愛知県碧南市 子どもの頃に見た路地が今に残る 私の好きな棚尾道を歩いて

棚尾のまちへようこそ!

棚尾の古い道 (たなおのふるいみち)

「あの頃は楽しかった」と思わず言葉 懐かしの情景を歩けば子供に戻る

旧書店前から旧道へはいる場所

<日焼けたモルタル壁の建物「蛍光書林」に懐かしき本屋の思い出。この道は、まだ人々が自らの足に頼っていた時代の街道。記念にパチリと写せば、色褪せた写真に収まるあなたがいる> 妙福寺前の道を東へ。辻道の標識が示す小さな矢印に従い、小道へと入る。今までの喧噪から逃れ、旧道の持つ緩やかに雰囲気。 この道は大浜と岡崎を結ぶ街道である。日焼けしたモルタル壁にタイル地を模したトタンいった外見の建物は「蛍光書林」の店舗。 惜しくも近年閉店し長き歴史に幕を閉じたが、大浜のたかよ書房と並び、地元の人々に愛された書店であった。 隣には木枠の引き戸並ぶ家屋。土壁の風合いが心惹く。 この道で記念写真を写してみる。色褪せた写真に収まる表情は、きっと思い出の一枚に。

黒塗り壁の古い工場

<平岩鉄工所の古き工場群を見る。現代より遙かに遊び心ある意匠。勢いのあった時代を思い起こさせる。道を挟んだ住宅街に迷い入れば、「小笠原」姓の多い事に気付く> 蛍光書林からさらに東へ向かえば見えてくるのが、平岩鉄工所の旧工場群である。平岩鉄工所は文化5年(1808)に鍛冶屋を開業した事に始まり、平岩式毛織機の発明により成功を収めた会社。 木造2階建ての工場は板塀に囲まれ、瓦葺き。建物の角は面を取る形になっており、ちゃんと屋根も工夫される凝り様。 当時の美意識に対する拘りを感じる。旧工場群のある辺りから平七との境までの一帯には、「小笠原」姓を名乗る家が多い。 これは天文12年(1543)頃、武田勢に攻め立てられた小笠原一族27人がこの地帯に移り住んだ歴史による。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

開け放たれた堂にお地蔵さん

「堀切のお地蔵さん」

平岩鉄工所の倉庫群を通り過ぎ、下り坂を行く。寿し長の駐車場手前に左へ降りる道を行く。 300メートル程行くと、小さな御堂に突き当たった。「堀切地蔵」である。 2本の柱が支えとなり、占有面積の8割が用水上にあるという立地条件。車が衝突するのを防ぐ為、古タイヤが御堂角に置かれる。 御堂は、3メートル高、横幅110センチ、御堂専門サイズの瓦が使用される凝った造り。 鎮座するお地蔵さんは90センチ高。左手に赤子を抱いている。一番の特徴は彩色された化粧地蔵という事である。 平成元年(1989)頃、三河土人形を制作する方が彩色を施したそうだ。この御堂のある用水から北は「平七」である。 御堂の左手へ行き、斜めに入る道は古い時代の「岡崎街道」道筋。残念な事に先は消滅している。

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