愛知県碧南市 代官「鳥居牛之助」が名付けた神有 応春寺と照光寺を訪ねて
<鷲塚城に由来する応春寺。昔は東中学校の南、「大塚」にあった。現在地に移り「春応道場」と名乗り、延享3年(1746)に「大塚山・応春寺」となった> 緩やかな時間の流れを未だ残す神有の通り、長い築塀から覗く松の傘が見える場所、「大塚山・応春寺」である。 この応春寺は、碧南市・城山町にあったと伝わる「鷲塚城」に関係のある寺。 永禄5年(1562)、徳川家康の築いた鷲塚城に、水野忠重は水野清信・水野太郎作・大塚八兵衛と共に移り住んだ。 永禄8年(1565)、死んだ水野清元を弔うために大塚八兵衛が草庵を建て、出家して「春応」と名乗る。 春応が草庵を建てた地は、現在の東中学校南の旧字名「大塚」であり、古来から武士を弔った場所である。 現在地に移転したのは寛永年間(1624~1644)の頃。
<戦車のように重厚な山門が出迎える照光寺。ペタペタと貼られた催事案内は、人との繋がりを大切にする証。70年以上も生きる「牡丹」と大浜・西方寺に由来する本堂、そしてペルシャ猫がキーワード> 神有・天満社から来る緩やかな坂道へ北へ行き、見えてくる古い石垣は「松柏山・照光寺」の鐘楼。 厚い壁を持つ山門はまるで重戦車のよう。重厚な雰囲気とは裏腹に山門の壁に貼られた紙には「着物着付け教室」4月になれば「ぼたんを愛でる会」など催事の告知。 ”人との交流”を大切にするお寺の方の人柄が伺える。境内には樹齢70年以上といわれる「牡丹」がある。70年以上というのは、70歳を迎える近隣の方が「物心ついた時にはもうあった」という記憶から。 延享3年(1746)に大浜・西方寺から譲り受けたという本堂の縁で、いつも眠っているペルシャ猫。人なつこく愛くるしい。
神有はどこか清々しい。それは家と家の間を流れる小川がもたらす涼しげな空気のせいか。 天満社から北へ進み、最初の右手の道。東へと下るその道は素晴らしい景観を含んでいる。 暖かい陽気の4月中旬に訪れてみれば、椿の花弁が地面いっぱいに広げられ、赤い絨毯を作り出す。 背後にある竹藪の緑と相まって、一杯飲み屋のカレンダーにあるような世界。 この道の魅力はそれだけではない。竹藪と古い屋敷の間には小川が流れ、白鳥が水面を啄み、 せせらぎの心地よい音だけが耳に届く。
< text • photo by heboto >