愛知県碧南市 美濃から大浜まで母子は奇跡を信じてやって来た「日限地蔵」
<美濃の国から故郷・大浜へ。何度も板車から転げ落ちる息子。苦難の末、辿り着いた大浜・日限地蔵に懇願する母。その時、息子は自らの足で立ち上がる> 美濃の国、仕打ちに耐えられなくなった母は、歩けない息子を背負い、家を出る。目指すは生まれ育った故郷・大浜。 幼い頃にお世話になったお地蔵様に、もう一度だけ願いを聞いてもらうために。 道中、成長して大きくなる息子に、次第に年老いてゆく母。申し訳なく思った息子は、立ち寄った村の下駄屋に頼んで、手で地面を掻く事の出来る下駄を 作ってもらう。息子は板車に乗り、亀のように地面を這う。奇妙な姿に行く先々で、辛い扱いを受けた。 それでも耐え、大浜・日限地蔵に辿り着く。お地蔵様に必死に懇願する母の背後に近づく足音。 たどたどしいながらも自らの足で母へと歩み寄る息子の足音だった。
<「一恵 美濃の氏族一九歳男子 明治二十年ヰザリが当日限地蔵尊を信じ依って全快の上 その下駄を奉納せしもの」 下駄と共に御堂前に掲げられる言葉は、日限地蔵の奇跡を物語る> 常行院の寺宝である日限地蔵。御堂には奇跡を物語るように、足の不自由だった息子が奉納した下駄が掲げられている。 「一恵 美濃の氏族一九歳男子 明治二十年ヰザリが当日限地蔵尊を信じ依って全快の上 その下駄を奉納せしもの」の言葉と共に。 丸い棒に足を付けただけの粗末な下駄。これで地面を掻き分け、進むのは容易な事ではない。血のにじむような苦難を乗り越えた上で起こった奇跡である。 奇跡を起こした日限地蔵は、武田信玄の守り本尊としての由来を持つ。厨子に納められ、普段は拝見する事は出来ない。 周りには、小さな地蔵が沢山並んでいる。これは天保の飢饉の時、 村人達がもう災難が来ないようにと作製した千体地蔵である。 日限地蔵を頼って、昼夜を問わず参拝者が訪れる。その多くが女性だ。 一心に祈る姿に、民話の息子を背負う母親が重なる。なんだかとても切なくて涙が出てきた。 親孝行したいときに、母はすでにおらず…である。
この日限地蔵さんには、昼夜を問わず多くの人が立ち寄る。御堂前の香炉から煙が絶える事はない。 皆、この日限地蔵さんが起こす奇跡を信じて真面目に願掛けを行う。 参拝する人の中には、御堂前に座り込み、ブツブツとお地蔵さんと対話しているおばあちゃんなんていたりする。 真夜中には、これから出港する夫・息子の無事を祈り、日限地蔵にやって来る奥さん達を見かける事もある。 昼間では薄暗い御堂内も夜には電灯が灯り、内部の様子が見てとれる。 日限地蔵は秘仏として厨子に収められているが、レプリカである「お前たて」の地蔵が鎮座しており、また左右には善を勧める「奨善童子」、悪を懲らしめる「掌悪童子」が守りを固めている。 日限地蔵を寺宝とする常行院には、大浜陣屋の裏門(もとは松江代官所の裏門)が移築、保存されている。 ぜひこちらも見ておきたい。
< text • photo by heboto >