愛知県碧南市 「蓮如さん」を待ちわび毎夜灯された明かりが名の由来「油ヶ淵」
<「毎夜灯される龍燈」から名が付けられた油ヶ淵。碧南市と安城市に挟まれた愛知県内最大の天然湖沼である。将来は県営都市公園として周辺含め整備する計画もあるというが> 愛知県最大級の天然湖沼として、そして全国ワースト5に入る水質汚濁の激しい油ヶ淵。 正保元年(1644)に米津と鷲塚間に堤防が築かれるまで「北浦」という入り江の海で、故に現在でも淡水と海水が混ざるという奇異な存在である。 油ヶ淵の水質汚濁には古来より悩まされ、古堀川(1661~)・新川(1705)・高浜川(1935)と悪水抜きを開削しなければならなかった。 愛知県ではこの油ヶ淵を都市公園として整備する計画だという。 油ヶ淵に伝わる民話によると、少しでも油ヶ淵が狭められようとした時には「油ヶ淵の主(竜という説)」が現れるという。 さて、この油ヶ淵都市公園計画は吉と出るか凶と出るか…。
<「油ヶ淵・花しょうぶ園」は碧南市が強力に押し進める観光事業のカードのうちのひとつ。応仁寺・油ヶ淵遊園を含めた一帯は綺麗に整備され、蓮如上人の遺構巡りも親切に解説> 観光資源に乏しいといわれる碧南市。数少ない観光地に対する情熱は凄い。 油ヶ淵周辺の観光資源に着目し、くるくるバス「油ヶ淵遊園地」停留所を設置し、駐車場を整備し、大きな案内板を用意した。 その甲斐あって、花菖蒲咲く季節のみならず、平素も観光として訪れる人が多くなった。お勧めは昭和42年(1967)に出来た「油ヶ淵遊園」である。 噴水の池には、多田美波作「昇」の作品があり、彫刻あるまちづくりを進めてきた碧南らしい。 この油ヶ淵遊園には、往時を偲ぶ石造物がある。文政4年(1821)と明和3年(1766)に建立された油ヶ淵碑である。 特に明和3年の碑は重要。この時代から龍燈伝説に由来してこの湖沼を「油ヶ淵」と呼ぶようになったのである。 他にも「ほたるの里」があり、夜はまた違った雰囲気になる。
油ヶ淵遊園入口左手に「如光堂」がある。その傍らに「如光坊御出現わらし姿」と称した石像がたっている。 そのお方こそ、蓮如上人を西端の地にお連れした「佐々木如光」その人である。 油ヶ淵(当時は北浦という海)より忽然と現れ、神童として摩訶不思議な力を発揮したという言い伝えが残っている。 蓮如上人の弟子となった如光は、比叡山衆徒の比叡山焼き討ちに果敢に闘う等、活躍を見せたという。 三河地方に浄土真宗が広まったのは如光の功績が大きかった。応仁2年(1468)に54歳の没した如光。 現在の「如光堂」は昭和49年(1974)に新川善光寺の六角堂を模して再建されたもの。 以前の如光堂は昭和3年(1928)に建てられ、昭和20年(1945)の三河地震で倒壊してしまった。
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