愛知県碧南市 仙人になりたかった男「甲斐丸」 権現岬から忽然と姿を消す
<権現岬の甲斐丸はどこへ行ったのだろう?仙人になりたかった男の夢はついに叶わず。「歌で病気を治すげな」といわれるほど評判だった甲斐丸。毎夜灯っていた常夜灯もいつしか暗くなり> 大浜の権現岬に、夜、船の航行に役立つようにと常夜灯が立てられた。 大浜浜屋出身の甲斐丸という男が、岬に小屋を建て毎晩、常夜灯に明かりを灯す役割を負っていた。 その甲斐丸という男、少々変わり者で、人とうち解ける事をせぬ男だった。 仙人になる事を夢見て、この人里離れた権現岬の地で日夜、修行の日々を送る。 甲斐丸は、歌が好きで歌人・糟谷磯丸の弟子にもなったこともあったという。 訪ねてくる村人に歌を詠ってやり、「一夜権現の甲斐丸様は、歌で病気を治す」と評判になった。 ある日、甲斐丸は、空を飛べるように念じ、からかさ松から飛び降りた。しかし、すぐに落下してしまい、面目潰れ、恥をかいた。 その日以降、甲斐丸の姿を見かける村人はいなくなったという。
<甲斐丸が毎夜灯した常夜燈も今は火袋と笠を残すのみ。権現岬近くにある旧字「元本堂」は大浜熊野大神社が最初に建てられた場所。人里離れ、神聖な地において甲斐丸は仙人になろうと修行の日々を送ることになるが> 甲斐丸は実在の人物であったのか? 甲斐丸は大浜・浜家(現在の浜寺町)出身の人と聞く。 甲斐丸が過ごした権現岬へ行ってみた。3代目となる「からかさ松」の隣に火袋と笠のみの常夜燈一部が展示されている。 この常夜燈は、文政5年(1822)10月に建立されたが、嘉永7年(1854)11月4日の三河大地震で倒壊する。 甲斐丸の師匠である糟谷磯丸は明和元年(1764)に生まれ、弘化5年(1848)に亡くなる。 甲斐丸は西暦1800年代前半に生き、毎夜灯していた常夜燈は、おそらくこの展示されている常夜燈に間違いない。 常夜燈は現在地よりもっと北東の権現岬と元本堂の間にあったという。この「元本堂」という字名は、大浜熊野大神社が元あった場所とされ、長田白正が流木を拾い上げ、御神体である宝剣を見つけた場所である。 甲斐丸が生きた時代には、既に大浜熊野大神社は現在地へと移っていたが、そう言った由来から仙人の修行を権現岬でしたのかも知れない。 大浜に伝わる里謠に「一夜権現の燈籠の灯 誰が毎夜ともすやら」がある。これはきっと甲斐丸を示したものだろう。
昔、大浜下の熊野大神社での出来事。ある夜、大浜熊野大神社で火災が発生。 ゴウゴウと燃える本殿から、何かが飛び出し、境内の松に引っかかった。 松の枝に飛び移ったものの正体とは、大浜熊野大神社のご神体だという。 大浜下区民に畏敬の念を持って祀り立てられる神様の姿が、人々の前に現れたのは 、州崎に神木が流れついた創建以来、初めての事。 また別の説では、大浜熊野大神社が権現岬近くにある時代に火災が起こり、現在地の松に御神体が掛かったことから、 神社を移転したといった話もある。御神体が飛び移った松がどれかは、今となっては分からない。
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