちのテントと、西岳越しの槍ヶ岳です。


テントを片付け始める前にトイレ(工事現場によく置いてあるアレの3台並び)に行ったのですが、かなり待たされてしまいました。戻ってみるとテントは片付けられています。

「パパのザックはマットとシュラフと雨具だけにしておいたよ」

とニコニコ顔の子供たちに告げられました。私が初めてテントを担いだ時の子供たち(当時小5と小3)以上の特別待遇をされてしまいましたが、有難く受け入れるしかありません。

大きく膨らんだザックに、長男は「展示品みたいで格好いい」と誇らし気でした。容量の小さい次男のザックにも比重の大きいものを詰めて、こちらもかなり重くなったようです。

この日は常念小屋を出たら、蝶ヶ岳ヒュッテまで給水できないので、各自のハイドレーションシステムの他に1.5Lずつを子供に持たせる、というのも当初計画通りに実施しています。が、この日もその子供たちに付いていけなかったのでした。

出発前に一の沢方面を見に行ったら、そちらは雲海の下でした(左、6:44)。

 

 

2.常念岳

常念小屋の出発は6:50頃になりました。この日も良い天気でした。

いきなりの急登を私のペースでゆっくり登っていきます。ご来光登山から下山される方とすれ違いつつ、足の早い人は先に行かしつつ、となりました。岩場の道は広くはないですが、所々で行き違ったり休憩したりする余地はありました。

すぐに、眼下の常念小屋が小さくなっていきます。(左下、7:24)。
 
そのうちに、昨日歩いた横通岳の山腹の道も見えてきました(上、7:42)。

と、何とか登っていたつもりでしたが、何度目かの休憩をしたい、と言ったら
「えーまた休むの?」
と子供二人から苦情が来ました。かくして、道中延べ5回発生した「父ちゃん付いて行けません」の3回目となりました。この回に限り、家内が付き合ってくれましたが。

穂高から槍ヶ岳、遠くの鷲ヶ岳と水晶岳を挟んで、大天井岳、東天井岳、横通岳です。実は横通岳の左に燕岳と針ノ木岳がわずかに顔を出しています。(下、8:03、クリックで拡大)。

子供はどんどん先を行きます(下、8:06、拡大図中央の緑ザックが長男、青ザックが次男)。

親二人は8:18に三俣分岐を通過し、山頂には8:30頃に到着しました。槍穂高と大天井岳はずっと見えていましたが、山頂からは360°の大展望です。

下左(8:37)の遠景左が御嶽山で、その右が乗鞍岳です。下右(8:47)は富士山です。
 

山頂に限れば槍の穂先より狭い常念岳で、4人並んで写してもらったものは、年賀状用画像の有力候補になっております。

 

 

3.蝶ヶ岳

常念岳山頂周辺を8:50頃に出発しました。蝶ヶ岳ヒュッテの赤い屋根がはっきり見えていたと記憶しているのですが、下画像(8:50)では、どれが建物なのか、はっきりしません。

蝶ヶ岳側への下りは、常念小屋からの登りよりも厳しい道でした。ストックを持ったまま突いて岩場を突破しようとしていた女性のストックが岩の隙間に入り込んで苦労していた、のを後ろから眺めたりしていました。こういう箇所だと、ヘロヘロの私でも一番遅い人よりは速くなりました。
(下左画像は9:58で、そう厳しい箇所ではないと思いますが、そもそも厳しい箇所だとカメラを出す余裕がないのです。)
 
上右画像(10:43)は途中のピークでしょうか、常念岳を見上げたものです。

表銀座のヒュッテ西岳は、この下りの途中で写した画像が最も鮮明でした(下9:58)。

標高の低いところでは高山限界より下になります。日陰でしばらく調子よく歩けるのですが、そのうちまた上りになります。ピークをいくつか超えたところで、家内が「今どの辺りなのかしら」と言うので、ガイドブックを確認し、「もうすぐ池塘が見えてくるはずだよ」と言ったら、言った通りに池塘が見えてきた、については、父ちゃんも多少は名誉挽回できたようです。

下左画像は10:53、これは日が当たっていますが、もっと涼しいところもありました。
 
もう一度登って、2592mピークです(上右、11:58)。一休みして「この先130m下って200m登れば蝶槍だね」と確認してから出発しました。

樹林帯の中を130m下るのは何とかなったのですが、いよいよ蝶槍に向けて登り始めたところで、私の足が止まりました。

「えーまた休むの?」「トイレにも行きたいし」

かくして、道中延べ5回発生した「父ちゃん付いて行けません」の4回目、この日だけで2回目、となりました。3人を見送って、ゆっくりしてから歩き始めました。

先行している男性二人組に道を譲られて、「こちらも思い切り遅いので」と、固辞しつつも結局は譲られたりしながら、ゆっくり登っていきました。高山帯に戻って視界が広がったところで、燕山荘のテント場でお隣だった男性が休憩していました。

