不連続日記
 日記と称しているが、まず毎日の書き込みは不可能だし気が向いたら書き込む程度のページ。それでも市政にかかわる情報をできるだけ織り込みながら綴り、楽しみながらためになるページ・・にするつもり。
平成17年11月〜平成18年1月
2006年1月31日(火)
ここもすごいわ
 長野県は古くから教育県として知られている。江戸時代には寺子屋の数は全国一だったといわれていて、親は食えなくても子供には教育を受けさせた、と筆者の頭にはインプットされている。ここの所松本市や下條村、飯田市を視察して教育県であるとともに、政治的に成熟していて、政治家自身が非常にまじめに活動しているという印象を強く持った。近年自治基本条例を制定する動きが活発だが、議会の提案による条例制定は全国初だ。平成18年9月定例会で成立予定だがその取り組みを研修した。(報告書近日公開)2人だけの研修で、話に夢中になって写真を撮ることをすっかり忘れてしまった。写真は飯田市りんご並木、HPより
2006年1月30日(月)
やっぱすごいわ
 1月30日(月)〜31日(火)長野県下條村、飯田市を視察研修した。(視察報告近日公開)下條村は刈谷市の市民休暇村のあるところで縁も深いところだ。下條村はNHKの少子化問題の番組で取り上げられて以来全国から視察が相次ぎ、ようやく落ち着いてきたところとか。下條村は合併の道を選ばず自立の道を歩むためのさまざまな取り組みをしている。最大59人いた職員を37人に減らし、簡単な道路補修は村がコンクリなどの材料を支給し地区の人たちがボランティアで工事をするようにした。さらに中学生までの医療費を無料化した。こうした施策で出生率1.97人を実現している。村長の強烈な指導力による成果だ。(写真はかりや市民休暇村)
2006年1月29日(日)
君らのその若さがうらやましい
 1月29日(日)刈谷市内の子ども会会大会が開催された。大会には124団体の子ども会、役員らが集った。昨年は友人の娘さんが司会を務め、今年はその友達が司会を務めていた。進行は実に堂々としていて、けなげで頼もしかった。今年で卒業するであろうジュニアリーダーの表彰もあった。永年地域の子ども会の行事の協力や他市の交流会などに参加して多くのことを学んだに違いない。これから勉強に専念する人や新たな社会へ旅立つ人もあろう。ジュニアという立場からそれぞれのステージでリーダーであることを望みたい。おそらく皆さんたちはその幼さや若さに対して何も感じていないだろうが、実はその限りない未来を小生らよりたーくさん持っている君たちが羨ましくてしょうがないのだ、おじさんは。
2006年1月24日(火)
体が資本
 年に一度の健診を刈谷総合病院健診センターで受けた。前日、南部の地区長、公民館長、市長、市議会議員らで懇親会があった。当然『明日は健診だから飲まずにいよう』と心に秘めて会に望んだのだが、そこはお酒に関してはめっぽう意志の弱い小生、勧められるままに杯を重ね、終わってみればいつもより深酒になっていた。他の議員はちゃっかり健診を日延べしたりして自己防衛していた人も。きっと血液も尿も引っかかるだろうなと覚悟して健診の日の午後、健診結果を聞いた。昨年は胃炎や腎結石、食道裂孔ヘルニアと散々だっただけに不安だった。しかし結果は以外にも全て良好だった。ただ血圧が少々高めで要注意とのことだ。昨年の健診以来自宅ではほとんどお酒を飲まなくしたのがよかったのかも。一安心。
2006年1月16日(月)
忘れなくてもやってくる
 1月15日、南部の消防団6個分団主催による出初式と防災訓練が行われた。昨年から南部地区持ち回りで主管することになった訓練だ。地震災害警戒本部の設置から警戒宣言発令情報の住民への広報、避難誘導。地震発生後の被害状況の把握と伝達、倒壊家屋からの救出訓練、消火訓練、応急給食支援、災害相談所の設置までいざというとき必要な訓練を一通り実施した。11年前の1月17日、6000人を越える犠牲者を出した阪神淡路大地震。犠牲者の多くは倒壊した家屋による圧死だった。改めて耐震診断、改修の必要性を感じるとともに、地域やご近所、自らの防災意識や防災力を高める必要性があることを痛感した。災害は忘れなくてもやってくる。
2006年1月14日(土)
男たちの大和
 映画“男たちの大和”を見た。大和は昭和20年4月7日、航空機の護衛もなく片道の燃料で沖縄へ特攻作戦に向かう途中、米艦載機に猛烈な爆撃を受け沈没。乗組員は3332名いたが生き残ったのはわずか276名だった。映画は生き残った一人の乗員である老人と孫、かつての戦友の娘の3人が大和が沈んだ海域に船出する場面から始まる。大和から生きて帰還したことに対する自責の念を持ち続けていた古老は、大和での出来事を回想するうちに“戦争を語る”ことで生きる意味を実感する。犬死とわかっていながら出撃することに『敗れて日本は目覚める』と諭す上官。60年後大和は何を私達に語ろうとしているのだろう。
