愛知県碧南市 三河線・碧南~吉良吉田間最終営業日 どんな様子だった?
<奇しくも開業と同じ曜日に廃線を迎える。数えて2万8千336日目の今日、平成16年(2004)3月31日。春の陽気暖かい一日となりそう。440円の切符を何度も買う。平日にもかかわらず賑わい。仕事を終えた人々も最後の別れにとやって来る。夜には「三河一色駅」でセレモニー> 三河線の大浜港~神谷間が開通した大正15年(1926)9月1日は、水曜日だったそうだ。 同じく今日、平成16年(2004)3月31日も水曜日。開業から数えて、2万8千336日目にあたる。 昨日、吉良吉田行き最終を玉津浦駅にて見送った私は、再び朝、玉津浦駅にて吉良吉田発の第一便を迎えた。 碧南駅では、朝早くというのに、鉄道愛好家の姿を見かける。みんな今日という日を忘れないために頑張ってきた。 駅員さん達も今日は凛々しく見える。ホームの空を見上げれば、春の光。今日は良い日になりそうだ。 何度もLEカーに乗る。碧南~吉良吉田間、440円の切符。明日からは、もうこの値段では済まされない。 昼に近づく頃には、最終の日を楽しむ人々でいっぱいになった。沿線では菜の花の黄色が目立つが、桜にはあと少しで間に合わなかった。 車内では業務用カメラをもった業者さんの姿。地元放送局のみならず、全国区でニュースは流されるようだ。 夜には一段と人が増えた。仕事で疲れているにもかかわらず、みんな最後のお見送りに来たようだ。午後6時より、三河一色駅では「最終便を送る会」が催され、賑わいを見せる。
<時はやって来る。碧南駅2番ホームで最終となるLEカーは静かに出番を待つ。午後10時20分、地元「ありがとう」の声に見送られ、78年最後の便が出発する。暗闇の中、LEカーに手を振る人々。三河一色駅では花束贈呈の儀式。午後10時53分、吉良吉田駅到着。大正15年(1926)、三河鉄道より「78年の歴史」に幕> 三河一色駅のセレモニー途中に私は碧南行きのLEカーに乗る。目的は、最終となる「午後10時20分」のLEカーに乗車するために。 順調に進んだ私の計画だが、碧南駅において大きなミスを犯す。折り返しのLEカーを最終と勘違いし、乗り込んでしまうあり得ないミス。 次駅の玉津浦で下車するが、徒歩で行くにはギリギリの時間。思案に倦ねる私に救いの手。車で来ていた鉄道マニアが送ってくれた。 碧南駅2番ホームでは、最終となるLEカーが静かに時を待っていた。騒ぎ立てる者などおらず、車内は沈黙。 午後10時20分、地元の人々の「ありがとう、いってらっしゃい」の声に警笛で答え、最終便となるLEカーは出発した。 いつもならこの時間帯、無人である駅も手を振る人々の姿。「ありがとう、三河平坂」と手書きの紙を掲げた女の子が涙を誘う。 もはや訪れることのない駅を一つずつ越え、最終LEカーは三河一色の駅にやってくる。 眩しいフラッシュの嵐。LEカー運転手に花束が贈られ、「ばんざーい」の三唱。LEカーは動き出す。 午後10時53分、吉良吉田駅到着。運転手の涙する光景を目にした。大正15年(1926)来の歴史が今、まさに閉じた瞬間である。 吉良吉田駅のホームでは、夜遅くというのに人々の冷めやらぬ興奮がしばらくは残っていた。
2004年4月1日。静かな朝がやってくる。いつもなら元気よく通り過ぎるLEカーの姿は、もうない。 鉄道愛好家仲間のみならず、各地から連絡が入る。「おい、見てみろ、踏切だった場所に何かいる」。一読ではこのメッセージの意味を私は理解できなった。 「何かいる」とはどういうことだろうと、時間を見て踏切跡に様子を伺いに行く。眼前の哀れな光景に私は、メッセージの意味がようやく理解できた。 踏切の警報機に、真っ黒な幕が被せられていた。遮光幕だろうか、全く光の照り返しなく不気味。風でばたつかぬように、警鐘部分と赤レンズ部の間が留められ、くびれを作る。 まるで深くフードを被る「死神」のような姿。これが廃止された区間の踏切全てに現れたのだから異様である。 春の陽気に似つかわしくない「死神」は、まだ三河線が廃止されたことを実感しないでいる私達に、事は真実だと伝えに来たのである。
< text • photo by heboto >