愛知県碧南市 駅間にある高架の話題には誰も触れず 「三河楠」と「寺津」駅

2004年3月31日 三河線・碧南~吉良吉田間、最後の日

三河楠・寺津 (みかわくす・てらづ)

貨物取扱を目的に田圃のど真ん中に設置 古い街並みが魅力的な港町に

三河楠駅の入り口付近

<雑多な植物たちに囲まれ、その姿は文明遺跡の様相。入り口さえ容易には判断できない。貨物取扱を主とした駅として田畑のど真ん中に誕生した三河楠駅。だが昭和31年(1956)に貨物取扱を廃止してしまう> 「オドロオソロシイ」という表現が日本語にあるかどうか定かではないが、一目見て得た感想である。 西尾市・楠村町のはずれにある「三河楠駅」は、おそらく碧南~吉良吉田間の駅で最も荒廃した駅ではなかろうか。 正体知れぬ植物がプラットホームのまわりを囲み、やっと探し当てた出入り口は、ジメジメとした砂利道。 一種、自虐的な退廃感を求める男ひとり旅に、これ程相応しい駅はあるまい。開業から昭和後期まで、田畑のど真ん中にあった三河楠駅。 設置された目的は近隣の煉瓦工場の貨物を取り扱う事にあった。だが、同じ貨物を扱う平坂港前駅に押され、昭和31年(1956)1月5日に貨物取扱を廃止した。 昭和33年(1958)2月23日には、駅は無人化となった。

寺津駅で停車するLEカー

<古くから港町として栄えた「寺津」の集落に大正15年(1926)9月1日、駅が設置される。昭和40年(1965)まで使用された貨物用のプラットホームが残る。駅員非常柱の駅となったのは昭和44年(1969)7月1日> 「寺津村道路元標」の石標が残る。連綿とした歴史を伝えてきたであろう街並みは、訪問者にとって実に魅力的だ。港町として古くから発達した集落に三河鉄道は「寺津駅」を設置した。 駅は国道からの突き当たりにあり、大正15年(1926)開業の駅らしい構造。プラットホームを挟んで西の旧市街と東の新興住宅地と、景観が大きく変わるのは面白い。 ホームの西には、貨物取り扱いの名残であるプラットホーム土台が残っている。寺津駅において貨物取扱が廃止されたのは、昭和40年(1965)1月1日。 駅前の駐車場になっている場所には、西を入り口として小さな木造駅舎があった。寺津駅が無人となったのは昭和44年(1969)7月1日である。

ヘボト自画像ヘボトの「追憶の三河線3月31日」

雑草生えるホーム跡

「まぼろしの駅・北寺津駅」

LEカーに乗り、車窓を眺める。三河楠駅を出発し、次の駅である寺津駅に到着する手前で奇妙なモノを見た。 線路沿いにコンクリートの長方形。「あれはプラットホーム?」と頭を過ぎるが、三河楠・寺津間に駅はない。 改めて現地へ行ってみた。場所は寺津駅より碧南方面へ500メートル程行った踏切近くである。 その赤茶けたコンクリートの遺構は確かにあった。 踏切手前からそっと見た。線路の南に面して15メートルあるだろうか、小さいがプラットホームのようだ。 後に判明したが、これは「北寺津駅」の跡という。大浜港~神谷間が開業してから1年後の昭和2年(1927)7月25日、地元住民の要望によって北寺津駅は開業。 貨物取扱のない小規模の駅だったようだ。戦時中の昭和19年(1944)頃に休止。わずか17年の短命ということもあり幻の駅といわれる。 「昔の寺津駅」という説もあるが、真相は謎。

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