浦島太郎
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浦島太郎と玉手箱


竜宮には夜も昼も無い。いつも五月の朝のごとくさわやかで、木陰のような緑の光線でいっぱいで、浦島は幾日をここで過ごしたか、見当もつかぬ。その間、浦島は、それこそ無限に許されていた。乙姫のお部屋にも、はいった。乙姫は何の嫌悪も示さなかった。ただ、幽かに笑っている。
そうして、浦島は、やがて飽きた。許される事に飽きたのかもしれない。陸上の貧しい生活が恋しくなった。お互い他人の批評を気にして、泣いたり怒ったり、ケチにこそこそ暮らしている陸上の人たちが、たまらなく可憐で、そうして、なんだか美しいもののようにさえ思われてきた。

(おかしなものですね、人間は。何でもあって、すべてに満足できる環境にいると、不思議と何か物足らなく感じてしまう。ここらへんが、人間の欲望に限りが無いということなのでしょうか。 KH)

浦島は乙姫に向かって、さようなら、と言った。この突然の暇乞いもまた、無言の微笑でもって許された。つまり、何でも許された。始めから終わりまで、許された。乙姫は、竜宮の階段まで見送りに出て、黙って小さい貝殻を差し出す。まばゆい五彩の光を放っているきっちり合った二枚貝である。これが所謂、竜宮のお土産の玉手箱であった。
そして、浦島は地上に戻り、あたふたと生家に向かって急げば、


ドウシタンデショウ モトノサト
ドウシタンデショウ モトノイエ
ミワタスカギリ カレノハラ
ヒトノカゲナク ミチモナク
マツフクカゼノ オトバカリ


という段取りになるのである。浦島は、さんざん迷った末に、とうとうかの竜宮のお土産の貝殻を開けてみるということになるのである。


さて、竜宮の乙姫にもらった玉手箱。この玉手箱に対比されるのがギリシャ神話のパンドラの箱である。決して開けてはならぬその箱をパンドラがそっと開けると、そこからこの世のあらゆる不吉の妖魔が一斉に飛び出し、悪がこの世の隅から隅までくまなくはびることになった。しかし、その空っぽの箱の底には一点の小さな宝石があった。その宝石にはなんと「希望」という字がしたためられていた。それ以来、人間は、いかなる苦痛の妖魔に襲われても、この「希望」によって勇気を得、困難に耐え忍ぶことができるようになったという。それに比べて、この竜宮のお土産は、愛嬌も何も無い。ただの煙だ。そうしてたちまち三百歳のお爺さんである。三百歳のお爺さんに「希望」を与えたって、それは悪ふざけに似ている。ということになると日本の玉手箱はギリシャ神話のパンドラの箱よりも残酷ということになってしまう。また、そのようなひどいお土産をあの乙姫が悪ふざけや悪意で浦島に持たせたとも考えられない。
私は、それについて長い間、思案した。そうして、この頃にいたって、ようやく少しわかってきたような気がしてきたのである。
つまり、私たちは、浦島の三百歳が、浦島にとって不幸であったという先入観によって誤られてきたのである。絵本にも、浦島は三百歳になって、それから、「実に、悲惨な身の上になったものさ。気の毒だ。」などというような事は書かれていない。


タチマチ シラガノ オジイサン


それでおしまいである。気の毒だ、馬鹿だ、などというのは、私たち俗人の勝手な盲断に過ぎない。三百歳になったのは浦島にとって、決して不幸ではなかったのだ。


曰く、
年月は、人間の救いである。
忘却は、人間の救いである。


竜宮の乙姫の高貴なもてなしも、このすばらしいお土産によって、まさに最高潮に達した観がある。思い出は、遠くへだたるほど美しいというではないか。しかも、その三百年の招来をさえ、浦島自身の気分にゆだねた。ここに至っても、浦島は、乙姫から無限の許可を得ていたのである。 寂しくなかったら浦島は、貝殻を開けてみるようなことはしないだろう。どうしようもなく、この貝殻一つに救いを求めたときには、開けるかもしれない。開けたら、たちまち三百年の年月と、忘却である。これ以上の説明はよそう。日本の御伽噺には、このような深い慈悲がある。
 

浦島は、それから十年、幸福な老人として生きたという。

太宰治 お伽草子より 
要約 服部健治
 

((Kenji Hattori's website))