愛知県碧南市 民話「陣屋の狐」の武士たちか? 稲荷社に隠された「狐像」
<碧南市に伝わる民話「陣屋の狐」との関連性はあるのか?嘉永7年(1854)に大浜陣屋に勤める武士から奉納された一体の狐像。台座にある松模様と林泉寺の鐘楼との関係は?大浜・中の稲荷社境内奥に隠される謎> 稲荷社の社殿の右手、秋葉神社との境に大浜中の切・稲荷社最大の謎が隠されている。 明治41年(1908)5月建立の玉垣と大正3年(1914)10月建立の玉垣、そして金属で出来たライオンの鍵に守られ、ひっそりと佇む空間。 玉垣の隙間から覗く神々しい姿。嘉永7年(1854)に大浜陣屋の武士7人によって奉納された瓦製の狐像。 手前の玉垣に「大桝屋増太郎」と意味ありげに刻まれている。狐像は高さ55センチ、2段の台座には松を表す紋様がある。 陣屋の武士が多く帰依したという林泉寺の鐘楼と同じ紋様。大浜陣屋には一匹の年老いた狐が住み、 武士達に可愛がられたという。民話「陣屋の狐」である。狐の死を悼み、武士達が狐像を奉納したのだろうか。
<密会を重ねる狐たち?誰も見ていない場所で向かい合う。嘉永6年(1853)に奉納された狐像。互いに嬉しそうな表情をして愛を育む。いつしかこの狐像達が恋愛成就の神様になる日が来るのかも知れない> 中の稲荷社の拝殿を左手に進むと立ちはだかる巨大な銀杏。見上げながらさらに奥に進むと、玉垣の間からちらちらと見える耳。 よく見ると2体の狐さん達が向かい合って微笑んでいる。遙か向こうには西方寺の真っ赤な唐破風。 この狐さん達は、反対側の孤高の狐像より1年早く、嘉永6年(1853)に奉納されたもの。今では昭和51年(1976)建立の狐さん達に現役の座を譲り、人目の触れない場所でふたりきり。 見つめ合う狐さん達に、見ているこちらとしては気恥ずかしくもあり。 こんな狐さん達にあやかって、いつしか恋愛成就の御利益が授かる場所として有名になるかも知れない。
「集まってきなさい天下の読書家たち。煙草をふかして雑談をしているひまがあるなら、ここで本を読んで世の文明の進歩に後れないようにしなさい」(1993年碧南市発行・碧南事典より引用) この文は、大浜同志会が設置した新聞雑誌閲覧所の利用を、広く万人に呼びかけたものである。 明治34年(1901)に大浜の有志が集まって結成された大浜同志会。目的は地域の発展、ことに「志ある者ならば、何人といえどもチャンスを与える」という機会均等の考えに素晴らしさがあった。 趣旨に賛同した西方寺・清澤満之、医師の赤堀孝太郎、九重味醂の石川八郎治などが大々的に協力した。 新聞雑誌閲覧所は、中の稲荷社の東にあり、午前7時から午後10時まで開かれ、自由に読む事が出来た。
< text • photo by heboto >