2006年1月13日(金)
子供大人の恥さらし
 1月8日、市体育館で一足早い成人式が開催された。全国のニュースでは、派手な羽織袴の成人が酒をラッパ飲みするは集団で気勢を上げるわといったニュースを流していた。武田鉄矢風に言うと“ばかチンどもの恥さらし”で、見るに耐えない。自治体によっては成人式を取りやめるところもあるが、賛成しがたい。今年成人式を迎えた青年は市内で1697人で昨年より73人少ない。式典が体育館という場所からか、市長の祝辞にも会場内はざわついていた。でも正面にいる人たちはできるだけ聞こうとしていたし、拍手も忘れていなかった。ニートや引きこもりなど今日ほど若者に対する風当たりが強い時代はなかったと思う。がんばれ若い衆!と、エールを送りたい。
2006年1月11日(水)
アネハる?
 チョッと前まで1級建築士といえば“すごいねぇ”といわば得がたい資格を持つ尊敬のまなざしであった。ところが、例の構造計算偽造事件の発覚である。“1級建築士なの?”は悪いやつとのイメージが付きまとい、脅されているかのようだ。1級建築士は弁護士などと同様に法の番人となるべき資格を持つものだ。よもやその法の番人が偽装をするとは夢にも思わなかったに違いない。子供たちの間では“偽造・だます”を“アネハる”と言うとか・・。駅を利用して出勤していた近所の人は『あんな細い鉄筋で、大丈夫か、少ないし・・』と工事を眺めていたそうだ。素人目にもヘンだと映っていた。全国ニュースとなった駅前ホテルが解体工事着工。複雑だ。
2006年1月8日(日)
たこたこ揚がれ〜
 高須町恒例の凧揚げ大会が沢渡川左岸堤防で開催された。風のない穏やかな日だったが、それでも時折吹く北風に乗って約90の凧が天を舞った。凧は公民館の主催による講習会で作られたもので、絵や文字にそれぞれの工夫があって面白い。親がゲイラカイト時代?なのか素朴な凧揚げが好評だ。今年は凧の絵文字に“前代未聞”と書かれたのがあった。この子は毎年、出世・日本一・世界一と書いて参加しており好感持てる。参加者は凧揚げの後子ども会の作ったお汁粉を味わった。この会を主催する高須公民館の役員で前日準備をするのだが、犬のフンには閉口すると嘆いていた。こうして目に見えないところで努力する人たちによって大会は支えられている。謝々多謝。
2006年1月7日(土)
出初式
 平成18年衣浦東部広域連合消防局の消防出初式が総合運動公園で開催された。出動人員は総員402人のうち189名、出動車両は100両中18両だ。ドイツ製のはしごつき消防車や救助工作車2台など消防局の精鋭が集結した。消防訓練では工作車での実技が披露された。瓦礫に埋もれた人を熱で探知する装置や隙間をかいくぐっていくカメラなど実践さながら実演された。日ごろ鍛えているであろう隊員のきびきびした動きは本当に頼もしく映った。今年は厳しい寒さを反映してガスの供給が例年の3割アップだそうだ。それだけ火が使われることが多く火の元の注意が必要だと、呼びかけられた。火災と震災がないことを祈り万歳三唱。
2006年1月4日(水)
今年も完歩
 毎年恒例となった“初詣熱田ウォーキング”が好評?なんてことはないが、何しろ熱田神宮まで歩いて初詣に行って、櫃まぶしで一杯というずいぶんマニアックな企画なので、なかなか仲間が広がらなかった。が、今年は22歳の若い衆や40台の若き中年?の新たな仲間の参加を得て地味に開催された。総合運動公園を8時に出発、有松の旧街道の町並みを堪能しながらの旅だ。途中雨にたたられずいぶん寒かったが、12人全員が完歩した。熱田神宮には12時ころに着き、今年の無事を祈った。今年で5回目くらいの企画だが、来年もきっと実施すると思う。“えーっ歩いて熱田?”と驚かれるが、全工程約20キロで思ったほど遠くはない。参加してみる?意外と面白いに。
2006年1月1日(日)
おめでとうございます
 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。昨年は身内に不幸があったため、一般的にはおめでとうと言ってはいけないなどと聞きますが、今年も平年どおり極めて普通に正月を迎えました。御鏡さんを飾り、昨年作ったヒョウタンを6個(六瓢息災を願って・・写真は5個に見えますが右端が双子です)、地元高須神社のお守りも添えてみました。今年も健康で“理想は高く、姿勢は低く”をモットーに“まじめでクリーン”な政治姿勢を貫きたいと思います。来年には知事選、県議選、市長・市議選と続きます。今年一年をどう過ごすかにかかっています。明日に花咲く今日の種をまくために、地道にまじめに取り組みたいと思います。今年一年が皆さんにとってよい年でありますように。
2005年12月22日(木)
食べられちゃう

