捲土重来(けんどちょうらい) |
意味:一度失敗した者が再び勢力を盛り返してくること。「巻土重来」とも。 |
秦朝滅亡後、楚王項羽(こうう)と漢王劉邦(りゅうほう)は、中華の覇権をめぐって争った。四年にわたる攻防の末、項羽はついに垓下(がいか)の地で漢軍に包囲された。項羽は夜陰をついて包囲網を突破すると南へ逃れ烏江(うこう)をめざした。渡し場では烏江の亭長が船を用意して待っていた。亭長は項羽の顔を見るといった。
「江東は小さいとはいえ、その地は千里四方にもおよび、人口は数十万、王となられるには十分です。王、早くお乗りください。船はこれ一艘、漢軍が来ても渡ることはできません」
しかし、項羽はこれを聞くと、
「天がわしを滅ぼそうとしているのだ。渡ることなどできようか。ましてわしはかつて江東の子弟八千名を率いて河を渡り西へ向かったというのに、一人として連れ帰ることができなかった。たとえ、子弟の家族がわしを哀れんで王として迎えてくれたとしても、どの面さげて会うことができようか。なにより、わし自身がゆるせない」
といい、亭長に感謝し、愛馬を預けた。このとき項羽の配下はわずかニ十数人。全員が馬をすて、剣を手に、再び漢軍に向かって斬り込んでいった。項羽はひとりで数百人を殺したが、自身も数十ヶ所に傷を負い、最期は自ら首を刎ねて果てた。
後に唐の詩人、杜牧がこの烏江のほとりを訪れたときに『烏江亭に題す』という詩を詠んで項羽を惜しんだ。
<原文>
題烏江亭
勝敗兵家事不期、
包羞忍恥是男児。
江東子弟多才俊、
巻土重来未可知。
烏江亭に題す
戦の勝敗は兵法家であっても、予期することはできない。
恥を堪え忍んでこそ男児というもの。
江東には優れた若者が多いのだから、
土を巻き上げるような勢いで盛り返すことができたかもしれないのに。
【杜牧詩・題烏江亭】