「この景色を見に、ここまで来たんですよ」と話して下さったところから、それぞれの槍ヶ岳登山での経験談など、話が弾みました。蝶槍からの景色と殆ど同じはずですが、何度見ても飽きません(下、12:55)。

その間に、男性ばかり10人程登ってきましたが、皆さん、ごくゆっくりです。朝一番に常念小屋を出発して、今頃この辺りを歩いている、ということは、つまりそういうペースでしか歩けない人が、今ここに私も含めて「吹き溜まっている」、ということなのか、と妙に納得しました。

燕山荘から一緒だった男性に先行して、蝶槍へ向かいました。その到着直前に少々厳しい岩登りがありました。後で聞くと、やはり家内は苦労したとのことでした。ガイドブックには何も書いていないのですが、最近地形が変わったのでしょうか? 登りはともかく、下りではかなりの難所ということになると思ったのですが。

その蝶槍には13:20に到着しました(下左)。もう後は穏やかなアップダウンしかありません。
 
しばらく景色を堪能してからゆっくりと歩行を再開しました。上右(13:30)は3年前には見落とした三角点です。余裕は無いので、登山道から写しただけ、です。

なお、先行組は蝶槍を過ぎて少し行ったところで雷鳥に遭遇し、今度は動画撮影にも成功しています(13:10)。

カンカン照りの中を、トボトボと蝶ヶ岳ヒュッテ目指して歩きました。そんな私をキビキビと抜いていく人が居なかったのも、先に考察したのと同じ事情だったのでしょう。

横尾分岐を13:39に通過(下左)、ここまで下り基調だったのが上り基調に転じて、一段と遅くなります。それでも一歩一歩進んでいきました。
 
そして、蝶ヶ岳ヒュッテの一角と言ってもよい「瞑想の丘」(上右)には14:14に到着しました。

 

 

4.幕営・夕食

ヒュッテの建物を回り込んでテント場に向かうと、すぐに先行した3人がテントを立てているのが見つかりました。そこまで行って・・・へたり込んでいました。テントを立て終わったところで、ヒュッテに向かいました。

3年前にいただいた「フルーツポンチ・ソフトクリーム載せ」@450円は、ただの「フルーツポンチ」になっていましたが、お値段も300円になっていたので良しとします。

まずはこれを皆でいただいてから、子供たちはカップ麺、そういえば昼食を食べていなかったのでした。しかし私はそういう固形物は喉を通りそうになかったのでコーヒーを追加注文、家内はビールとつまみでした。

その場にあったテレビで、台風は徐々に接近しているけれど、明日もいい天気が続く、という天気予報を確認しました。

食べ終わって外に出たのですが、私は座っているのも辛くなってきたので、ヒュッテの建物の陰になっていた地面に横になっていました。もう立派な半病人です。

これで夕食が喉を通るのかな?とか考えているそばで、年配の男性が
「奥穂に登ってもそこから何が見えるんだっていうんですよ。北穂ならまだ槍が見えるけど」
と隣の女性に力説していました。つまり「蝶ヶ岳サイコー」と主張しているようです。それなら全面的に賛成だ、と思いつつも、会話には参加せず横になっていました。

燕山荘も素敵だと思うのですが、人が多すぎてテント場が狭すぎます。どちらも公称は30張ですが、燕山荘はゆったり張ったら本当に30張でしょう。しかも傾斜があります。同じ傾斜を許容するなら、蝶ヶ岳では200張はいけそうです。山小屋の雰囲気でも、山容と同じく穏やかで控え目で、ここが一番好きです。

ちなみに、中にも入れてくれなかった常念小屋が断トツの最下位ということになりますが、これは山小屋のポリシーでしょうから・・・。あの場所に水を分けてくれる山小屋がある、そのことだけでも有難い、のは勿論その通りです。

そのうち日陰では少し寒くなってきて、一旦は日向に出てから、テントに戻り・・・この辺り記憶不鮮明です・・・やがて4時半の夕食の時間になりました。

燕山荘の夕食と比べて、1500円の価格もおかずの量も控え目ですが、あれでいいようにも思いました。但し、私は全然回復できておらず、ご飯を小盛にしてもなお、おかずの一部を子供に回しました。味噌汁はおかわりしましたが。子供は時間ぎりぎりまでご飯をおかわりして食べていました。

日が暮れると、満月に近い上弦の月が出ています。これだと明け方になるまで月明りで天の川は見えないよ、と子供に教えたところ、次男が、それなら3時に起きる、と言っていました。

この食後の時間をどう過ごしたかについても記憶不鮮明ですが、テント内が居住可能な温度になったら、すぐに伸びていたような気がします。

(「長塀山2」につづく)

 

 

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