愛知県碧南市 新川神社の歴史を知れば、先人達の願いを受け継ぐ気持ち
<新川出身の出征兵士はこの新川神社で見送られ戦地へ赴いた。帰らぬ者多く、慰霊碑に刻まれた名となり静かに眠る。しんしんと冷える冬の朝、真っ暗な神社境内に仄かな明かり。慰霊碑前で献灯する老婆ひとり。今日の碧南市はたくさんの犠牲の上に成り立っている> グラウンドから飛び込む怒号、テニスコートから漏れる黄色い叫び。悲しい新川神社の歴史も知らぬ戦後生まれの世代。 新川神社の境内は戦後、平和利用との事で新川神社の境内の大部分は転化され、グラウンドやテニスコートと成り果てた。 新川神社には悲しい歴史がある。昭和2年(1927)5月24日(火曜)に創建。終戦前まで「忠魂社」という名だった。 次第に戦況が悪化していく中、召集令状を受けた出征兵士が新川神社に集まり、日の丸に見送られながら戦地へと赴いた。 現在、神殿の西にある慰霊塔には427の名が刻まれている。彼らは新川神社で見送られ、二度と故郷の土を踏むことはなかった兵士達である。 私はある光景が忘れられない。冬の始発電車に乗り、新川神社の脇を通過しようとしたとき、暗闇の神社にオレンジ色の仄かな明かりがあるのを見つける。 よく目を凝らせば、慰霊塔に何十本と蝋燭を灯し、座り込む老婆がひとり。 蝋燭の明かりに浮かび上がる姿は淋しげで、悲しくもあった。年齢から察するに夫を戦地で失ったのだろうか。 生きている自分は年を取っていくが、一緒にいた思い出は時を経ても決して変わらず。 碧南市が今あるのは誰のおかげか? 決してひとりの英雄ではない。連綿と続いてきた努力や犠牲、悲しみや運命の上に成り立っているのが今日の碧南市じゃないかな。
新川神社の祭は、神楽殿の舞いや餅投げなどの派手な祭とは趣を異にする。 毎年5月に行われる春の大祭では、碧南市の市長をはじめ議員・各界の名士出席のもと戦没者を慰霊する行事が行われる。 重く厳かな雰囲気の中、熱弁を振るう議員の話にじっと静かに聴き入る遺族会の方々。 変わって午後には、華やかなチャラポコ大会が開催される。グラウンドにズラリ並ぶ11のチャラボコ車。 天王・道場山・千福・浜尾・東山・西山・東松江・田尻・久沓・鶴ヶ崎・西松江のチャラボコが一斉に集まる姿は壮観。 一組ずつ、社の前で二礼二拍一礼をして、各地域に相伝されるチャラボコ演奏を披露していくのである。
< text • photo by heboto >