愛知県碧南市 駅を利用する人々をずっと見てきた 一色・駅前の店を訪ねて

2004年3月31日 三河線・碧南~吉良吉田間、最後の日

廃線と共に

廃線後は鉄道駅が皆無となる一色町 最後の営業となる2つの店を訪ねて

梅川屋の焼きそば定食

<西一色駅は決して魅力ある駅とはいえないが、唯一誇れるといえば駅前食堂の「梅川屋」。廃線を迎える3月31日に訪れる。「焼きそば定食」は、きっと私の思い出となるだろう。店内の「西一色駅舎」のモノクロ写真が印象的だった> かつてはモダンな駅舎を構えていた「西一色駅」。昭和61年(1986)に駅舎は取り壊され、あとには駐車場が広がる殺風景な場所になってしまった。 ゆえに廃止される碧南~吉良吉田間の駅の中で、あまり魅力があるとはいえない西一色駅。 だが、他の駅にはない、唯一、誇れるものがある。この西一色駅には、無人駅にもかかわらず、駅前食堂があるのだ。 その食堂の名は「梅川屋」。最終日である3月31日の午後1時過ぎ、私は梅川屋の店前にいた。 「中華そば・うどん・焼きそば・丼もの」と消えそうな文字の看板、店内の様子を伺い知ることの出来ない磨りガラスの引き戸。 気弱な私だが、今日は意を決して店内へと入った。常連さんによる食堂独特の緊張感。 鉄道マニアさんがひとりいた。ホッとした。壁にあるメニューの中から一番高い「焼きそば定食」(730円)をオーダーする。美味しい。 店主さんと常連さんの会話から「今日店が終わってから、実感してくると…」との言葉が耳に入った。店内に飾られている「西一色駅の駅舎」モノクロ写真。なんだか胸の奥がキュッとした。

一色売店の閉店作業がはじまる

<おそらく開業当時の建物はここだけ。大浜港~神谷間が敷設された大正15年(1926)から営業を開始。一色売店名物「関東煮」が飛ぶように売れていく。2004年3月31日午後9時、一色売店は拍手と共に「78年間の歴史」を閉じた> 三河一色駅前で店を開ける「一色売店」。この店は、大浜港駅~神谷駅間が開業した大正15年(1926)から営業している。 つまり、今日の名鉄となるずっと以前の三河鉄道時代からという歴史ある店なのだ。 建物も改修や移動こそあれど、当時のものだという。だが、残念なことに名古屋鉄道所有の敷地内にあるため、廃線と同時に78年の営業を終える。 営業最終日となる3月31日、店内には多くの人で賑わっていた。一色売店名物の「関東煮」は、味も染み込まぬうちに売れていく。 関東煮の鍋を囲んだ人の輪は、夜となっても消えることはなかった。そして遂に閉店となる時間が来る。 午後8時45分、閉店作業が始まり、雨戸が運ばれていく。午後9時ちょうど、全て閉じられた店前で店主・店員さんたちが整列し、集まった人々に深く一礼する。 たくさんの拍手が鳴り響き、感涙に満ちた雰囲気に包まれた。2004年3月31日午後9時、一色売店は共に歩んできた三河線より少し早く、78年の歴史に幕を閉じた。

ヘボト自画像ヘボトの「追憶の三河線3月31日」

懐かしの写真を前に人が集まる

「ありがとう 三河線」

碧南~吉良吉田間の三河線廃止に従って、鉄道交通の手段を失う一色町。 その意味も込めて、最終日となる3月31日の夜に、一色町の「三河一色駅」で盛大なセレモニーとイベントが行われた。 駅舎内では「ありがとう三河線」の文字で溢れ、三河線にまつわる「思い出の写真展」が開催されていた。みんな懐かしそうに写真に見入る。 また駅右手の広場では、三河線にゆかりのある人々を招き、話を伺うイベントも催され、夜にもかかわらずたくさんの人。 鉄道愛好家だけでなく、地元一色の人々が多く訪れたことから、消えていく三河線を惜しむ気持ちが伝わる。 18時から始まった「ありがとう三河線 最終便を送る会」も最終便の「吉良吉田行き、三河一色22時55分発」のLEカーを迎え、フィナーレとなった。

< text • photo by heboto >


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