愛知県碧南市 棚尾の歴史を知る手掛かりとしてある存在 「八柱神社」を訪ねる
<棚尾を守る神様は八柱の祭神。仁寿3年(853)という創建は碧南市で一番古い?巨大な鳥居や手水舎は棚尾のチカラを表す。境内には鎮守の社や名も無き社があって少し探検気分!?> 棚尾の集落南端に位置し、大浜との境にも近い場所にある八柱神社。棚尾の氏神様である。 西暦853年(仁寿3)創建という、碧南でも一、二を競う歴史ある神社。 大正12年(1923)造の大鳥居を潜り、両脇の灯籠に目をやる。文政10年(1827)正月の文字。前浜新田を開発した斎藤倭助が新田開発完了を記念して奉納した灯籠である。参道を行けば見えてくる石造りの太鼓橋は大正8年(1919)9月に棚尾橋償却期終了記念として建立されたもの。 歴史が古いと言う事は、それだけ集落と共に歩んできたということ。八柱神社境内にある数々の社・碑を読み解けば、先人達の想いが伝わってくる。
<「酒を嗜む」ならば、ぜひとも棚尾の町へいらっしゃい。良質な水がつくりだす豊潤な旨味ある酒。その昔、棚尾の町を歓楽街へと発展させたのは、造り酒屋の旦那衆である> 堀川からの支流、江川に架かる「小西橋」から酒造工場のタワーを臨む。 八柱神社周辺は酒造会社が多い。その理由は八柱神社境内の「弥生の井」石碑が示すとおり、 この辺りから湧き出る良質の水が得られた事による。往時、棚尾の町が歓楽街として大きく発展した背景には、造り酒屋の旦那衆が粋な遊びをして派手に遊んだから。 そのくらい棚尾の酒造業は繁盛したのである。現在でも棚尾の通りを歩けば、ほどなく酒屋を見つける事が出来る。 棚尾の町を訪れたならば、ぜひとも土産に「棚尾の酒」を買って帰りたい。
八柱神社(やはしらじんじゃ) 棚尾の氏神様である八柱神社は仁寿3年(853)8月に志貴荘司・志貴左衛門藤原周亮が創建した。 のち、永歴元年(1160)に内海から来た長田白正が神主となる。明治5年(1872)に現在の八柱神社と改名するまでは、八王子宮と称していた。 八王子・八柱というのは八柱の祭神が祀られている事に由来する。ちなみに大浜・西方寺は明応5年(1496)に大浜へ移るまで、この八柱神社境内に光照寺と称し存在していた。
八柱神社の西から大浜の塩浜町までの一帯は、かつて塩田だった。 碧南市における塩田の歴史は、文禄年間(1592~1596)に一浜から竜宮まで溝を掘り、海水を引き入れて製塩した事に始まる。 寛永元年(1624)に矢作川が氾濫し、塩田は埋没するという災害が起こる。寛永5年(1628)名主・石川八郎右衛門が堀川を開削し、塩田を復興させる。 大浜塩として信州へ送られるが、苦汁成分の多い大浜塩は主に塩漬け用の塩として使用される。 天明8年(1788)には、大浜4軒、棚尾2軒の塩問屋があった。 塩の専売制実施の後、明治43年(1910)9月30日に禁止されるまで、製塩は続けられた。
< text • photo by heboto >