愛知県碧南市 蓮如上人を待ち侘びて村受けの寺院となる歴史「応仁寺」を訪ねる

碧南市西端地区へようこそ!

応仁寺 (おうにんじ)

無住無檀としての応仁寺 蓮如上人の教えは誇りある民として結束させる

応仁寺の本堂

<「立ち上がる、何度でも…」の言葉そのままに、西端の強い信仰心を表す応仁寺。幾度の危機を乗り越え、西端の人々が頑なに無住・無檀を守ってきた。それは「いつ蓮如上人が戻られてもいいように」という西端の人々の思いによるもの> 油ヶ淵遊園と道を挟んだ向かいに「蓮如上人御在庵勝地」(大正14年4月建立)の碑。 「ポタ」と呼ばれた広場、台地へと上る石段を行けば、そこは「松応山・応仁寺」である。 蓮如上人を西端に迎えた応仁2年(1468)を創建とし、その年号を名とした。 現在の本堂は昭和32年(1957)に再建されたものである。応仁寺は嘉永7年(1854)・昭和20年(1945)の地震による本堂倒壊、他寺院による支配、明治期の学校建設という幾度の存続危機に見舞われたが、 事ある度に西端の人々は力を合わせ解決してきた。ひとえに「蓮如上人」の教えを信ずる故にである。

公園の木々には名前

<誰も居ない夜の応仁寺境内。たった一つの小さな電球の明かりに浮かび上がる2つの人影。正体を探るべく中を覗き見れば、全身に鳥肌が立つ程の衝撃。昼間に見れば「ああ、そういうことか」と納得して手を合わせる> 寺院探訪を重ね、少しぐらいの不可思議な現象に遭遇しても、あまり動揺は見せない程に成長した私。 だがそれでも夜の寺院は緊張する。桜咲く4月の上旬、碧南市が開催する「桜まつり・夜間照明」が行われている応仁寺へ向かう。 妖しい紫色の光を放つ雪洞が風に揺られるだけで、先の境内には誰も居ない。参道右手、コンクリート壁の御堂から微かにオレンジ色の光が漏れている。 何かと中を覗けば、黒く痩せ劣った男が窮屈に箱の中で体を押し込められている。灯明に照らし出されたその姿はあまりにも異様だ。 後に判明したが、これはお釈迦様が苦行する姿だという。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

加賀堀の説明板

「加賀堀・越前堀」

応仁寺本堂の北には明治7年(1874)まで、「加賀堀・越前堀」という壕が残されていた。 これは蓮如上人が比叡山僧兵の追撃を避けて西端の地に滞在した時に、加賀・越前の信徒が蓮如上人を守るべく造り上げた外壕である。 鉤の手状に長さ40メートル、幅13メートル規模であったという。西端小学校建設の為に埋められた。 地搗き歌に「さてもさてもヨンヤ さてもさらさら西行なるぼんさんが~」(碧南の民謡集・市史編纂会より)がある。 この歌は応仁寺建立の折りに加賀の信徒が歌ったものだという。

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