愛知県碧南市 「生活排水路跡」は水の流れる公園へ変貌し憩いの場所になった
<「汐田橋」・「春日橋」とも消失し、赤煉瓦敷きの歩道となる。「堀川流水ゾーン」と明記される公園に流れる人口の川の下にも川?の不思議。夜には電灯も灯り、夕涼みにも最適な場所> ガラス張りのデザインが新鮮な棚尾公民館の裏には、「堀川流水ゾーン」と明記された公園がある。 もともと棚尾の町を囲むように流れていた堀川の一部を地中化し、公園として整備したものである。 長細い園内の中央に人工の小川。利用する水は棚尾公民館に降った雨を貯水し、殺菌した上で循環させるという複雑な仕組み。 園内の煉瓦も下水の汚泥から生成され、環境に配慮した事を前面に打ち出す。 東屋・ベンチ・藤棚と用意されるが、人気なくひっそりとしている事は残念。 夜には間接照明も現れ、仄かな明かりの中で夕涼みもいい。
<子種橋の名は伝承される「小谷がつぼ」に由来する。昔、この近くで「小谷の局」が元気な子供を産んだ。以来、蓮の花咲く池の水を飲めば、子宝に恵まれるという。岡崎街道がこの付近を通っていた頃の話である> 善明橋と上源氏橋の間にある子種橋。 大浜から岡崎に向かう岡崎街道、現在は源氏橋を通るが、昔はこの子種橋を通っていた。 橋の名は、碧南の民話「小谷がつぼ」に由来する。 現在の子種橋南に昔、蓮の花咲く綺麗な池があった。戦国時代、戦火を逃れてきた「小谷の局」が岡崎へ向かう途中、 池の畔の小屋で元気な子を産んだ。以来、この池の水を飲むと子宝を授かるという話が残った。 慶長9年(1604)の大浜村検地帳にも「小たねがつぼ」の字名が記載されている。 池は明治の初年頃まであったという。現在の子種橋は昭和42年(1967)3月に改築されたものである。
棚尾小学校南向かいにある棚尾公民館に、棚尾町役場時代の高札場がある。 棚尾は大正13年(1924)に村から町になる。旧字・加須(現在の源氏町3丁目)にあった町役場が、大正14年(1924)8月に旧字・善明(現在の汐田町2丁目)に移転する。 現在見られる高札場は、その時に建てられた。建設当初は市道棚小線沿いに東向きに建てられていたが、昭和52年(1977)の棚尾公民館建設の際に現在の北向きに変えられた。 土台となる石垣は、横314センチ、奥行き152センチ、高さ126センチの規模。緩やかに下がる屋根は瓦葺き。内部は漆喰に幅50センチの板が備えられ、 威厳をあらわすように柵で遮られている。付近にある高さ215センチの石門も棚尾役場時代の遺物である。
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