 この地域は比較的温暖で雪が積もることはそんなにはあることではない。でも今年は58年ぶりの大雪で名古屋で23センチ積もった。刈谷市内の事務所への届け物を配達するのに4時間かかったという人も。なれない雪道であちこち大渋滞だった。子供たちが終業式を終えた後だったのがせめてもの救いか・・。子供たちが作った雪だるまがいい表情をしていたのでシャッターを押した。バケツをひっくり返して作った耳を持つ“かいじゅう”が今まさに雪だるまを飲み込もうとしている迫力ある力作だ。積もった雪がなかなか解けないで残っている。暖冬予想だった長期予報は厳しい冬と訂正された。子供の頃ぶ厚い氷はよく見かけたしもっと寒かったように思う。気のせいならいいのだが・・。

2005年12月20日(火)
合掌
 神戸港震災メモリアルパークの一角に神戸の復興を応援するプロ野球選手をはじめたくさんのメッセージが焼き付けられたタイルの壁がある。その中に前オリックスバッファローズの監督を務めた故仰木監督のパネルが静かに陽だまりの中で光っていた。メジャーリーグで活躍する野茂投手やイチローを育てた名監督だ。イチローの素質を見抜き1軍で登用したことが今日の名選手を生んだと、イチロー大好きファンに聞いた。今度、マリナーズの試合を見にシアトルまで行く計画のあるすじ金入りのイチローファンの言葉だ。震災後、がんばろう神戸を合言葉にオリックスをリーグ優勝に導いた。翌年には日本一だった。神戸だけでなく日本中が励まされた。残念、合掌。
2005年12月20日(火)
ラッシュアワー
 12月17日(土)、仲間とともに神戸ルミナリエに行った。ルミナリエの開催は12月9日から22日までで、クリスマス前の土曜日とあって大変な混雑であった。地下鉄のラッシュアワー時の車内の混雑がそのまま移動していく感じである。あの日、1月17日の震災から11年経つ。震災で亡くなられた人への鎮魂と都市の復興・再生を祈念して開催されたルミナリエだが冬の観光イベントの感あり。もちろん来場する側だが。神戸港メモリアルパークへ寄った。傾いた街灯や崩れた岸壁などを見たとき、地震のすごさと怖さを実感した。とはいえ、帰宅しても何の災害準備もしてないことに流されてすごしている自分がいる。災害は忘れなくてもやってくる。わかっちゃいるんだけどなぁー。
2005年12月16日(金)
不安と恐怖!

