愛知県碧南市 英国船でやって来た西端のお殿様「本多忠鵬」が眠る「康順寺」
<イギリス製の蒸気船にのってやって来た西端藩主「本多忠鵬」の墓がある。かつての大きな池、そして庫裏にある大きな瓶は「半崎道場」の時代に経験した火災の教訓から> 近年、新しく鉄筋コンクリート製の本堂となった常栄山・康順寺。西端の中央にあることから「中寺」、もしくは東にある栄願寺に対して「西寺」と地元の人は呼ぶこともある。南の山門から入れば、慶応2年(1866)に、わずか9歳で西端藩主となった「本多忠鵬」の墓がある。 本堂の西南、墓地のある辺りに昔、池があったという。西端に伝わる民話「蟻と鳩」にも登場する池である。 この康順寺、もとは「半崎道場」という名で西端の半崎という地にあった。寛正3年(1463)に半崎道場は火災に遭い、宝物の一部は風に乗って東端(安城市)の西蓮寺に落ちたという。 池は、その火災の教訓により常備されたものだと伝わる。現在、池は墓地へと造成されてしまったが、現在でも庫裏には高さ1メートル超の大きな瓶がある。
<境内に流れる優しい音楽は、美しい寺の品々を鑑賞するに相応しい環境を作り出す配慮である。経蔵・鐘楼・笠松、そして美しい白壁。寛永15年(1638)の時代から積み重ねられてきた歴史が魅せる、華麗な世界が康順寺にはある> 康順寺が半崎から現在の地に移ったのは寛永15年(1638)である。移転した理由は、領主の本多氏の願いによるものだという。 この康順寺を訪れると、耳に微かに届く音がある。その音の発信源を探っていくと、どうやら庫裏にあるスピーカーだと分かる。 境内に足を踏み入れた時から感じる心地良い気分は、極微量の「癒し音楽」が流されている故。参拝者をもてなす配慮に、心暖かくなる。 この康順寺には、純白で宝珠の装飾も美しい経蔵、物語ある彫刻が美しい朱色の鐘楼、 そして奇跡的な湾曲を見せる白壁があり、互いが調和する素晴らしい世界を見せてくれる。
西端というところは、碧南市の他地域に比べて、歴史を重んじる傾向にある。 「歴史を重んじる」とは何か?それは古いものを大切に扱う事である。 西端を散策すると、「懐かしい!」と思わず声にしてしまう物が街に溢れている。 ただのオブジェかと思いきや、未だ現役で働く機械・道具たち。もはや自分の手足のように扱う西端の人々。 「物を大切にする」という道徳が失われつつある日本において、 この西端は「古いものこそ価値がある。だから大切にする」という英国的な慣習が生きている街なのである。
< text • photo by heboto >