愛知県碧南市 縁側に幸せあり 極楽の夢心地へと誘う「地蔵堂と御鍬社」

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地蔵堂と御鍬社

寛政5年(1793)建立の「西山地蔵堂」 「御鍬社」は「鳥居新六」が勧請

地蔵堂と道標

<寛政5年(1793)以来、ずっと道行く人々を見てきた地蔵堂。程良い具合に用意された縁側で、人々の行き交った昔の情景を想像する。傍らの道標には「右・かりやみち 左・田戸わたし場」の文字> 西山の集落を縦に貫く旧道に、寛政5年(1793)に建てられた「地蔵堂」がある。 宝形造りで頂には巨大な擬宝珠を携え、美しいシルエットが魅力的な御堂である。 内部は、板張りの部屋に笠無しの裸電球がひとつ。金銀とは無縁の簡素な壇の中央には巨大な坐像の地蔵。 余計なもの何一つない御堂内だが、それ故に伝わる歴史の重み。地蔵堂の縁側は高さ51センチ、奥行き70センチと休憩するには丁度良い大きさ。 傍らには、文化7年(1810)に建立された道標。「左・田戸わたし場 右・かりやみち」と刻まれる。 方々からやって来た人々は、しばしの休憩をこの地蔵堂でとったのだろうと想像を膨らませる。 居心地のよい地蔵堂縁側につい長居してしまう自分がいた。

御鍬神社拝殿と神楽殿

<西山の氏神様である「御鍬社」。伊射波止美命・玉柱屋姫命を祭神とする。棚尾村より移り住んだ「鳥居新六」が勧請を申し出、元禄9年(1696)に創建。拝殿東には、人造石・発明で有名な「服部長七」の工場があった> キネマ通りから久沓へと抜ける街道沿いに発達した西山の集落。 棚尾村に住んでいた「鳥居新六」が西山の土地に将来性を見出し、一族と共に移住した事により発展した町である。 信仰心厚い鳥居新六は、西山の地にも氏神をと勧請を申し出、元禄9年(1696)に御鍬社を建立する。 「この鳥居からの参道が続くだけで、今よりもっと敷地は狭かった」と西にある鳥居を示して、通りすがりの男性が教えてくれた。 今ではジャングルジムなどの遊具が設置され、広い子供の遊び場となっているが、本来は鬱蒼と樹木の茂る神社だったという。 またその男性は、拝殿の東に「服部長七」の工場があったことも教えてくれた。 服部長七は天保11年(1840)にこの西山の地で左官屋の息子として生まれ、明治9年(1876)に人造石である「長七たたき」を発明した人物。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

「西山の集落」

御鍬神社の敷地に近年まで存在した文政10年(1827)建立の常夜燈は高さ6メートル、4段組と碧南市に残る常夜燈でも第一級の大きさを誇るものであった。 御鍬神社のフェンスに隔てられ、旧道とは分離されていたが、そもそもは西山の集落入口を示すものだった。 昔、西山は棚尾の飛び地であったが、明治16年(1883)に東山と共に独立し、北棚尾村をつくる。 その当時、西山は177戸の規模。後の明治22年(1889)8月1日に北大浜村と合併。 高浜へ向かう街道沿いに発達した西山の集落。道を歩けば確かに残る古い街並み。 享和2年(1802)創業、白しょうゆで有名な「ヤマシン」があるのも西山である。

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