依佐美送信所(よさみ:Yosami Transmitting Station)鉄塔、アンテナ
左「依佐美無線鉄塔基部」と 「依佐美送信所記念館」
「依佐美送信所記念館」がリニュアルしまし,送信装置色が薄青色から黒色になりました。詳細は ここをクリック
愛知県刈谷市にあった依佐美送信所(よさみそうしんじょ)は「真珠湾攻撃」を知らせる「新高山登レ一二〇八」の暗号電報を「潜水艦」向けに超長波(17.44kHz、波長:約17q、出力500kW)送信した送信所として知られています。
(詳細は ここをクリック)
同送信所の歴史は昭和4年(1929年)に設立され、「日本無線電信(株)」後に「国際無線通信(株)」が半官半民の送信所として対ヨーロッパ向けに使用していました。
「対欧無線通信発祥地」の石碑
依佐美送信所記念館と共に
「フローラルガーデン」内にある
同送信所が出来る前のヨーロッパ
向けの電報は複数の国を経由した
海底電線に頼っていたため往復48
時間以上かかることもあった。
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しかし超長波よりも短波の方が遠方に届くことが分かり、超長波は短波のバックアップの役割になっていました。
その後超長波は海中に届くことが分かり潜水艦の通信手段に使われるようになり、昭和16年(1941年)「日本海軍専用」となり開戦時の暗号電報「新高山登レ一二〇八」(ニタカヤマノボレ1208)が潜水艦向けに送信されました。
戦後「在日米国海軍」が昭和25年(1950年)に接収し昭和27年(1952年)から平成5年(1993年)まで「対潜水艦」用として通信をおこなうための軍事施設として送信していました。
平成18年(2006年)に撤去され、跡地隣に「依佐美送信所記念館」が設立され、貴重な資料が保存されており平成20年に「近代産業遺産」に登録されました。
また我が家のシャックからよく見えていた依佐美無線鉄塔(よさみむせんてっとう)も平成9年(1997年)に撤去され,それにともない超長波用アンテナもなくなってしました。
カーナビがないころは、道に迷っても無線鉄塔目指して走らせれば地元刈谷に戻って来ることができました。
ここに掲載した写真はほとんど「依佐美送信所記念館」で撮影したものです。
依佐美送信所記念館正面
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フローラルガーデン内にある「依佐美送信所記念館」付近では秋に「コスモス」がたくん咲きます。
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依佐美送信所記念館とは
依佐美送信所は昭和4年に建設された、当時としては世界最大級の無線送信設備で、長波によるヨーロッパへの送信を日本で初めておこないました。
第2次世界大戦後アメリカ軍による接収、平成6年に日本へ返還され(平成5年停波)送信所は平成18年に解体されました。
この送信所の産業遺産としての価値を評価し、長波用送信装置および関係資料を保存し後世に伝えていくことを目的に建設されたもので、95年前の設備を原型のままの保存展示しており世界的にもめずらしく、その価値は世界遺産級と言われています。(注1)
依佐美送信所は各種団体から認定されています
認定年 |
認定名 |
認定対象 |
認定団体 |
1996 |
産業遺産 |
高周波発電機 |
産業考古学会 |
2007 |
機械遺産 |
高周波発電機 |
日本機械学会 |
2008 |
重要科学技術史資料登録 |
依佐美送信所
送信装置一式 |
国立科学博物館 |
2008 |
IEEE マイルストーン |
依佐美送信所 |
米国電気電子学会 |
2009 |
近代化産業遺産 |
旧依佐美送信所 |
経済産業省 |
2012 |
でんきの礎 |
依佐美送信所と
初の欧州無線通信 |
社団法人電気学会 |
コールサインは 戦前:JND、 戦後:NDT が使われていました
依佐美送信所記念館ガイドボランティアの会
上記「記念館」のガイドをご希望の方は個人、団体を問わず下記からご連絡ください。
「依佐美送信所記念館ガイドボランティアの会」 申し込み書は下記からダウンロードできます。ここをクリック
当局は同会の会員でガイドをしています、お近くにお 越しの際はぜひご来館ください。
なお同会は、内閣府から「平成24年度社会参加活動事例」として「動画」にて紹介されています「動画」は下記から見ることができます。
ここをクリック
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(図1)
鉄塔は1928年(昭和3年)に完成し、1997年(平成9年)に撤去されました。
鉄塔製作は石川島造船所現在のIHI(株)、建設は大倉土木(株)現在の大成建設(株)がおこないました
本鉄塔は、地上高250メートル、一辺が3mの三角柱で出来ており重量は約250トン、合計8本から構成されていました。
形状は「底部絶縁球状承軸式」とよばれ、鉛筆の芯を下にしたようもので、底部では碍子で荷重を受けていました。
よって支線を含め碍子により、すべてアースと浮いた構造になっていました。
使用された支線(ステー線)は「記念館」に展示保存しています。 |
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(図2)
(図2)は鉄塔を上からみたところ、横平行に何本か(16本)あるのがアンテナ線です。 |
(写真1)
(写真1)はジオラマで「逆L型アンテナ(白色で表示)」をイメージしたもの。8本ずつ2カ所で引き込まれていますが、送信所内で1本にまとめられています。
横方向2本の鉄塔間隔は500m 縦方向4本の鉄塔間隔はそれぞれ480m 合計1440mです。
横方向2本の鉄塔間の青色線がアンテナを固定するアンテナ吊線、実際にはアンテナの重量によりたわんでいます。
アース線は鉄塔の真下、横880m、縦1760mに横10m、縦55m間隔で深さ0.6mで網の目のように敷設されていました。
(図3)
上記アンテナ、アース回路図(図3)は「接続略図」(「依佐美送信所 70年の歴史と足跡」平成9年電気興業(株)刊依佐美送信所ガイドボランティアの会印刷)からアンテナ、アース回路のみを抜粋し表示しています。
全体の接続略図はA3サイズにて「記念館」から配布されています、それを「PDFファイル」化したものが下記から閲覧できます。
次ページの「接続略図」と同じものです。
ここをクリック
ただしこの「接続略図」は1952年(昭和27年)6月当時のもので、その後アンテナ、アース関係は何度か改良されています。
(図4) (写真2)
上記(図4)は1963年(昭和38年)「逆L式」(図3)から「複調式」に改良した後のアンテナ、アース部を抜粋した回路図です、「逆L式」に「アースコイル」を追加しています。(注2)
アースコイルは「コイルハウス」と呼ばれた建物内(写真2)に設置されていました。
「コイルハウス」はアンテナ先端直下(写真3、参照、矢印)にありました。
4本の無線鉄塔が撮影されていますが、近くから見ると基部の細さは驚異です、そ迫力に驚かされました。
当時ワイドレンズを持っていなかったため、標準レンズで撮影しましたが、4本の鉄塔を入れるのに苦労した記憶があります。
結局手前の鉄塔は頂上まで写っていません。 |
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上写真のようなステー基部は何か所もありました、このステーで250メートルの鉄塔のバランスを取れるという驚異的な技術です。
この巨大無線鉄塔が工事中とはいえ、倒壊するとは夢にも思っていませんでした。
近代技術を駆使した解体工事でも事故が起こったのですね、詳細はまつわる話題を参照してください。
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参考文献(注1)依佐美送信所記念館パンフ
(注2)依佐美送信所調査報告書(中部産業遺産研究会)
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