41.槍ヶ岳(その1)(やりがたけ)(2017.08.12)   参考にさせていただいたサイトはこちら他多数

 

2回目の北アルプス・テント泊登山は、1年前から目標にしていた槍ヶ岳となりました。その計画から登山一日目までです。

 

1.計画

蝶ヶ岳登山の頁の最後に書いたとおり、0日目:上高地から横尾まで移動(昨年既に歩いた範囲で、ほぼ平地でもあるので、移動日扱いにします)、1日目:殺生ヒュッテまで、2日目:槍ヶ岳山頂経由徳沢、という大筋の計画は1年前から決まっていました。

長男(中学生)の部活で、夏休みもお盆前後だけしか動けないのは昨年同様です。週間天気予報を見て日程を選ぼうにも、7月後半から超長寿の台風5号が日本の南をうろうろしていて、先の天気など読めそうにありません。決め打ちで、昨年と同日程にすることにしました。

モンベルに出かけて、人数分のヘルメット(これで4万弱)と、長男用の靴(ローカットのが気に入ったというので1万弱で済みました。でも先代は耐用年数1年です)と、シャツ類や小物など、合わせて7万ほどお支払いして装備の準備は完了としました。

ところが、7月31日から、16歳半の老犬サミー(こちらこちらにも登場)が危篤状態に陥りました。あれこれドタバタすることになり、食料の準備ができないまま出発日が迫ってきてしまいました。自分で書いた蝶ヶ岳登山の頁を読み返して、食事は全部一年前と同じでいいや、ということで、そのとおりに買い揃えて準備完了としました。

*老犬サミーは、10日から14日晩まで預けていた獣医さんのところで少し元気を取り戻し、寝たきりのままながら、この頁を書いている今も、玄関土間で時々甘え鳴きしています。

 

*昨年、蝶が岳の山頂付近から写した画像で今回のコースをご紹介。

上高地(標高約1500m)でバスを降り、横尾(同1600m)まで、ほぼ平地を梓川沿いに約11km歩きます。なお水平距離では横尾が中間点です。(横尾から一の俣の辺りは、下の画像では樹林の陰になります。徳沢・上高地は−蝶ヶ岳から見えませんが−画像の範囲の遥か左になります。)

そこから山道、と言っても、一の俣(同1700m)までは大したことありません。その先、槍沢ロッジ(同1830m)、大曲(同2100m)、と槍沢(梓川上流)沿いに登り、天狗原分岐(同2350m)から沢を離れて槍ヶ岳を目指します。

宿泊地の殺生ヒュッテで約2900m、「槍の肩」の槍ヶ岳山荘で3080m、槍ヶ岳山頂「槍の穂先」は3180m、になります。

 

 

2.移動日(2017.08.11)

8月11日朝6時に起床、今回は朝食と昼食は名古屋駅のコンビニで調達することにしました。ハイドレーションシステムを水で軽く満たして各自のザックに入れたところで、私のザックが11kg、長男が8.5kg、次男が8kg、家内が7kgとなりました。昨年途中で服用した酔い止め薬でひどい目にあった(らしい)家内も含め、全員予め家で酔い止め薬を服用してから、6:45に出発です。

出発時の画像こそありますが、乗車した「ひだ」の画像もなく、やっていることは昨年とほぼ同じなので画像で紹介するのは省略します。名古屋駅で各自朝食と昼食分を買い込んでから、7:45発高山行き「ひだ1号」に乗車しました。

昨年のダイヤでは、松本行き10:10のバスにギリギリ間に合ってしまったのですが、今年のダイヤでは「ひだ1号」は高山10:25着と到着が遅くなっていて、10:40発の新穂高行きを狙うことになります。これが大変な行列になりましたが、バス2台出して全員乗れたようです。

平湯温泉で乗り換えたバスは、上高地に定刻どおり12時30分に到着、バスターミナルで名古屋駅で購入した分を各自食べつくし、さらに河童橋まで移動してコーヒーなどをいただいてから、ゆるゆる歩き出しました。

そこで家内が「どうしても横尾じゃなきゃだめ? 徳沢でいいじゃない」と言い出しました。実は前日に私も思いついたのですが、その時には既に家内が初日夕食用の具沢山シチューの材料を並べ始めていたので、「初日は徳沢で岩魚定食でどぉ?」とは言いそびれれていた、のでした。

