39.蝶槍・横尾(ちょうやり・よこお)(2016.08.13)   参考にさせていただいたサイトはこちら他多数

 

初めての北アルプス・テント泊登山で蝶ヶ岳に登りました。その三日目(と帰宅日)です。二日目はこちら

 

1.起床

山の上の夜に備えて、半袖Tシャツの上からモンベルの長袖下着を着て、その上からフリースを着てシュラフに入ってみたのですが、長袖下着の威力が凄まじく、標高2600m超でも余裕ありました。星空観察で冷えた後はその格好のまま頭までシュラフにもぐりましたが、そのうちにフリースも脱ぎ、シュラフのジッパーもかなり下ろしたままで朝まで過ごしてしまいました。風が穏やかだったので、4人が入ったステラリッジ4の中の温度は外気温よりかなり高くなっていたようです。

次に気が付いたのは、4時半くらいだと思います。わずかに明るくなり始め、早立ちのテントは撤収にかかっているようでした。テントの一番奥で・・・今回から、230cm×200cmのステラリッジ4の、短辺に沿って寝ることにしたので、出入り口は側面側となり、私が一番奥になったのです・・・フリースを着直し、雨具の上下を取り出して着てから3人をまたいで外に出て見ました。一番気温の下がる時間帯ですが、これで全然寒くありませんでした。勿論個人差の大きいところで、家内は雨具の下にダウンも着込んで丁度良かったようです。

見渡すと一面の雲海です。東側は滞在期間を通じて雲しか見えなかった(だから画像もない)のですが、西から北にかけて、穂高岳から槍ヶ岳・大天井岳・常念岳にかけてが、雲海から浮かび上がっています。

家族を起こす前に写した、槍ヶ岳(下左、4:34)と常念岳(下右、4:37)です。
 

これは見せるしかない、と考えて、家族3人を起こしました。

日の出前だけで20枚撮った中から、不思議な一枚を選んでみました。(4:51、クリックで拡大)

画像では、中央下でしゃがんでいる家内と長男の前に雲が立ちはだかっているようにしか見えないと思いますが、家内の目にも同じく、穂高岳〜槍ヶ岳の景色が映っています。

雲海から太陽がちょっと顔を出し(下左、5:08)、半分顔を出しました(下右、同)。
 

振り返ってみると、奥穂高岳の上だけが赤く染まっていました(下左、5:09)。
暫く待つと、穂高連峰の上半分が赤くなってきました(下右、5:11、クリックで拡大)。
 

最高点にも行って見ました。槍ヶ岳も赤くなり始めました(下左、5:17)。
蝶ヶ岳と常念岳の間から雲海が流れ落ちているように見えました(下右、5:21)。
 

雲海と日の出を堪能した後は、テントに戻って、7時まで仮眠しました。

7時にはテント場は随分空いてきて、そしてテントの中はかなり暑くなりました。ロングライフのパンとフリーズドライのスープの朝食を用意しつつ、テントを片付けようとしたのですが、まとめて私のザックに突っ込んだはずのテント関係のスタッフバッグが見当たりません。全員のザックを全部点検し、テント周辺も見渡してから、もう一度私のザックを良く見てみて、ザック本体と背板との間にねじ込まれているのを、ようやく発見しました。犯人は私だったようです。その時間で両面ビショ濡れのフライシートもテント本体もハイマツの上でしっかり乾かせました。

 

おまけ. 蝶ヶ岳ヒュッテについて

山中野宿ばかりしていた我々には、初めての山のテン場でした。家内は、同じ目的の隣近所が居ること自体が新鮮だった、と言っています。テントの立て方、食事の作り方、時間の過ごし方、色々参考になったようです。

フルーツポンチ・ソフトクリーム乗せは、その時にそういうものを体が欲していたのでしょう、最高に美味しくいただけました。到着すぐと朝一番の2回デジカメの充電をさせてもらえたのも助かりました。中東方面と思しき外国人の方も含め、スタッフはテキパキとして親切丁寧でした。

水は1L200円でのセルフです。家内と私とで3回は給水したと思います。朝の給水をケチったのが後で響くのですが、勿論ヒュッテには何の責任もありません。

厳しかったのは、トイレくらいでしょうか。目がシバシバする程のアンモニア臭で、逆に他の臭気は何も感じずに済んだ、とも言えますが・・・。

 

