スクリアービン入門講座 by K.Hasida その3:

中期作品(1)

今回は作品30から50の範囲で、気になる曲をピックアップして紹介します。
#実は中期スクリアービンは有名曲しか知らない。

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ピアノソナタ第4番作品30

 この10分足らずの小さな大傑作には書きたいことが一杯有ります。
 この曲からがスクリアービンの中期ということになっています。モスクワ
音楽院での教職を辞職し、宗教哲学会に出入りを始めた時期なのだそうで、
書法的にも初期のものとは大きく異なる、とされています。確かに第1楽章は
下属音上のメジャー7thで始まってなかなか主和音が出てきません。それでも
機能和声の枠内で理解することは多分可能で、5番のソナタ以降につながる
曲であることは確かであるとしても、素材としての和声が初期の和声と決定的
に違うとも感じられません。

 決定的に違うのは、”ふっきれ”ている点でしょう。作品8で既にあれほど
巧妙な作曲術を示しているのに、ソナタや交響曲となると構えてしまって、
楽想が重くなりすぎたり縮こまったりしていた初期に別れを告げ、この短い
ソナタの中で初めてこの天才は自在に腕をふるうことができるようになった
のです。

 この曲に憧れる素人ピアニストは私も含め少なくありません。それに対し、
CDの解説等での紹介のされ方(多分書き手が素人ピアニストではないんで
しょうな)を見ると、3番の次、5番の前みたいで、素人ピアニストの憧れ
とは温度が違いすぎるのです。
 素人でも腕自慢の人は5番に向かうんですんね。4番に憧れるのはもっと
無邪気な向こう見ず。ただし、誰もこの曲を自分の持ち曲とは言わない。

 というわけで、プロの演奏を聴いてこの曲に対する先入観をもっておられる
向きには、まずこの曲がほぼ 演 奏 不 能 であることを説明しないわけ
にはいきません。
 第2楽章のテンポ指定は160です。ベートーベンの作品106では演奏不能
なテンポ指示が有っても、音楽的にはもっと遅い方が適切なように思える、
とか言ってテンポ指示を見ないでやっています(私もそれでいいと思う)が、
この曲の160は実に適切なのです、残念ながら。

 この曲は、アンダンテの夢見るような憧れに満ちた第1楽章(AA’の序奏
的楽章)を通りぬけ、アタカでプレスティッシモの第2楽章(まともなソナタ
形式)はあくまでも軽く、提示部、展開部、再現部と音が増えて、憧れの
テンションが高まっていくのを突き抜け、コーダで天に向かって飛翔する曲
なのです。コーダは実は第1楽章の主題によるのですが、これが回顧的に
聞こ えたら何やってたんだかわからないし、横向きに爆発させてもいけない。
思い詰めたものを上に向かって飛翔させなければなりません。そのためには
コーダまで160を守るべき曲なのです。

 この曲を弾くため、と称して作曲者が空を飛ぶ練習をしていた、という話を
どこかで読んだように記憶しております。記憶違いかもしれませんし、空を
飛ぶ練習など全くのナンセンスなのですが、この気持ちが私には分かる。
この曲を弾くためには空を飛べないといけないのです。

 技術的な話をしますと、テンポ160ではコーダの和音連打が1秒間に8発、
これだけなら不可能ではないですが、この中に左手の大跳躍が入るので、
全く 不可能になります。

 こんなところインテンポで弾けなくとも仕方ない、と諦めるとしても実は
再現部がまたものすごい書き方をしています。第1主題の再現間もなく、先ず
左手が軽技の領域に入り、主題を確保するところでは両手軽技になって
しまいます。推移では左手は解放されますが、右手は種類の違う軽技が続き
ます。この間、素人なら最初から投げていますし(断言してしまいますね)、
プロの録音でも限界が来ているのがはっきり分かります。第2主題再現には
左手の派手な分散オクターブがあり、これも難しそうに聞こえると思いますが
(現に非常に難しい)、弾いている人間は間違いなくここでほっとしているの
です。

 第2楽章は広い跳躍ばかりなので、譜面をぼんやり見てその広さに感覚が
麻痺してしまったトンマな素人が、なんとか弾けそう、と誤解して次々はまって
いくのです。

 以上の文章から、この曲の価値は楽譜を見て、頭の中で不可能なところを
補うことの出来る人にしか分からないと言っているようなものじゃないか、
という感想を持たれたかもしれません。実は半分以上その通りのことを思って
おります。

 演奏不可能な曲だから曲の真の姿など伝えようのあるはずもないとも言え
ますが、真の姿に少しでも近いものを広く知ってもらいたいとも思っており
ます。また、この曲の録音は演奏不可能な曲に対してのプロのピアニストの
ごまかしの宝庫である、という見方も出来ます。

 この曲を”ほぼ演奏不能”と控え目に評した唯一の根拠がガブリーロフの
録音(東芝 ECC-90268、LP)です。第1楽章は私の好みからは”けだるさ”
に偏りすぎですがちゃんとしてますし、第2楽章のテンポもコーダに至るまで、
ほぼ理想に近いところを維持しています。にもかかわらず、まだ空は翔べ
ない。コーダに突入していく気概が今一歩足りなかったのでしょうか。それ
でも一番に推薦しますが、今これが入手可能なのかどうか。カップリング
されていた前奏曲集はラフマニノフと一緒にCD化されていて(英EMI)
この曲は洩れていたように記憶しております。ちゃんと調べてはいません
から、もしCDで出てたら教えて下さい。私も買います。

