愛知県碧南市 さらなる受難が三河線に 碧南駅・北新川駅が無人駅になる
<三河線を襲った悲劇は、碧南~吉良吉田間の廃止だけに終わらなかった。廃止翌年の2005年夏、碧南市内の駅員常駐駅である「碧南駅」・「北新川駅」が集中管理システム導入を理由に無人化された。大正3年(1914)2月5日以来、碧南駅(旧・大浜港駅)は91年で無人駅となる> 三河線の受難は碧南駅~吉良吉田駅間の廃止にとどまらなかった。翌年の平成17年の夏から秋にかけて、刈谷駅~碧南駅間のほとんどが無人駅となってしまったのである。 無人となった駅には、なんと碧南駅も含まれていた。大正3年(1914)2月5日(木曜)に三河鉄道の終着駅「大浜港駅」として誕生してから91年後の出来事である。 いつの間に改札機が現れ、無人化当日の8月25日の昼過ぎに窓口の工事が始まってあっけなく無人化に。惜しむ人が見送ることもなく、淡々と行われたと聞く。 岡島兵作は個人で改札業務を請け負う事で開業させた「北新川駅」も8月11日に無人化していた。 昭和21年(1946)に改築された北新川駅。古き良き時代の雰囲気に全く合わない無人改札機の設置は実に痛々しい姿。 今回の集中管理システム導入に従い、駅員常駐を許されたのは、碧南駅~刈谷駅間において、「碧南中央駅」と「刈谷駅」のみ。
<これは計画通りか? 昼間のみ駅員常駐だった碧南中央駅が終日駅員常駐に昇進。前身は「新須磨海水浴場」の海水浴客を当て込んで設置された「新須磨駅」。市内循環のくるくるバス全系統が集まり、中部国際空港への空港バスが経由。碧南市の玄関として重責を担う碧南中央駅> 大正時代の大浜発展を象徴する「碧南駅」(開業当時は大浜港駅)が無人の駅となった変わりに、碧南中央駅が終日、駅員常駐となった。 碧南中央駅は、昭和56年(1981)12月14日(月曜)に開業した。それ以前までは南の位置に「新須磨駅」という駅が存在していた。 新須磨駅は、大正3年(1914)2月5日(木曜)に刈谷新駅~大浜港駅まで開通した翌年の大正4年(1915)7月10日(土曜)に開業。 西にある「新須磨海水浴場」に訪れる海水浴客を見込んで誕生した駅である。 昭和23年(1948)の碧南市誕生を期に市中心部にあたる松本町周辺が開発され、行政・商業等の集まる区域となった。 碧南中央駅は、その玄関口としての役割を担う目的で新たに設置されたのである。 駅前には、市内を循環する「くるくるバス」全ての系統が集まり、2005年2月17日に開港した「中部国際空港・セントレア」への空港バスも出ている。 碧南市にあった7つの駅は、4つに減り、さらに駅員常駐の駅が1つだけになってしまったことは淋しい限り。 だが、悲観してはいられない。碧南中央駅のさらなる発展を願うべく行動せねば。
碧南~吉良吉田間の三河線が2004年3月31日に廃止された翌日の4月1日から運行を開始した「ふれんどバス」。 岡崎に本社を置く「名鉄東部観光バス」が、廃止された三河線に変わる代替バスとして運行する。 平成16年(2004)2月27日土曜日、「ふれんどバス」のお披露目として無料試乗会が催された。 前日には「教習車」と掲げられたバスが多々目撃されており、多くの人々の関心を集めていた。 無料試乗会当日、まだ第1番目のバスが到着する30分以上前というのに、バスを待つ人達の列が駅前広場北の角谷商店まで達していた。 真新しい車体の輝きを見せるバスが駅前ロータリーに姿を表すと、待ちわびた人々から歓声が上がる。 吉良吉田駅へと向かう道中、「ふれんどバス」と気づき、バスに手を振る人も。 当日の碧南駅では、10時10分から13時10分発まで、計4回運行された。
< text • photo by heboto >