これを白状すると、「シチューは美味しいし岩魚定食よりずっと安いのだから構わない、それより風呂に入れるのがいい」と言います。これに対し、次男は一貫して横尾、長男は(多少蝙蝠をやりながらも)徳沢、ともなれば、勿論夫は妻の言うことを聞くものです。徳沢泊に変更しました。

天気予報では、この区間で降られる可能性があることになっていましたが、雲が多目というだけ、暑くなくて助かりました。

徳沢に到着、テント設営の後ソフトクリームを食し、風呂を済ませてから夕飯、(アルファ米の在庫が中途半端だったので)親は梅粥、子供は白米で、メインは魚介類の具沢山シチューで、器のふき取り用にパン少々、食後のコーヒーまで美味しくいただきました。

徳沢泊にした分は早起きしよう、ということで、目覚ましは5時、4:30過ぎたら活動開始可、ということにして床に着きました。

途中、雨が降ったり止んだりを5回くらいは繰り返していましたが、雨を1回しか知らない家内と長男、一度も知らない次男、の横で、いつものようにパパが一人でなかなか寝付けないのでした。

 

 

3.出発 − 順調な前半

私が目を覚ましたのが4:40くらいだったと思います。ごそごそし始めたら家内もすぐに起きて、活動開始しました。パンとスープの朝食と撤収を済ませて、各自のハイドレーション(私だけ2L、他3人は1.5L)を満タンにして、6:14には徳沢を出発です(下左)。
 
出だしは私が先頭で、意識的にゆっくり歩きました。足の速い人にどんどん抜かされていきます。横尾まで昭文社の地図で1:10のところ、1:01で歩いて7:15到着。この地図は平地区間のコースタイムは特に甘めのようです。8分ほど小休止して、7:23に横尾を出発しました(上右)。

横尾からは初めての道になります。抜かされだけでなくすれ違いも増えてきました。しばらくは平地が続いて、それから渡渉の度にちょっと上って下る、を何度か繰り返したような気がします。一の俣には8:18(下左)、横尾からコースタイム1:10のところ、横尾出発からなら1:05、良いペースを維持できているようです。二の俣は8:26に通過しました(下右)。
 

この辺りから傾斜が徐々に増えてきます。槍沢ロッジには8:56(下左)、一の俣からコースタイム0:40のところ、0:38、まずまずです。ここで長めの小休止18分を取り、9:14に出発しました(下右)。
 

9:48に残雪を発見(下左)、この時点では行く手の雪渓のことを知らない子供達は大喜びしていました。ババ平キャンプ場は9:54に通過(下右)、このあたりから、さらに傾斜が増えていきます。
 

大曲(水俣乗越分岐)の画像(下左)は10:25、これは到着時のようです。槍沢ロッジからコースタイム1:40のところ、出発から1:11、随分速いじゃん、と余裕をかませて小休止を取っている間に雨が降り出しました。雨具は出しませんでしたが、念のためザックカバーは付けました(出発前に全員のザックのカバーの出し方は予習してました)。
追いついてきた男女3人組に聞いてみたら、小梨平(上高地そばのキャンプ場)に幕営していた、とのこと。それなら納得です。「下の子は6年生?ならウチのと一緒だ」と仰るのを聞いて、6年生をここまで連れてきている我々は少し誇らしかったりしていました。
 
大曲は10:40前後に出発したのだろうと思います。少し進んだところで雪渓が槍沢を埋めているのが見えました(上右、10:48)。もう雨は止んでいたと思います。
この辺りまでは、「コースタイムより早く歩けて2時前に昼食も設営も済ませられて天気も良かったら穂先にトライしようか」などと、なめたことを言っていたのですが・・・

 

 

4.殺生ヒュッテへ − 苦難の後半

登山道が岩屑の道に変わっていき、歩きにくくなってきました。更に進むと、その登山道の上に雪渓が被さっています。事前情報で「大曲付近雪渓あり、危険ではないが軽アイゼンあればより安心」とあった通りです。踏み跡のあるところを歩けばよいのね、と進んでいくと・・・私が踏み抜きました。せいぜい30cmくらいでしょうか、転びもしませんでしたが、恐怖心は植えつけられました。