2.蝶槍へ

テントのスタッフバッグ騒動もあって、出発は8時半近くと、かなり遅くなりました。テント場最後発をギリギリ免れました。

ヒュッテの北側の展望指示盤のところで、4人揃って写真を撮ってもらいました。撮ってくれた青年は、新穂高から槍ヶ岳日帰りをやったこともあるという、私から見れば「猛者」なのですが、そういう人たちの中に入ると、さらに上には上がいる、とのことでした。

ゆるゆると出発して、稜線を北に向かいます。素晴らしい天気でした。(8:50、クリックで拡大)

下画像は蝶槍に向かう稜線で写したものから作った、余りにも強引なパノラマです。(9:11、クリックで拡大)

この位置まで動くと、前穂高と奥穂高の間の吊り尾根が、前穂高北尾根のピークに侵食されることなく、裏側の上高地から見えるのと同じようにきれいな弧を描いて見えます。

横尾への分岐を過ぎて、蝶槍まで行きました(下左9:29、下右9:34)。
 

同じような景色ですが、見飽きることはありませんでした。(下左9:38、下右9:39)
 

 

3.下山

槍穂高の景色に名残を惜しみつつ、10:07には横尾への分岐まで戻りました。ここから一気の下降です。道としては、徳沢−長塀山と似たり寄ったり、ではないでしょうか。下りに使うと下り一方になってしまい膝や太腿に負担が集中してしまう点では、どちらも似たようなものだと思います。こちらの方が高山限界まで距離はありますが、それでもすぐに槍ヶ岳とはお別れになりました。

下り始めてすぐに、横尾を早立ちした人たちとすれ違うようになりました。単独の外人さんも2名、軽装で日本語ペラペラの若者には標高2500m表示から少し下で「後どのくらい?」と聞かれたので「元気なら30分」と答えてすれ違ったのですが、後で「きれいだったよ」と軽やかに追い抜かれました。大分下ですれ違ったもう一人は、日本語カタコトで大荷物のフランス人、常念まで行くといっていましたが、足取りも重く、当日に常念は無理?まずは蝶ヶ岳で一泊?と他人事ながら気になりました。

意識してゆっくり下ったつもりだったのですが、すぐに辛くなってきて、休憩ばかりすることになりました。おまけに、どうせ下山だけだから、と1L強しか入れていなかった私の水が早々になくなってしまいました。蝶槍までの日向の稜線歩きで大分飲んでしまっていたようです。

「なんちゃって槍見台」には11:51到着(下左)、コースタイム1:10のところ、1:44も掛けてしまいました。ここで休んでいた20kg大荷物の単独男性は、一泊目蝶ヶ岳の後、常念岳〜表銀座〜槍ヶ岳〜西穂高岳、の縦走の予定で、「どこまで行けるかは天気次第です。五日目まで天気がもてばいいんですけど、最後の一番難しいところで天気が崩れそうな予報なんですよ。槍までは間違いなく行けそうですけどね。」とのことでした。

 

横尾まではコースタイムでもまだ1時間あります。足に力が入らなくなってきました。一度目は滑って転びましたが、二度目は殆ど滑っていないのに踏ん張りきれずに崩れ落ちてしまいました。気力を振り絞らないと前に進めないのは家内も同様で、子供達だけが元気でした。

待望の横尾には13:04到着(上右)、「なんちゃって槍見台」で長居しましたから、この間の歩行時間としてはコースタイム+αくらいで済んでいたようですが、それどころではないヨレヨレで、まずは水をガブ飲みしました。それから物陰に移動して、昼食です。

当初計画では、フリーズドライの各種シチュー×2+アルファ米の白米×1、だったのですが、そんな食欲はありません。翌朝用としていたアルファ米の混ぜ飯×1としました。ふやかしている間に塩昆布をむしゃむしゃ食べたりしていました。後で大量の小水が出たりはしませんでしたから、脱水症状を起こしていた可能性大です。

