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密なるものとは この世の秘密のこと。 それは、この世界、この宇宙のすべてを包み込んでいるもの。 この世の中は、まったく正反対のものが同時に存在する。 そして不思議なことに、その両者が一体となりバランスを保って、この世の中が成立している。 たとえば、物質の構成単位である原子は陽子と電子でできている。両者はまったく反対の性質を持っているにもかかわらず、一体となり調和している。 すでに気づいている人もいると思うが、密とは平安仏教の教えるところの密教の密である。今から約1200年前に最澄や空海が説いた平安仏教は、未熟な仏教であり、祈祷仏教として軽く見られた。しかし日本仏教の根本がこの時にすでに完成の域に達していたのではないだろうか。そこに非常に深い思索が完成していたように思う。 最澄の天台密教の摩訶止観は一念三千の観といって一瞬のうちに三千世界を感想する観行だそうだ。その三千世界とは仏教で言う十界、つまり地獄、餓鬼、畜生からはじまり仏の世界までの十の世界があり、そしてその十の世界のそれぞれの中に、再び同様な十の世界があるというのである。そう、まったくわけのわからないような話なのである。そうすると、地獄の中にも仏が存在し、仏の中にも地獄が存在することになる。そう、私がはじめに言ったように、まったく正反対のものが仲良く同居していて、それらが根本的な世界の構成要素となっているのである。 このような思想が、まったく非科学的として、迷信として扱われてきた。しかし、よく考えてみると、先ほどの電子や陽子の関係を考えてみてもわかるのだが、科学的にみても誤った考え方ではないことに気づく。 「この世の中は、まったく正反対のものが同時に存在し、そして調和している。」 そう思うと人間も完璧な善人といわれる人のなかにも悪があり、まったく悪魔としかいいようがないような人にも、愛が存在することを忘れてはならないと思う。 きっと、仏教の教えをもっと紐解けば、次から次へと私にとっての宝を見つけることができるかもしれない。 みなさんも、自分なりに仏教のなぞに挑戦してみたらいかがでしょうか。
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