愛知県碧南市 経蔵の擬宝珠が瓶になる? 二本木の「等覚寺」を訪ねて

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等覚寺 (とうかくじ)

夢のお告げを元に製造された薬「宝寿円」 経蔵を見上げれば瓶がある

等覚寺の本堂

<経蔵の疑似擬宝珠・ビビットな彩色の納骨堂・本堂裏の小さな鐘等、見所たくさんの等覚寺。聖徳太子の夢のお告げにより製造した「宝寿円」が大当たりし、本堂を建立したという由緒を持つ面白い寺> 鷲塚・新川を結ぶ旧道、荒子町5丁目辺りの白壁に”人生訓”が現れる場所、それが「現成山・等覚寺」である。 この等覚寺は聖徳太子に縁あり。開基である等覚はある日、聖徳太子が夢にでてきて、その夢を元に「宝寿円」という子供の薬を製造したというのだ。 その売上金で本堂を建立したという。この等覚寺の経蔵、天辺に擬宝珠があると思いきや、”瓶”が載っている。 「経蔵を造ったは良いが、当時では擬宝珠まで資金がまわらなかったらしい」とお寺の方が話してくれた。実にユーモアあるお寺である。

<等覚寺の北を走る旧道は散策初心者には面白い道。権江橋東から鷲塚の魚梅さん前までの総延長2キロの道程。屋敷門を構える旧家多く、祝日ともなれば、誇らしげに掲げられた日本国の国旗「日の丸」の重なる光景を目にする事が出来る。和の世界が好きならば、ぜひ歩いてみよう> 等覚寺の北を走る道は現在の県道「西尾・新川線」の旧道に当たる。車の通りも少なく、散策しやすい環境となっている。 道沿いには古い屋敷が多く、また立派な門構えを見る事が出来る。祝日にこの道を散策してみれば、日の丸が門前に掲げられ、幾重にも日本国の国旗が重なり合う光景が広がる。 江戸・明治・大正・昭和の時代感が混在している雰囲気は歴史好き、日本好きの心を突く。思い思いのペースで歩くべき道である。

二宮金次郎さんの陰歴史に関するミニ知識

等覚寺(とうかくじ) 天文3年(1534)に等覚を開基として創建。長く等覚坊と称し、大正時代に等覚寺と改称した。現在の本堂は宝暦9年(1759)に再建。 等覚寺・檀家であった藤浦善左衛門は、この本堂再建時に銭瓶を用意し、職人達のやる気を起こす為に景気よく銭を振る舞ったという。

ヘボト自画像ヘボトの「如是我聞(にょぜがもん)」

コンクリに猫の足跡

「山門はなくとも 猫の肉球」

等覚寺を訪れてみて妙な事に気づく。石段など基礎はあるのに山門そのものが存在しない。 話を聞くと三河地震で倒壊して以来、再建していないという。遺跡のようになってしまった山門の基礎を見ていくと、 規則的な斑点を発見。プニュッとした形…猫の肉球痕である。 2つ並んで斜めに進んでいる。一ヶ所、ずれていて「ああ、ここでこっち向いたんだね」と考えると面白い。 職人さんが真っ平らにしたコンクリ、誰もいなくなった現場に様子を伺いに来る猫、そんな「ある一日」が残っている。

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