ようやく元気になったので、涸沢方面の吊り橋をちょっと渡ってみてから、14:10頃に横尾を出発しました。家内と二人で「下りがきつい」と嘆きながらも、1時間以内に徳沢まで戻ってきたように記憶しています。途中からテントの場所取りに子供達を先行させました。

 

 

 

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元々3泊目は、松本か高山でゆるゆる一泊する代わりのテント泊であり、つまりここからは山歩きの範囲外なので、簡単に記します。

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4.徳沢

家内がテントと夕食の申し込みに行き、私は先行して場所取りしていた子供達のところにテントを持ち込みました。設営はほぼ全て子供任せで出来ました。徳沢ロッジの風呂はかなり混んでいて、貸切状態だった一泊目よりもずっと早く退散してしまいました。

テントに帰ってみると、香川県の高校登山部の大集団が近隣にテントを立てまくっていました。聞いてみると、我々と同じ日程で涸沢を往復したとのこと。家内が風呂から戻る前に男3人で徳沢園のソフトクリーム、家内と合流して17時頃から家内が中ジョッキ、私がコーヒー、子供達がココアをいただきました。
 

18時からいただいた、岩魚定食@1600円は予想以上に素晴らしいものでした。再訪したらまた注文します。テントに戻ってすぐに寝ましたが、暗くなってから目が覚めてしまい、香川県の女子高生が「明日は3時起きの4時半出発だよ」と言っているのが聞こえてしまいました。

 

5.帰宅日(2016.08.14)

翌朝は、近隣テント多数が撤収する音で目が覚めてしまいました。4時ごろだったのでしょうか。若者に「山時間」を叩き込もうという趣旨は理解できますが、何もそれを大集団のまま半ば麓の徳沢でやらなくても・・・と思わなくはないです。

2日前の足音では目が覚めなかった家内も目を覚ましました。徳沢8時に出発でも十分だったのですが、時間があれば上高地で遊んでもいいし・・というわけで、5時過ぎから撤収にかかりました。

朝食は、アルファ米をふやかすのが面倒くさくなったので、昨日昼に食べなかったシチュー類+まだ沢山持っていたパン、で済ませました。両面ビショビショのフライシートの水を振り落とし、荷造りが完了したのが6時半前、さっさと出発しました。

家内と私と、全身状態は前日午後よりはいいですが、筋肉痛が完成してしまっており、下りが太腿に響くのは前日以上でした。それでも8時丁度くらいには河童橋に到着、コーヒー@200円×4で一服してから、子供は3日前に河原で作っていた堰堤の増設に走り(下左、8:52)、親は9:30発新島々行きバスを予約しました。
 
酔い止めを飲んでからバスに乗車、新島々で10:53発松本行きに乗り換えました(上右、10:45)

松本で一本前の「しなの」に出来ないか確かめてもらいましたが、残席僅少で4人バラバラになってしまう、というので、予約の電車に乗ることにしました。時間が余れば松本城観光、という案も出発前にはあったのですが、そんな元気はどこにもなく、駅ビルのそばやで昼食後、新聞を買って駅の待合コーナーに持ち込み、山中に居る間のオリンピックのメダル獲得状況とSMAP解散の事情を確認していました。

少し早めに駅に入って、「スーパーあずさ」と「あずさ」を写して(下左、13:43)から、13:52発「しなの14号」(下右、13:52)に乗って、16:40頃帰宅しました。
 

 

天候にも恵まれ、素晴らしい山行になりました。その限りにおいてですが、テント3泊も問題なく過ごせました。
来年に、1日目:横尾、2日目:殺生ヒュッテ、3日目:槍ヶ岳山頂経由徳沢(夕食+風呂)、で計画することが既に決まりました。今回の登りでの次男、下りでの私、のヘロヘロが気になりますが、星空観察とかご来光とか余分なところで体力を使わないようにして、シャリバテと脱水症状に気をつければ何とかなるのではないか、と思っています。
非常食+予備食1回分、の他にも余らせてしまった食料は多すぎました。昼食は行動食寄りにして簡単に済ませる方が時間の節約にもなるので、次回はそのようにします。
私はどちらでもいいのですが、往復とも高山経由がいい、という意見が多いので、次回はそのようにします。

 

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