 気分だけならギレリスの怪盤ライブが一番出ていますが、これを普通の人
には勧められません。不安をはらんだ憧れを感じさせる第1楽章(この曲を
プログラムに載せてしまった後悔と先行きに対する不安かもしれない)も
いいし、第2楽章のテンポもいい(見切り発車ともいう)。しかしながら
再現部の”両手軽技”を抜けて一瞬の隙が出たのか、その次のほっとするに
は早すぎるところで大崩壊し、仕方がないから第2楽章の再現まで跳ばして
しまっています。コーダの突き抜けるような感触も一番良く出ています
(大崩壊でヤケになっただけかもしれない)が、拍手が貧弱なのは仕方あり
ますまい。この MELODIYA MCD166 "EMIL GILELS RECORDINGS 1930-84"
というCD、ホロビッツの倍くらい面白いハンガリア狂詩曲の6番、ドビュッシの
”祭”のピアノソロ編曲、リスト=ブゾーニの”フィガロ・ファンタジー”、ラベルの
トッカータ、スクリアービンの3番(これはさほどではない)、などゲテモノ好き
には見逃せない1枚です(が、これを面白いと言うような人はあらかた入手済
なのだろうな)。

 ここから後はごまかしオンパレードです。
 アシュケナージはテンポをしっかりしてくれたらいいのに、といつも思う
のですが、この曲でもテンポごまかしをやってます。まず第1楽章からして
趣の出ないほどに早く飛出すのに、A’でガクンとテンポが落ちて普通に
なります。なら最初からゆっくり出ればよいのに。再現部の難所は、
”置きに行ってる”音です。良く言うでしょ、野球解説で”置きに行った球は
打たれる”って。それでもテンポを落とさずに全部音にしたらしいというだけ
でも、ガブリーロフと共に敬服に値します。問題はコーダで、主部と脈絡の
ないテンポに落ちて、それをごまかすために低音部の跳躍に妙なテヌートが
ついて、到底空を翔ぶには程遠くなってしまいます。このテヌートも他を
聞かなければそんなものかな、と思うのですが、この曲はもっとすごい、
というイメージが固まってから聞くと許し難い。

 シドンはなんせ指が不自由なもので、第2楽章を最初からゆっくり弾いて
います。この人のセンスはアシュケナージよりずっといいと思うし、遅い
テンポの割にはいい演奏とも言えます、が、4番のソナタがこういうテンポ
の曲だとは思ってほしくない。

 ソフロニツキはテンポを上げないために妙なアクセントを付けて変に攻撃的
な曲にしてしまっています。推薦できません。この弾き方をまたファーガス=
トンプソンがまねするとなると何をか言わんや、です。

 ジューコフは、似たような路線でもましな方だったように記憶しております。
が、あの潤いの欠ける録音はこの曲には最も不適当です(と聞き直しもせず
断言する)。

 この他、既に処分してしまった、ベーゼンドルファの緑のおばちゃんの全集
や、浅田彰氏が解説を書いていたことだけを覚えている日本の女流による
ソナタ集の中の演奏など、なんらの存在理由も認められなかったとだけ記憶
しております。スクリアービンの作品集は4番と6番に注目して購入して
おりましたから、さっさと処分したからにはこの両曲がつまらなかったのは
間違いありません。

#この曲を2回人前で弾こうとしました。勿論プロに不可能な曲を弾けるはず
#ないのですが、必死に練習して臨んだ2回目の演奏の録音は私の宝物
#です。もう2度とそのレベルまで戻れることはないと分かっていますから。

#全然関係ない話ですが、メジャー7th はBが一番美しいという説を聞いた
#ことはありませんでしょうか。これを使いたいからスクリアービンには
#嬰ヘ調が多いのかも知れません。ブラインドテストもかなりやりましたが、
#C major 7 と、B major 7 とで前者の方が美しいと言ったのは一人だけ
#でした。

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詩曲作品32

 ホロビッツが1番だけを弾いていて、そのため1番だけ知っている人の方が
多いと思いますが、無理して2番を入手しなくとも良いでしょう。1番の方は、
これまた嬰へ長調のけだるさにつつまれた佳曲です。CBSのホロビッツ集を
輸入盤で買えば付いてくるのですが、国内盤では1965カーネギーライブを
買わされることになります。これの音が(私の持っているプレスでは)良く
ないので、AADの輸入盤の方がお勧めです。

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8つの練習曲作品42

 作品8と並び称される練習曲集ですが、作品42の方が練習曲として機能的
になっていて、その分音楽としては、全体を通すと作品8の方が好きです。
しかし両曲集のフラッグシップ対決では8の12より42の5の方に軍配を
上げます。この曲は展開部を欠くソナタ形式とみなせて、提示、再現で現れる
4つの表情が全て最高です。

 スクリアービン入門講座の主旨からすれば、この曲集についてはホロビッツ
の作品集についてくる分だけで十分でしょう。リヒテルが6曲、ファーガス= トンプソンが全曲、等ありますが。

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交響曲第3番作品43”神聖な詩”

 交響曲2番を3番の小型版みたい、とこきおろしましたが、この曲について
書こうとすると、2番の大型というだけかな? となってしまいました。演奏
時間では大差ないのにこちらのほうが力作、大作と感じられ、緩徐楽章の鳥の
歌も2番以上に見事であるなど、2番より上の作品であるには間違いないの
ですが、ソナタ4番で見られた踏込みはこの曲にはありません。

 最初フェドセーエフのをLPで購入してしばらくはこの曲で酔っ払うことも
出来たのですが、最近はそこまでのめりこめません。
 シノポリ、スヴェトラーノフ、フェドセーエフを所有してますが、これも、
どれでもよい、という投げやりな推薦の仕方しか出来ません。

 

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