そこから雪渓を避けて歩きましたが、そのために大きく右に迂回して足元の悪いところを通ることになり、大きく消耗しました。目の前では雪渓の上を下山者がリズム良く歩いています。帰りは雪渓を最大限に歩こう、と心に誓っていました。

左下画像は10:59、踏み抜きの前ではないかと思います。右下画像で11:15、私が最後尾に落ちてますから踏み抜き後でしょう。
 

天狗原分岐(下左)は12:02、コースタイム1:00のところ、大曲出発から推定で1:20くらい、大分遅くなりました。
 
上右画像は12:23、雪渓が大分遠くなりました。天狗原分岐の前後で長男の水が無くなりましたが、天狗原分岐から30分くらいで最終水場があるので、そのまま前進しました。

その水場に着いた時の画像はありません。天狗原分岐では「早く行ってテントの場所を確保しよう」と言っていた家内が、「ここで昼食にしよう」というので、勿論そのとおりにしました。アルファ米の混ぜ飯とミニラーメンをいただきました。各自のハイドレーションを満杯にし、さらに料理用の水1.5Lずつを子供二人に持たせました。次男がザックに入らない、というので、次男の食料は私が持ちましたが。長男のザックは一気に3kg近く重くなったことになります。

その最終水場を13:31に出発(下左)。担いだ瞬間には「うわっ、重いっ」と言っていた子供達に、親二人はついて行けませんでした。
 
ヒュッテ大槍分岐は14:04に通過(上右)。この辺り、一歩一歩あえぎながら登っています。

「播隆窟」は14:10に通過(下左)。14:26には行く手は霧に閉ざされていたのですが(下右)・・・
 

ふと気が付くと、前方に槍の穂先と殺生ヒュッテが!
先行している我が子等も、中央の黒い岩の右に、青く小さく見えています(14:33)

その殺生ヒュッテには14:47到着(下左)。ヒュッテ大槍分岐からのコースタイム0:40(但し微妙に場所が違う)のところ0:43でした。あえぎあえぎでも、まあまあだったようです。手続きをしてから、子供達が「取っておいたよ」という場所に上がりました(下右、14:57)
 

 

 

5.設営・夕食・就寝

子供達は、見つけたスペースに長男に持たせていたグラウンドシートを敷いて占有権を主張していたのでした。自分達で色々工夫できるようになってきました(親バカ)。ヒュッテの建物に近いところは既に埋まっていて、4人用テントが張れる残存スペースの中ではベストの場所だったようです。昨年製作した自家製メッシュアンカー8個で設営しました。

4人用テントのスペースに対し概ね平面の出ている場所だったのですが、それでもグラインドシートとテント底面の薄い布2枚だけでは膝をつく度に「あいたたた」、マットを膨らませてようやく普通に居られるようになりました。

しかしそれでも横になってみると、私のところではどちらを向いても尾てい骨に岩がマット越しに当たります。外から見てみましたが、地面に根の生えた岩で取り除くのは無理です。周囲に小石を詰めて多少でも高低差を緩和するように努めました。真ん中の子供達はともかく、反対端の家内もかなり大変だったようです。

夕食は1年前の蝶ヶ岳山頂と同じく、フリーズドライのカレー各2個とアルファ米の白米各1個です。夕焼けや夕日を見るようなことはせず、さっさと寝ることにしました。夕方にトイレに行きましたが、その時間には上右の画像どころではなくテントが密集しており、到着時に通ったルートは通れません。ライトをつけてトイレに行くのは危ないから、と子供達にも日のあるうちに行かせました。

昨年の下山時のバテバテの原因の一つが毎夜の星空観察だったのではないか、という推測より、星空は見ないつもりだったのですが、9時台だったでしょうか、寝つけなかった次男が通気孔から外を見て「星が凄い!」というので、結局外に出ました。

東の空は雲が掛かっていましたが、それ以外は全て星空、天の川が北から南に伸びていました。流星雨のおまけまでついた1年前には及びませんが、アルプスまで来ているのを実感できました。

東に蝶ヶ岳がシルエットで見えていて、その向こうが雲なのですが、その雲がオレンジに染まっています。何なのだろうと考えましたが、松本の街の明かりが雲に映っている、ので正解だったようです。

その東の雲が、徐々に上に伸びてきて、天の川にかかりそうになってきたので、テントに戻って眠る努力を再開しました。

(「槍ヶ岳(その2)」につづく)

 

 

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