愛知県碧南市 「橋がなければ…」と考える 感謝の気持ちで橋を渡りたい
<崩れかけた石のプレートは橋を造った人々の静かな誇り 通り行く人々は目にもとめないが ただ小さな紫の花だけが感謝の気持ちか 咲き誇る> 新川にかかる鼬橋。幹線道路から外れてしまった現在、通る人も少ない。橋北の川縁に石の突起物があるのを確認。何かと覗いてみれば、 橋を造った時の記念プレート。年号と制作した会社の名が刻まれていた。うち捨てられるように斜めに寝かされ、だけど敬意を払うかのように 舗装のアスファルトは避けられている。思えば、橋そのものの存在は感謝されるが、作った人が感謝される事はまず少ない。作る人がいなければ、橋は存在しない。 「橋を造る事は仕事だから」という意見もあるかも知れない。だけどそれなら芸術家はどう?「芸術だ!仕事ではない!」と反論も理解出来る。だけど彼らだって作品制作による対価を得ている。つまり仕事だ。 芸術家と設計施工に携わる人々との社会的な差を考えると誠に残念である。 石のプレートの周りには、自然と生えた草花が、少しだけの感謝を伝えるように紫の小さな花を咲かせていた。
新川の浜尾橋辺りは昔、川岸に松林が続いていた。護岸工事が施され、いまはもう大部分が喪失したが、少しだけ浜尾橋と堀方橋の間に松林の名残がある。 たった数本しかないけれど、昔の姿を想像する事ができる景観。 碧南の昔を偲ぶ写真に、新川で釣りを楽しむ男ひとりが写っている写真がある。 現在とその写真の頃とは同じ場所かと疑うが、ひとつ変わっていないものを見つけた。それは新川の流れ。 波紋をたてることなく、緩やかな川の流れは現在も同じ。 春が訪れると、残された松のある辺りに桜が咲く。 住宅地として開発が進む新川沿いだけれども、まだまだ「風情」を大切に思う人がいることを嬉しく思う。 桜を見て、堀方橋・鼬橋と続く風景を眺めれば、碧南には素晴らしき世界がある事を理解する。
< text • photo by heboto >