 もはや子供たちが安全なところはなくなった、といっても過言ではない。広島、栃木では学校帰りの子供が狙われ、京都では塾内で殺害された。学校の内外を問わず子供たちが悲惨な事件に巻き込まれていく。集団で帰りなさい、笛を持ちなさい、ボランティアが付き添うなどの対策をかいくぐって事件が発生する。事件以後刈谷市は登下校の安全を確保するために安全点検や要注意箇所の周知徹底、地区パトロール隊への依頼など必要な措置はとったと言う。事件が発生した地域でも万全を期して対策をしていたはずだ。安全対策はこれで十分だという事はない。人がいとも簡単に殺されていく不安と恐怖に震える子供達の目が大人たちへ注がれている。首にかかったお助け笛がさびしそうに揺れた。

2005年12月5日(月)
余計なお世話

 クリスマスが近づいてくるとあちこちの庭先がイルミネーションで飾られる。寒いこの時期空気が澄んでいてきれいで、私達の目を楽しませてくれる。でも根が貧乏性なんで電気代は大丈夫か、漏電はしないかなどあれこれ思いをめぐらせてしまう。で、いくらくらいかかるものかと思案していたら教えてくれた。3000個の電球を5時間点灯すると148円くらいになるとか。ゴージャスに飾りつけたものならもっといくよね、きっと。ちょっとした観光スポットになっているところもある。おかげで車が渋滞はするわ、トイレはしていくわで迷惑しているとの声も聞いたことがある。いやいや、イチャモンつけている訳じゃないです。結構ミーハーで楽しんでますから。

2005年11月27日(日)
高須町2丁目の夕日
 映画、オールウェイズ3丁目の夕日を見た。土曜の最後の上演だったが、観客はほぼ満員。おがけで前列から2番目という悪条件での鑑賞だったが、なかなか見ごたえがあり、涙がちょちょ切れそうになるシーンもあり感動した。昭和33年当時の東京の下町が舞台となっている。戦争の傷跡を多少引きずり、貧しい中でも希望を持って生きる庶民の生活を描いている。テレビが届き、近所の人たちで鈴なりになっている場面や、子供たちがフラフープやちゃんばらごっこで遊んでいる場面など懐かしい。貧しかったけど、近所とのふれあいややさしさ、思いやりがあった。今もないわけではないだろうが妙に懐かしいのはなぜだろう。そういえはじっくり夕焼けを見る機会もなくなっていた。お勧めの作品。
2005年11月25日(金)
続・俺たち にわか ヒョウタン族
 全日本愛瓢会県支部主催のヒョウタン作品展が西尾市で開催された。県内48人の愛好家の作品が展示された。地域の交流を深めようと指導している幼稚園や保育園の子供たちの作品も展示された。中には中部国際空港の開港を記念して、ヒョウタンで作ったジャンボジェット機が参加者の目を集めていた。千成ヒョウタンや1.5メートルの胴回りのヒョウタン、長さ3メートルのヒョウタンなど力作ぞろいだった。ヒョウタンの形の良し悪しはその割合で決まってくる。下の胴7、上の胴5、くびれ周り3という具合だ。また同じ形は2つとできないといわれ、同じような物を2つづつ揃えていくのが難しいとか。熱しやすいにわかヒョウタン族の筆者、来年もやってみようと決意している。
2005年11月20日(日)
新たなシンボルの影で・・。
自粛

 メープルリーフの建設で新たな魅力が増えるのは喜ばしいことだ。だが・・、季節のよい土日になると大勢の愛犬家が訪れる。集まってくる犬は気のせいかどれも血統書つきと思しき犬ばかりに見える。愛犬家同志会話も弾んでいる光景も見られ、ほほえましい感じがする。だが、中には鎖をはずし放し飼いする人もいるし、散歩中でも用足しのためのビニールなどもっていない人も見かける。芝生では気持ちがいいのか子供たちがはだしで走り回るその脇には、糞と思しき黒い塊(写真参照)が点在している。なんとかしてよっ!の声はよく届いている。飼い主のモラルだけに頼るしかないのか・・。(12月議会質問検討中)

2005年11月18日(金)
新たなシンボル

 ミササガ公園に新たなシンボルとなる楓の葉(メープルリーフ)が姿を現した。これは万博でカナダ館のシンボルだったもので、刈谷市のフレンドシップの相手国であったカナダから寄贈されたものだ。ミササガ公園はバラや芝桜など季節ごとにきれいな花を咲かせ市民憩いの場になっている。また、季節のいい時期はバーベキューを楽しむ市民でごった返す。工事中の看板にメープルリーフがここに建設されるいわれが書いてある。工事中の看板に掲示されることは珍しいことだと思うが、いいことだ。できれば工事費も掲載するともっといい。新たの魅力を加えたミササガ公園、又楽しみが増えた。

