愛知県碧南市 静寂がきっと迎えてくれる場所 疲れたあなたに「貞照院」

旭南部へようこそ!

貞照院 (ていしょういん)

碧南市の観光案内には必ず登場する名刹 夏の「虫干し供養」も有名

茅葺きの山門

<「無常の私となる」心地良さ。旭地区を代表する名刹、「貞照院」には不思議な魅力がある。隔絶された世界で伏眼の阿弥陀如来坐像と対面する私。貞照院は世界を変えない。訪れた人の心を変えていくのだ> 碧南市を巡回するくるくるバスのバス停、「貞照院」で降りる。高さ4メートル程の石垣が現れ、訪れる者へ寺格の高さを伝える。 「南無阿弥陀佛」の巨大な石柱を横目に、薄暗い木立の坂道を進み行く。突き当たりに高さ190センチの円柱が現れ、刻まれた「不許葷辛酒肉入門内」の文字に背筋を伸ばす。 低く垂れた茅葺きの屋根が迎える。ここから先の空間は、凛とした空気が張りつめる「金基山・貞照院」の世界である。 非現実的とも思えるほど綺麗に掃き清められた境内は、足を踏み入れることを躊躇させる。障子を開けた本堂、漆黒ともいえる暗闇から金色の輝き。 赤と群青の幾何学的な模様を魅せる光背。隙のない姿で印を結ぶ阿弥陀如来坐像と対面した私は、もはや無常の人となりうるのか。 一切の不安やわだかまりが消えていく。そして明日も生きてみたくなる。

清潔な境内

<毎年7月末に行われる「虫干し供養」に長蛇の列。本堂から経蔵まで人から人へ渡る2241冊の鉄眼放一切経。連帯感と達成感の喜びに満ちた雰囲気が境内に漂う。僅か15分の儀式に人とのつながりの心地良さを知る> 「元気ッス!碧南」で何かと騒がしい7月末の碧南市。いつもは静かな貞照院にも賑わいがあった。 貞照院を象徴する茅葺きの山門に「大法経蟲干し供養」の貼り紙。今日は虫干しされていた「鉄眼版一切経」2241冊を再び経蔵の書庫に収める日である。 本堂では既に檀家や信徒の人々でいっぱい。ざわついた堂内も住職と僧侶の登場と共に静寂へ変わる。これから始まるであろう厳かな儀式に皆、緊張の面持ち。 鐘の音を始まりに阿弥陀の読経が響き渡る。並べられた一切経の前で立っては座りを繰り返す僧侶達。阿弥陀の読経は大きくなり、頭を垂れていた人々もいつしか「南無阿弥陀」の言葉を唱えだす。 僧侶達は本尊を囲み、右回りにフェードアウト。静寂で序幕の儀式を結ぶ。50分、説教が行われた後、人々は本堂と経蔵を繋ぐ列を成す。 リレー方式で一切経が運ばれ行くその光景は、おりしも降り出した小雨と重なり、まるで龍が棲家へと帰る様。 最後の一切経が運ばれた端から人々の列は霧散する。僅か15分あまりの出来事だが、境内には達成感ともいうべき心地良い余韻が漂っていた。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

貞照院(ていしょういん) 伏見屋新田を開拓した三宅又兵衛の縁者が元禄年間(1688~1704)に草庵を築いたことに始まる。 後に数名の有志者と共に寺とし、落東獅子谷法然院忍微上人の指導を受け、不断念仏道場を開く。 また徳厳知高和上を招き晋山された。茅葺きの山門は応永年間(1394~1428)の建立とされ、現存する碧南市最古の建造物。ここから少し離れた神有の地がかつて吉良氏の領地であり、役所の門を移したものという。 経蔵は天明5年(1785)頃に建立され、中の書庫は八角形で回転出来、格狭間の仏画は名護屋の絵師・吉川英信の作である。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

庭園に通じる小さな入口

「二階傘の紋章」

貞照院の境内を巡ると至る所で目にする紋章。頭に被る笠を二重にした不思議な絵。 もとは三宅又兵衛の縁者が創建した貞照院。 その三宅又兵衛にまつわる話である。時代は徳川家康が江戸に幕府を開いた頃に溯る。 ある夏の暑い日。徳川家康の供をしていた三宅又兵衛は、強い日差しに堪える家康を思い、 家康の傘の上に自らの日傘を差し出した。この行為に感心した家康は、傘と傘の重なる光景を絵にし、「汝の家紋とせよ」と三宅又兵衛に仰せた。 以来、この不思議な意匠を持つ家紋は三宅又兵衛の家紋となったのである。ちなみにその故事に登場する三宅又兵衛は初代の人物である。

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