愛知県碧南市 階段を上れば大浜が見える? 潮の香り愉しむ「中の稲荷社」

碧南市大浜北部へようこそ!

中の稲荷社 (なかのいなりしゃ)

永正6年(1509)に「松平信忠」が建立 山車と人形は碧南市指定文化財

真っ赤な通りの先に拝殿

<大浜中の切の氏神様である稲荷社。松平家6代・松平信忠が創建したと伝えられる。海の匂い漂う境内で、かつての海運栄えた大浜の姿を想像する> 大浜街道の起点、港橋北の交差点を西に向かうと右手に見えてくる大浜・中区の「稲荷社」。階段を上り、平成4年(1992)8月建立の赤鳥居を抜け、さらに上れば拝殿に辿り着く。 堀川の岸辺に程近く、川面の照り返しが額の稲荷社という金文字を輝かせ、とても美しい。 近くには大正15年(1926)に角谷大十が寄進した永代常夜燈。この稲荷社は、永正6年(1509)8月15日に徳川家康の曽祖父に当たる松平信忠が創建したといわれている。 以来、400年間も大浜の趨勢を見届けてきたことになる。拝殿前にある踏み石に腰を下ろす。潮の香りを感じ、じっと目を閉じてみる。なんだか自分もずっと昔から大浜を見てきた気分になってくるから不思議だ。

にぎわう夜の稲荷社祭

<「ギチギチぐるま」が通りを行く。大浜地区で唯一、山車を所有する中の切の稲荷社。乱杭渡り人形の摩訶不思議な仕組みに驚き、玉手箱を開けた浦島太郎に感嘆の声を上げる。秋には「アイヤフハ」の声を聞きに中の稲荷社へ行く> 大浜の祭といえば、大浜下地区のキノコ雲があがる程の派手な爆竹の行進。そして大浜上地区には、徳川家康に関連ある矢塚を使う奉射神事がある。では大浜中地区で行われる祭りは? 中の稲荷社には、亀崎から譲ってもらった山車と碧南市指定文化財でもある複数の絡繰り人形がある。 山車は新川・鶴ヶ崎と同じく、天明8年(1788)に金3両で亀崎から購入したもの。 「天下太平楽」を掲げる、乱杭渡り人形も同じ年に大浜の中地区へやって来た。 他にも浦島太郎や三番叟という充実のラインナップ。山車の中で人形達が踊るという幻想的な世界は一見の価値がある。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

中の稲荷社(なかのいなりしゃ) 永正6年(1509)8月15日、安祥城の城主であった松平信忠(まつだいら・のぶただ)が退隠し、大浜にやってくる。 その際、天下太平・武運長久を願い、稲荷社を創建した。山車は天明8年(1788)に亀崎から九重味醂のご先祖が購入し寄付したもの。 有名な乱杭渡り人形は昭和27年(1952)から故障により長らく上演されていなかったが、平成の時代に入って修理され今日、その姿を見る事が出来るようになった。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

空洞を持つ大木

「空洞の大樹」

中の稲荷社境内東の端に一風変わった大木が存在している。 おとな3人が抱え込む程、太い幹が高さ5メートルまで続き、そこから先は不自然な細さを持つ枝がいくつか生える。 太い幹の円4分の3ほどの樹皮が剥がれ、内部が丸々空洞になっている。不完全な筒とでもいう形状。 大木は稲荷社の石垣から生える形になっており、安定に難があるのか、軟弱な部分はコンクリートで固められていた。 この大木、何が不思議かといえば、明治後年の写真に今のままの姿で写っていた事である。 実に生命力ある木。まるで髑髏のような姿だが、大浜の趨勢をずっとこの場所で眺めいてきたのである。

< text • photo by heboto >


Copyright (c) 2002-2007 heboto All Rights Reserved
このページに関する御意見・ご感想は”サイト管理者へメール”までお願い致します。