2005年11月17日(木)
短い時間だったけど

 わが会派の視察研修方針は政策や箱物を視察する研修するより、ユニークな施策や新たな発想を政策にする首長や議員を訪問することを主眼においている。今回、長野県知事、田中康夫さんに接見する事ができた。短い時間だったが、有意義だった。県の財政再建の実績やヤミ金対策、木製ガードレールの採用など、県政改革にかける知事の熱い思いや物事に屈しない覚悟と根性、戦う姿勢を痛感した。社会見学に訪れる小学生の記念写真にも王冠(?)をかぶり、ヤッシー人形を抱えて気軽に応じるなどサービス精神も旺盛だ。任期は残り1年を切った。

2005年11月14日(月)
ハウマッチ
 市民の方からの要望で多いのがこのカーブミラーの設置。もちろん必要だと思われるところは区長さんと相談して設置している。このカーブミラーはいったいいくらするのだろう?市生活安全課によると、材質によって違うと言う。アクリルのものとステンレスのものとでは価格に差があり、刈谷市では耐久性に優れたステンレス製を使用しているとのこと。価格は一般的な80センチタイプで4万円〜5万円。工事費込みで13万円〜14万円くらい。今年度の設置は40ヶ所程度を計画している。3〜4箇所かまとめて見積もりを取り工事発注している。事故による怪我や車両の損傷などの社会的損失を考えれば安いものかもしれないが、安全確認は運転者自らの目で確かめることだ。くれぐれも過信は禁物のようだ。
2005年11月11日(金)
紅葉
 小垣江町内にある街路樹が紅葉を迎えている。この街路樹は『アメリカフウ』と呼ばれ、日本名は紅葉葉楓(もみじばふう)。原産は北米中南部、中米原産の落葉高木。大正時代に日本に渡来したとか・・。秋の風情と季節の移ろいを感じさせドライバーの目を楽しませている。だが、やがて冬が来て、落葉するころになると風に吹かれて吹き溜まりに落ち葉がたまるようになる。さて、どうしたものか?となる。そこで17年度市土木課では道路等清掃ボランティア団体支援事業を立ち上げている。清掃に必要なゴミ袋などの提供や保険料などを負担してくれる。今年度新規事業だがすでに24団体、約500人の市民が頑張っている。行政と市民との協働に期待が高まる。
2005年11月8日(火)
まもなく完成!

 市営住宅(ここをクリック)の中山住宅がまもなく完成する。現在駐車場などの工事で最後の仕上げに入っている。中山住宅は平成16〜17年度の継続事業で約7億3000万円を投入した。鉄筋コンクリート造7階、一部5階建てのマンション風の立派なもの。建設戸数は47戸だが、従前の入居者がすでに決まっていて、募集は身障者世帯1戸、一般の13戸だ。11月8日の受付1日だけですでに23人が応募している。15日の締め切りまで何戸の応募が来るか予想がつかない。ちなみに11月1日付けの入居抽選は、母子家庭世帯2戸が6倍、一般1戸が22倍と強烈な倍率、もはや宝くじ並みだ。中山住宅は各戸別の抽選であることから倍率は下がるが狭き門であることには違いない。

2005年11月7日(月)
黒い集団

 11月のとある日、南部の田園地帯に異様な黒い集団、カラスが出没した。マンションの屋根や電線に大げさじゃあないけど、数100羽はいたかと思う。大群をなしていた群れは数個に分かれ、飛び立った。その内の一団がこれ。全部は捉えていないが7〜80羽はいた。権兵衛が種まきゃあ・・♪と言われるように、田んぼに降り立ち何かをついばんでいた。烏合の衆の言われるようにカラスは群れを作らないものだがこの時期は群れるとか・・。カラスのフンに困っているとか、ゴミを食い散らかす、車にとまり傷つけられたなど、何かと厄介者にされるカラス君。天敵もなく、食い物にはほとんど困ることのない都会こそ、彼らにとっては天国である。はて、どうしたものか?