愛知県碧南市 南から来る「東浦街道」と合流する 緒川に御先祖の姿見る?
<駅舎は変れど雰囲気は国鉄時代のままか?緒川駅前の驚き。だがそれは、緒川の町を物語る、ほんの序章に過ぎなかった> 緒川駅北の交差点を南に進むと、緒川駅前に出る。東浦町の集落である「緒川」の入口だ。駅の西口には、昔そのままの”たばこ”の看板。 反対側、緒川駅東口には、巨大なショッピングモールが出来、垢抜けた雰囲気になったというのに、緒川駅の西口前は未だ昭和終わらず。 大浜街道の詳細を探るべく、聞き込みを開始。ビリヤードの看板、場末のスナック…。開襟シャツを着た青年が肩で歩く姿を想像する。
<欧州の歴史都市にも負けていない緒川の古い街並み。緒川駅を西へと向かう程、時代は遡る。道路元標を見つければ、そこは大浜街道と東浦街道が合流する場所> 時間が停滞している。あるいは逆行か…。行けども平成の時代を感じさせる空間は現れない。 「大浜街道?聞いた事ないねえ、そう言えばこの先、石碑みたいなのが立っているんだけど…」と、雑貨店を営む奥さん。 一方通行の道、緒川駅西の交差点へと出る。道沿いの家並みが徐々に古めかしくなり出すと黒壁の下、東浦村の道路元標があった。 交差する道、それは東浦街道である。
「緒川入江跡」 「このあたりから海(衣ヶ浦)まで幅一八メートルの入江が存在。江戸時代には、緒川村の年貢米や酒が、 大正時代には、磨き砂が船でこの入江から積み出されていました。そのため土場とも呼ばれていた」(東浦町教育委員会・案内板より) JR武豊線・緒川駅の東一帯は、昭和23年(1948)に埋め立てられたが、かつては海でした。今は、巨大なショッピングモールが建ち、 夜も不夜城のごとく賑わい。
大浜街道は、そのまま東浦街道と合流し、東浦・森岡の集落へ行く。 だが、この素晴らしき東浦町の「緒川」を通り過ぎてしまうのは勿体ない。この街は旅情を誘う要素が至る所に点在する。俗物的な土産物屋が並ぶ風でもなく、かといって旅人を拒絶する風でもない。この心地良さについ長居をしてしまう街、それが東浦町なのだ。 大浜街道の旅路もしばし休憩、緒川の集落を散策することにした。 大浜街道の辿ってきた道筋は西へ、小高い越境寺の麓へと続いているようだ。 緒川のみならず、知多半島の街は丘陵地に形成されていることが多い。そこで”まだら瓦”が未だ多く現存する緒川の集落を一望できる場所を目指す。さて、どんな風景が待っているのだろうか。 ■ 第18回 「とにかく高い場所へ・2つの寺院」 へ
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